・埼 玉 県
関東平野の西部に位置する内陸県で、県庁所在は浦和市(旧国名武蔵国)東京から日光街道・中山道・川越街道などから埼玉入りした場合や、東北・高崎線・東武線・西武線などの車窓から眺めた場合、県南西地方の埼玉の風景は、隣接する東京都内のそれとほとんど違いがなくなっている。県の三分の一が山地、残りが低い丘陵、海に面していない内陸県です。平野地は市街化・宅地化が進んでおり、反面平野部にも自然林・材木林が点在し、風情を醸しています。県南部の工業・住宅地帯と山岳・丘陵地帯・田園地帯の二重構造がバランスを生んでいます。また岩槻、鴻巣の菊人形、春日部の桐箱・羽子板、加須の鯉のぼり、行田の足袋、大宮の盆栽など、江戸の名残の民芸・特産品作りが古い町並みの内側で営々とつづけられています。鋳物の街川口は、一方で苗木の生産では全国一、巨大な住宅団地を有する草加は、せんべいでも有名である。
・羊山公園の芝桜。、武甲山の麓に位置する.美しいコントラストが映える丘の斜面に敷かれた花の絨毯。秩父市の東側、武甲山の麓に位置する。毎年春に芝桜まつりが開催(4月中旬~5月上旬)され約1万7600㎡の広大な敷地一面に、9種類40万株以上もの芝桜が咲き誇ります。期間中の観客数は60万人にも及ぶという。この時期は公園内で秩父路の特産市が開かれるほか、街なかでも郷土芸能公演など、さまざまなイベントが開かれ、市内は賑わいを見せます。
鮮やかな花絨毯
・石戸蒲ザクラ。北本市石戸宿、西亀山東光寺の境内にあるサクラ。わが国でも有数のサクラの老樹で、国の天然記念物に指定されている。ヤマザクラとエドヒガンザクラの雑種と見られる。かってさくらの日本五大さくらの一つに数えられたが、現在はその主幹は枯れ、根ぎわから出た日本の支幹だけが残っている。
・田島ヶ原サクラソウ自生地。桜区大字西堀、市の西端、荒川を渡る秋ヶ瀬橋南東畔の四万平方㍍余に河川敷に百万株に及ぶというサクラソウの群生をなしている。日本では北海道、本州、九州に分布しており、四月から五月にかけて咲き誇ります。一帯は古くから花の名所として知られています。わが国唯一の国の特別天然記念物に指定されています。花のシーズンの四月下旬には、桜祭りが開かれます
・浦山渓谷。秩父市荒川。市の南部武甲山の西側を北流する浦山川の渓谷です。両側をおおって茂る自然林と岩をかみ、滝となり、瀬をつくって流れ下りる清流が見事な調和を見せています。夏は渓谷中の寄国土と川俣にキャンプ場がひらかれる。また渓谷の奥まった浦山大日堂では室町末期に始まったという獅子舞が奉納されています。県の無形民俗文化財に指定されている
・長瀞渓谷 (ながとろけいこく)埼玉県秩父郡長瀞町に位置し、荒川上流の渓谷で国指定の名勝・天然記念物に指定されている。荒川の中流、皆野町親鼻橋から長瀞町高砂橋付近までの渓谷とその沿岸をいう。岩畳のその対岸にそそり立つ“秩父赤壁”の間を、荒川が淵瀬をつくって流れ下りるその勝景は、県を代表する観光地の一つとして知られる。岩の側面に褶曲のうねりが見られ、甌穴や荒川の旧河道の名残の“四十八沼が見られる。岩畳は国の指定名勝・天然記念物に指定されている。四季の景観にも恵まれ春のサクラ、夏のアユ釣り、秋の紅葉、冬の雪景色を楽しめます。県立長瀞玉淀自然公園全長約6km
・時の鐘 (埼玉県川越市幸町にある、時の鐘)時の鐘は、寛永4年から11年(1627~1634)の間に川越城主酒井忠勝が城下多賀町(いまの幸町)に建てたものが最初と言われている。現在の鐘楼は、明治26年(1893)に起きた川越大火の翌年に再建されたものです。3層構造で、高さ約16m。創建された江戸時代の初期から暮らしに欠かせない「時」をつげてきた川越のシンボルです、現在1日に4回(午前6時・正午・午後3時、午後6時)倉造りの町並みに鐘の音を響かせています。平成8年時の鐘は環境庁主催の「残したい”日本の音風景100選”」に選ばれました。
・生越の梅林。生越町堂山。越辺川沿いにある、左岸一帯約一万二千平方㍍にわたって、一千本近い紅・白の梅が植栽されており、東京近郊の代表的な観梅名所の一つです。老樹が多く幹廻一・五㍍近いもの五十本余を数え、樹齢四百年ともいわれる古木もあります。梅園神社が創建された時、この記念樹として植えられたのが起こりといい、古い歴史をもっている。関東の“月ヶ瀬”の別称があり、県の指定名勝にもなっている.
・中津峡・秩父市荒川の支流中津川の、浜平から中津川までの約十㌔の渓谷をさし、清流が巨岩を浸食して深い谷間を形づくり、とくに中双里から最奥の中津川までの間は高さ百㍍にも及ぶ絶壁が連続して壮観です。両岸をおおって茂樹木や所々に散在する奇岩・怪石、樹間に見え隠れする両神山の奇峰など、変化に富んだ渓谷美やカエデ、ナナカマド、ブナなど渓谷沿いで紅葉する姿は特に美しい。県の指定名勝にもなっている
・御嶽の鏡岩。神川町二の宮、御嶽山の中腹にある、約三十度の傾斜をもった赤褐色に光る“紅鉄変岩スレ肌”といわれる約九千万年前の岩断活動の跡とされる岩で、断層面が出来るとき、強い摩擦力で岩の面が鏡のように磨き上げられたものと見られています。地質学的に貴重な資料として国の特別天然記念物に指定されています。
・武蔵嵐山。比企郡嵐山町、武蔵嵐山駅南西約二㌔、槻川橋の上流一㌔余りの渓谷をいう、昭和の初め林学博士本多静六博士が訪れた際に京都の嵐山になぞらえて命名したという。清流が岩盤を刻んで緩やかに蛇行し、最も嵐山に似ている景観は槻川橋からの眺めで、新緑・さくらの季節もよいが、秋の紅葉はより素晴らしく、紅葉の見どころとして知られている。
千葉県は房総半島を中心とした、三方を海に囲まれ囲まれ、東は太平洋、西は東京湾と浦賀水道の海に囲まれた県です平地と丘陵大半を占め県の標高は全国で一番低い。変化に富んだ海岸線の景観が目を奪い、延々と砂丘の続く九十九里浜や、海食崖の発達した屛風ヶ浦など、スケールの大きな自然が魅力です。また高い山はないものの、葛折りのような重なる山と谷が織りなす、陰影のある景観は季節ごとに異なり楽しませてくれます。それに加え、黒潮の影響もあって比較的温暖な気候のため、特徴のある樹木や草花が主役の景観は人の心に残ります。県北部では日本第二の利根川が、中部は太平洋側の九十九里浜が東京湾側は石油化学や鉄鋼工業地帯が、南部では酪農の盛んなうえにゴルフ場も全国第3位の数を誇る県です。
・屏風ケ浦 (びょうぶがうら)千葉県銚子市名洗町から旭市飯岡刑部岬まで延々10kmにわたる海岸の絶壁です。波の浸食によりできた荒削りの崖です、雄大なスケールで英仏海峡ドーバーの「白い壁]に匹敵するといわれています。東洋のドーバーといわれる素晴らしい眺めです。
・犬吠埼。銚子半島の太平洋に突き出た岬で三方を海に囲まれた海食台地で、先端には白亜の灯台があり、断崖の下には大小無数の岩礁が横たわり、荒波が打ち寄せて飛沫をあげる姿は豪快で素晴らしい海景が展開されます。岬上は芝生の園地になって、マリンパークなどがあります。眼下にひらける太平洋の大海原や海鹿島、長崎鼻などが眺望でき、とくに月夜の眺めには定評がありますよ。
・梅が瀬渓谷。養老川の支流黒川の渓谷をさす。渓谷の両側に高さ三十~四十㍍の浸食崖が連続し梅が瀬層と呼ばれる砂と、シルト岩の互層が見られる。春はミツバシツジ・彼岸桜・マメザクラなどが美しく色取り、秋の紅葉も見ものです。格好のハイキング地で、渓谷を巡り所要時間3時間のハイキングコースが開かれている。
・おせんころがし。行川アイランドの西方に続く海岸一帯をいう。高さ数十㍍の断崖が太平洋に向かって切れ落ち、中腹を旧国道がぬっている。名前のいわれは、昔、土地の豪族古仙家に、おせんという一人の娘がいた。おせんは、村人たちを人とも思わぬ強欲非道な父親を改心させようと、涙を流して説得した。しかし父親の改心させるのは無理なこととさとり、この断崖から身を投じて、死をもって諫めたといわれる。
・片貝海岸。九十九里浜のほぼ中央部にあたり、波は荒いが遠浅で、昔から絶好の海水浴場として知られています。南の豊浦、北の作田の両海岸を合わせると約六㌔もの砂浜がつづき、塩干かりやや夏のシーズンには、色とりどりのパラソルで埋め尽くされます。海の家などの休泊施設も整っています。
・白子海岸。南白亀川の河口一帯で、広い砂丘を松林と白波が彩る景勝の地ですが、九十九里有料道路が開通してからは少し様相が変化しているが、夏には海水浴場が開設され、遠近からの海水浴客で大変にぎわいます。潮干狩りや海岸名物の地引網や投網も体験できますよ。
・大東崎。太平洋に突き出た岬で、別名恋のびーなす岬とも呼ばれている。九十九里浜の南縁を区切り、荒波に洗われた断崖絶壁がそびえ立ちます。岬上からは北に延々と連なる九十九里浜が見事に眺められます。岬巡りのハイキングコースなども開かれています。突端には白亜の太東崎灯台があります・大房岬。富浦町多田良。浦賀水道に突き出た岬で、館山湾と富浦湾を区切っている。最も高いところで海抜約80㍍平均約60㍍の台地が開けており南岸と突端部には海食崖が発達し、北岸は急斜面で海に落ち込んでいる。岬全体が自然公園とされており、展望台や遊歩道があって、東京湾・浦賀水道をはじめ、三浦・伊豆半島の山々などが眺めながらの、手軽なハイキングが楽しめます。
・鋸山。安房郡鋸南町にそびえる山で、その名のとおり、鋸の歯のような険しい稜線を連ね、山裾は頂上から一気に海に向かって落ち込んでいる。昔は東京湾に出入るする船のよい目印にされていました。北西麓の浜金谷から頂上まで、ロープウェイが登っている、山頂には垂直の断崖から石切場を見下ろす「地獄のぞき」や食堂などの施設が整っており、十州一覧台と呼ぶ展望台から浦賀水道や三浦半島、さらに箱根連山や富士山も一望できる。
・養老渓谷。市原市大多喜町との境界付近の養老川の渓谷をさす。深い谷の両側、樹木に囲まれた岸に、春はフジ、ツツジ秋には紅葉が素晴らしい彩を作ります渓谷周辺を麻綿原高原や清澄山を結ぶハイキングコースもありますよ。渓谷の中ほどにある弘文洞は風化によってできた自然のトンネルで、下は清流が流れている。渓谷随一の奇勝とされています
・矢切の渡し。松戸市。今から三百年余前の、江戸時代初期から始められたという、矢切と柴又の間江戸川を結んでいる。伊藤佐千夫の小説「野菊の墓」の舞台としてまた、歌謡曲「矢切の渡し」でよく知られるようになり今も渡し船が出ています。
・鯛の浦タイ生息地。妙の浦とも書く。内浦湾の東側、誕生寺前の海岸から沖合の蓮華譚岩礁、その南方海上一㌔余りの伊貝島・弁天島あたりの海域は、有数のタイ群生地として知られており、国の特別天然記念物に指定されています。伝説によると、日蓮大聖人が生誕時にタイが集まり、波間を飛び跳ねて祝った。のち立宗した日蓮大聖人がこの浦に船を浮かべ、海の上に「南妙法蓮華経」の題目を書くと、たちまちタイが集まり、波の上の題目を飲み込んでしまった、などという伝説がある。昔から殺生禁断の地として漁民たちに保護されている。
・鎌ヶ谷大仏。鎌ヶ谷市鎌ヶ谷。青銅製阿弥陀坐像で、高さ約一、八㍍大きなイチョウの木を背にして安置されている。木下街道の往来がにぎわったころの安永五年この地の豪商福田文右エ門が、先祖供養のために造立したものです。
・成田山節分会。恒例の「特別追儺豆まき」と「開運豆まき」が新勝寺で盛大に行われますが幸福を招き、厄の象徴の鬼を払う節分の行事は、室町時代から行われており、暦の上ではこの日を境に初が訪れるとされています。毎年特別年男として大相撲力士やNHK大河ドラマの出演者が元気に豆をまきます。
・佐倉の秋祭り。佐倉に秋の訪れを告げる秋祭りで、城下町を山車・御神酒所・千葉県最大級の神輿が盛大に練り歩きます。山車や御神酒所がすれ違う様や、佐倉囃子に合わせた掛け声や踊りが佐倉ならのものです・山車人形は佐倉市指定文化財に指定されています。
・東 京 都
東京都。わが国の政治・経済・文化の中心地であり世界有数の大都市です。現在に至るまでには、奈良時代の人々、鎌倉時代、江戸時代、江戸城を築いた先人、そして近世には治政二百六十余年の徳川幕府の間に花開いた江戸文化など日本全体の歩みとともに移り変わってきた長い祖先の歴史があります。江戸は当時世界一といわれたロンドンと争うほどの大都市と発展していった。明治維新後は、京都からの遷都により日本の首都になり、名実ともに大都市の機能を備えたいった。行政の中心霞が関、ビジネスの中心は大手町・丸ノ内そして商業は銀座・新宿を筆頭に山手線・中央線に沿って拠点がいくつも生まれた。東京の自然といえば、まず思い浮かぶのが「武蔵野」まだまだ、都内の随所にその面影を残すとはいえ、明治のおりと比べてもあまりにもその変貌は著しい。都心部の千代田区・港区あたりは近世にいたるまでは足の生える湿地帯だった。多摩地域に足を伸ばせば、多摩川周辺とその台地をめぐりながら、かっての武蔵野の自然を求めたくなる。伊豆諸島・小笠原諸島は、厳しい自然条件のなかで島特有の文化を形成しながらたくましく育っている(参考・郷土資料辞典)
・東京駅。東海道本線・東北本線・総武本線・京場線・新幹線の起点をなす旅客駅で、また山手線・京浜東北線・中央線などが発着する、東京の表玄関です。駅舎は大正三年設計辰野金吾博士で、ルネッサンス様式による設計は、明治期における様式建築の頂点を示していたが、昭和二十年の空襲で壁体のみを残して焼失。昭和二十九年に再建された。昭和三十一年、八重洲口側に近代的な八重洲本館(鉄道会館)、旧様式の丸ノ内側と著しい対照を見せている。昭和四十七年には総武線と横須賀線を結ぶ地下の駅が、平成二年には京葉線の地下駅ができエスカレータで連結している。昭和六十三年には東京ステーションギャラリーを開設し、国内作家のユニークな展示会を催している。また周辺には一度は訪ねてみたいところが目白押しで、代表的なところとして、江戸城跡・皇居・二重橋・皇居外苑・皇居東御苑・北の丸公園・日本武道館・国会議事堂・国会前庭等々です
・日本銀行本店本館。中央区日本橋本石町。日本の中央銀行として明治15年、日本銀行条例に基づいて設立された。本館の建物は、明治時代に設計された建物として代表的なもので、わが国における初の石造建築で東京駅と同じ辰野金吾博士の設計監理。昭和四九年、国の重要文化財に指定されています。分館には貨幣博物館があり、世界各国のお金が展示されています。
・歌舞伎座。中央区銀座4丁目。明治二二年に、福地桜痴により創設された歌舞伎専門の劇場。建物は、桃山時代の意匠で設計された城郭様式の和風建築である。関東大震災や戦災で被害を受けるも戦後三度目の修復を行った。歌舞伎のメッカとして知られます
・浜離宮恩賜庭園。中央区浜離宮庭園。この地はもと将軍家の鷹狩り場であった。明治時代には宮内庁の所管となり、浜離宮と改称。昭和二一年、東京都に下賜され、公園として一般に開放された。なお二七年「旧浜離宮庭園」として、国の特別名勝・特別史跡に指定されています。園内から竹芝桟橋~浜離宮庭園~勝どき橋を結ぶ水上バスが出ています。
・NHK放送博物館。港区愛宕町。わが国でのラジオ本放送は大正一四年七月一二日、この愛宕山頂の東京放送局JOAKの局舎で始められ、昭和一四年五月、千代田区内幸町に移るまで続けられた。昭和三一年三月、放送開始三〇周年を記念して開館した。一・二階の展示室には、放送開始前後から現在に至るまでの、ラジオ・テレビ放送の発達を示す内外の各種機械をはじめ、放送台本・写真・文献など豊富な資料を展示しています
・東京タワー。港区芝公園。芝公園の西側に建つ総合電波塔で、高さ三三三㍍の自立鉄塔で、地上一五〇の大展望台と地上二五〇㍍の特別展望台があり、鉄塔の脚部は、東京タワービルとなっており、一階ロビー、二階名店街、三階蝋人形館、四階は電気製品、各種工業の最新製品を展示する近代科学館とテレビスタジオ、五階テレビ放送所となっている、東京のシンボル・観光名所として知られています・迎賓館赤坂離宮. 港区元赤坂。海外からの賓客が宿泊する施設で“新東京百景”の一つに選ばれています。この地はもと紀州徳川家中屋敷で、明治五年、邸と敷地が皇室に献上され、赤坂離宮となった。翌年皇居が炎上したため、明治二二年まで仮皇居となった。同年東宮御所となり、花御殿と称したが、昭和三年赤坂離宮に復称した。開館以来、華々しい外交活動の場として使用されています。また国民の関心に応え毎年接遇に支障のない時期に一般公開されています。
・新宿御苑。新宿区内藤町。千駄ヶ谷駅の北に隣接する広大な公園です。御苑が現在のような庭園に改築されたのは、明治三四年からで、公式にこの公園が使用されたのは日露戦争の戦勝祝いからです。以来皇室の庭園として、春秋の観桜会・寒菊会などが行われていたが、昭和二四年から、わが国唯一の国営の有料公園として一般に開放された。広大な苑内は、西側の日本庭園と、洋式庭園、児童遊園などがある。春のサクラの花、秋の菊の時期には見事な花が咲きほこります。
・明治神宮外苑。新宿区内。新宿区・港区・渋谷区の三区にまたがり面積は約五〇万平方㍍。明治神宮造営の際、その外苑として、大正一五年に造成された。苑内に、聖徳記念絵画館・秩父宮記念スポーツ博物館があり、また国立競技場・神宮球場・プール・テニスコート・秩父宮ラクビー場・東京体育館などの運動競技施設が整っています.
・国立競技場。新宿区霞岳町。大正一三年に完成し、昭和初期のスポーツの発展に大きな役割を果たした明治神宮陸上競技所場の跡に、面目を一新して昭和三十三年三月に完成した。昭和三十五年五月のアジア大会、三十九年の東京オリンピック大会の競技会場として建設される。今も“ToKyo1964”のエンブレムが残っており、東京オリンピックの会場であったことをしのばせる。
・小石川後楽園。文京区後楽。都心にあって今もなお江戸の面影を色濃くとどめる庭園で国の特別史跡・特別名勝に指定されている。もともと徳川家上屋敷内の庭園で、寛永六年水戸藩初代藩主徳川頼房が徳大寺佐兵衛に命じて作庭させた池泉回遊式の日本庭園(大名庭園)です。頼房没後その子光圀により作庭がつづけられたが、光圀は中国から亡命帰化した朱舜水の意見を入れ小廬山・西湖提などの中国趣味を取り入れて完成した。中国趣味と日本の景観がとけあい、ウメ・サクラ・ツツジ・ショウブなどが四季折々に景観をそえる天下の名園となっている。一度は是非訪れてみたいですね
・講道館。文京区春日。明治一五年、嘉納治五郎が下谷北稲荷町永昌寺に道場を設けたのが起こりで、その後いく度か移転し、昭和三三年に現在地に移った。文字通り「柔道のメッカ」で、心身の力を最も有効に使用する」原理へと発展させ、新しい時代にふさわしい技術と理論を組み立てた。ビル内には五00畳の大道場をはじめ、国際部、少年部、婦人部の道場も設けられています
・六義園。文京区本駒込。元禄八年(1695)柳沢吉保が、徳川吉保からの拝領地に自ら設計監督して完成した回遊式築山泉水庭の名園で、芸術上または観賞上価値の高い庭園として国からの特別名勝に指定されている。名前のいわれは中国の古書「詩経」に記載されている風・雅・頒・賦・比・経の六義によって命名さらた。昭和一三年に東京市に寄付され、一般に公開されている。和歌趣味を基調とした温和・繊細さが特徴で静かに観賞が必要です。
・上野恩賜公園。台東区上野公園。都市公園として国内最大規模をもつ公園です。広大な園内はほぼ四つのブロックに分かれる。南西部には不忍池、中央には弁天島南端には水上音楽堂が、不忍池の北に連なる忍ガ岡は大部分を動物園が占め、東照宮・五重塔・銅燈籠など重要文化財指定の建物があります。西郷隆盛の銅像のある南の桜ガ岡には、彰義隊墓碑や、重要文化財指定の清水堂・日本芸術院会館・上野の森美術館などがありその北には大噴水を中心に、国立博物館・国立西洋美術館・国立科学博物館・東京美術館などがありまさに「芸術と文化の森」という建物群が並んでいます。また園内は桜の名所でも知られ、都内随一の花見の名所としても知られています。
・上野東照宮ぼたん園。東京都台東区。1月~2月末にかけて寒さよけのわら囲いの中で可憐に咲く「冬ボタン」は見事ですよ。日中友好を記念して開苑し、中国牡丹、アメリカ品種、フランス品種を含め500株以上のボタンがあでやかに咲きほこります。また4月中旬~5月上旬にかけて石楠花や芍薬も見ごろをむかえますよ。
・浅草寺。台東区浅草。金竜山、浅草寺といい、「浅草の観音様」の名で知られる都内最古の寺です。たびたび堂宇を焼失したり昭和二十年の戦火で二天門と伝法院を残し諸堂宇を炎上焼失したが昭和三三年本堂を、同四九年には五重塔も再建され、昔に変わらぬにぎわいを見せています。ねんないの行事として、金竜の舞・ほおずき市・白鷺の舞・歳の市などがにぎやかに行われています
・雷 門。東京都台東区浅草一丁目に位置する浅草寺の山門、正式名称・風神雷神門 右側に風神・左側に雷神、朱塗りの山門、中央に大提灯(高さ3.9m重さ700kg)大提灯本体は丹波産の竹、骨組みは福井県産のコウジ100%の和紙300枚を貼り合わせたもので、上下の張り輪には金属製の化粧輪が取り付けられている。約10年に一度新調されている、浅草のランドマーク。初代の門は941年に安房国平公雄が天下泰平、五穀豊穣を祈願し寄進。1960年には松下電器産業の創始者松下幸之助が病気冶癒のお礼として寄進、現在の雷門が成立した.
・両国国技館。墨田区横綱。日本相撲協会の本拠地で、昭和六〇年一月、隅田川を隔てた蔵前国技館から新築・移転してきた。正方形も四隅を切った方形の建物で約一万二千人の収容が可能です。一月、五月、九月の各場所を興行し多くの相撲フアンを集めています。
・向島百花園。墨田区東向島。文化二年(1805)骨董屋北野屋平兵衛が梅園として開園が当時の文人たちの協力・構想で、詩歌にゆかりの草木類を多数植えこみ、されに池泉・園路・石碑などを配した庭園となり、百花園の名で呼ばれるようになった。昭和一三年に東京市に寄贈される。昭和二〇年の戦災で建物などを焼失したが、戦後原形通りに復元され、昭和二四年に都立公園として再開される。江戸時代の名残をとどめる名園で昭和五四年に国の史跡・名勝に指定されている。
世田谷のボロ市。世田谷区世田谷。毎年12月日15~16、1月15~16日開催。代官屋敷付近の大山街道で開催される市で、いまや東京名物で、約700軒の出店が道の両側に並ぶ。430年以上の歴史を有します。昔この付近は農家が多く市の売り物も野良着用の古着が多くう売られた。ボロ市の名はこの市で古着とともに市中から集めたボロを、農家の衣服の補修布として売ったことから出ているという。現在は食料品・装身具・玩具・植木市などのさまざまな露店が並びます、現在は東京都の無形民俗文化財に指定されている。
・都立代々木公園。渋谷区神南・代々木神園町。明治神宮外苑に隣接する公園で、東京オリンピック選手村跡に昭和四二年に開園した総合公園です。江戸時代は大名や旗本屋敷、戦前は陸軍の練兵場、戦後はワシントンハイツそしてオリンピック選手村がおかれた。また明治四三年、徳川吉敏大尉が日本で初めて飛行機で飛んだ記念すべき土地です。園内には、サクラをはじめケヤキ、イチョウ、ツツジの樹木が多い茂り都会のオアシスとなっています
・小金井提のサクラ。小金井市桜町。徳川幕府の命により常陸や大和の吉野から数千本のヤマザクラの苗木をとり寄せ、小金井橋を中心に国の名勝、玉川上水の約六、五㌔の両岸に植栽したのが始まりといわれる。これは殺風景な新田地帯に色取りを添えるためとも、江戸市民の大切な飲み水であったので、実が毒消しに効能がありとされた桜の木を植えたともいわれる。天保のころ(1830~)にはすでに関東随一のサクラの名所とうたわれ、その後もたびたび捕植され、昭和初期まで美しいサクラ提が見られ、国の指定名勝になっている。それが現在、車の排ガス、病虫害などにより樹勢が衰え、枯死が目立ち、並木の存続が危ぶまれている。
・小金井公園。小金井市桜町。昭和一五年に設定された都営の広大で日本を代表する国営公園です。玉川上水が公園の南側を流れる。この公園には材木林や松林が取り巻く緑濃いところで小、中学生向きのサイクリングコース、スポーツ施設、サクラの園、子供広場や実物のSL展示などがあり、小金井提に代わるサクラの名所としても知られソメイヨシノ約二千本が植栽されている
・多摩動物公園。日野市多摩丘陵の起伏や自然林をそのまま利用した都立動物園で広大な園内に、アジア園、アフリカ園、オーストラリア園に分けられ多くの動物が、壁と堀で仕切られた飼育場内に放し飼いされており、自然に近い状態で観察できるよう工夫されています。昆虫園やライオン園もあります。またイベントも何度も行われています
・富士箱根伊豆国立公園。東京・山梨・静岡・神奈川の一都三県にまたがる自然公園で、太平洋の島々や富士山を繋ぐ大火山群に火山地形とぶんかが多様な景観が存分に感じられます。主な見どころとしては、大島の三原山やツバキ並木、八丈島の八丈富士、三宅島の大路池・新澪池、神津島の天上山・長浜海岸などがあります.
大島のツバキ。江戸時代に防風と採油を兼ねて植えられたのが起源といわれる。ユキツバキ、サザンカなど300種以上が植栽されています。各所で並木やトンネルが見られます。椿油となり、木を細工して、こけしやブローチ・ペンダントなどのお土産を造られています。また観光大島のシンボルとしてツバキとあんこが多く知られています。「あんこ」は島の女性に対する敬称として知られる、絣の着物を着て帯をしめずに前垂れのひもで前を結ぶ姿のお人形が知られています。
・潮吹の鼻。泉津字松山。泉津漁港から島内循環道路を一㌔ほど進んだところにある。海岸べりに高さ七㍍、幅六㍍余りの溶岩洞窟があり、上げ潮時に波が打ち寄せると、洞内の空気の圧縮によって洞窟上部にあいている穴から、音を発して海水が十㍍近く噴き上げる。珍しい海潮現象として都の天然記念物に指定されている。
・奥多摩湖。西多摩郡奥多摩町原。小河内ダムによって多摩川が堰き止められて出来た都の上水道人造湖。ダムの入口に島田馨氏の筆により、ダムの建設で故郷を失った人たちの哀詩「湖底の故郷」の碑がある。湖畔は春には桜・新緑、秋には紅葉など四季折々の美しい風情を楽しめます、歴史を今に伝える史跡や、懐かしいたたずまいを残す家並みに触れることも出来ます。
・鳩ノ巣渓谷。西多摩郡奥多摩町棚沢。多摩川が秩父古生層と粘板岩を浸食してできた渓谷で、五百㍍余りにわたって両岸から大岩壁がせまる。キャンプ・釣りができるほか、白丸ダムまでの散策道もひらかれている。名前の由来は江戸時代多摩川の流れを利用して木材の搬出を行っていたころ、人夫の一人が近くで二羽の鳩を見つけそこで人夫仲間が「鳩に巣」と呼ぶようになったのが由来といわれています。
・等々力渓谷。世田谷区等々力。都内では珍しい渓谷で、約一㌔にわたって深さ一〇~二〇㍍の渓谷がつづく。両岸には樹林が生い茂り、自然の別天地となっており、一帯は区立公園に指定されている。渓谷の途中に不動の滝があり、この滝の名は、滝の音が周辺に轟くことから等々力の地名が出たといわれている。
・八丈富士。八丈島の北西部中央にそびえるコニーデ型火山で、長く裾野をひくその山容の美しさは富士山と並び称され、登龍峠からの展望は新東京百景の一つに選定されている。南東麓から登山道も開かれています。六合目から上は町の放牧場として利用されています。南の島でありながら、亜寒帯性のウメバチソウなどの自生も見られます
・日原鍾乳洞。西多摩郡奥多摩町日原。山口県の秋芳洞と並び称される大規模な鍾乳洞で、都の指定天然記念物になっています。新宮・弘法・大月・荒神などの大小あわせて八窟あり、うち最大の規模をもつ新宮窟が見学できる、この窟は昭和三十七年に東海大学の探検隊によって発見された。「金剛杖・白衣観音・村雨ガ原」などがあります。信仰の対象となっていた洞内からは、参拝客あげた古銭が多く発見されています。周辺には石灰岩の燕岩や梵天岩がそびえています。
・払沢の滝。檜原村にある滝で東京都唯一、日本の滝百選に選ばれている滝で、落差六〇㍍で四段に落ち、下段は落差二〇で水量も豊富で滝壺も深く広い。滝壺の左手から上の二段の滝に向かう道がありここからハイキングコースもあります。
・白岩滝。日の出町大久野。平井川源流部の白岩沢の奥にある滝で三段に落ちる白岩の滝を中心に付近に大小の滝が多くあり、別名「雨乞滝」とも呼ばれています。名前のいわれは昔、滝で雨乞いの行事が行われたことに由来する。滝の下にはキャンプ村が出来ています。
・青ヶ島。日本一人口が少ない村は東京都に帰属する、太平洋に浮かぶ絶海の秘島です。東京から南へ約360㎞、伊豆諸島最南端に位置しています、温暖で蒸し暑い島です。約170の村民が生活をしています。火山島のため、水蒸気が噴出する噴気孔が数多くあり、その熱を利用したサウナや地熱釜は今でも利用されています。一年を通じ湿度は高いが、居住地は高所にあるため過ごしやすい、反面梅雨時期や秋の台風時期はアクセスも注意が必要です。
・伊豆大島の椿まつり。伊豆大島大島町。1月下旬から3月下旬、自生種から園芸品種まで約9000本の椿が咲き誇るころになると島を上げての一大祭りが取り行われます。メイン会場では、大島特産の販売や、ステージでは郷土芸能が披露されます。島内各所でパレードやツバキ染、ミスコンテスト、椿展などが開催されます。
関東地方の南西端に位置し、北は東京都、西は山梨・静岡の両県に、東は東京湾、南は相模湾に面し、気候は凌ぎやすく、とくに冬暖かいのが特徴です。自然景観はほぼ中央部を流れる相模川で地勢は東西に二分されている。西部には県内一番高い蛭ヶ岳をはじめ山々が連なる丹沢山地と三重式火山で知られる箱根火山があり、深山の趣を残し、東部には相模原台地が広がり、相模湾岸には湘南砂丘とも呼ばれる砂丘海岸が見られる、また境川の東に多摩丘陵が南東へのび、屈曲に富んだ海岸線と紺碧の海が美しい景観を呈しています。県内での主だったお祭りは一月の大磯町・左義長に始まり、四月の鎌倉祭りの流鏑馬、五月の大凧まつり、夏の浜降祭・貴船祭り、十一月の箱根大名行列、十二月の小田原市観音だるま市、などが行われています。
(郷土資料事典より)
・横浜港。横浜市中区。わが国最大の規模をもつ国際貿易・商工業港で、東京湾の北西川に位置し環境条件に適した天然の良港となっています。本牧埠頭・山下・大桟橋・高島など十埠頭を数え、同時係留が可能な隻数は約百隻、四十万トンで、この他にも臨海工場などの岸壁が約百五十もある。港の歴史は、安政五年(1858)日米修好通商条約が結ばれ、横浜村が開港場とされたのが始まりで、翌六年六月六日に開港した。
・横浜山下公園。市内中区山下町。大桟橋入口から山下埠頭まで約一㌔、港に臨む海岸通りに沿った臨海公園。約七万四千平方㍍。関東大震災復興事業の一環として、被災地のレンガや焼土などを処理するため、埋立て造成された、臨海公園としてはわが国最初のものです。噴水池・ボートだまり、芝生園路などができた、昭和二十九年に返還され整備、改造されて、レストハウス・植込み・沈床庭園などが設けられ、中央噴水池には“水の女神像”インド塔の近くには、“赤い靴の女の子像”が立っている。今ではイベントも多く開催されている
・横浜中華街。神奈川県横浜市中区山下町一帯に所在するチャイナタウン(中華街)約0.2平方キロのエリア内に、500店以上の店舗があり、日本最大かつ東アジア最大の中華街となっている日本では神戸南京町や長崎新地中華街とともに三大中華街とされている。
・横浜シンボルタワー。横浜市中区本牧。横浜港の入口、本牧ふ頭D突堤の先端にそびえ立つ。宇宙ステーションのような形をした白亜の等で、高さ四八㍍、六階建て内部には船舶通航信号所や展望ラウンジガある。ここからは横浜港が手に取るように望めます。横浜の新名所です。世界各地から豪華客船も入港されます。
・こどもの国。市内青葉区奈良町。多摩丘陵の一角、青葉区奈良町と東京都町田市三輪町なまたがる国立の中央児童厚生施設で昭和三四年、皇太子御成婚記念事業の一つとして計画されたもので同四〇年のこどもの日に開園した。園内にはオリエンテーリングやサイクリングコース、乗馬の出来るポニー牧場、こども動物園などがあります。
・三渓園。横浜市中区本牧。自然の起伏を生かした純日本式庭園で面積は一七万平方㍍に及ぶ。三渓園の名のいわれは庭園内に三つの谷があることから名付けられた。明治の富豪で知られる原富太郎(雅号、三渓)が造った。園内に残る臨春閣・月華殿・聴秋閣はいずれも国の重要文化財に指定されています第二次大戦で被災したが、原家から横浜市に譲渡・寄贈されるのを機に、財団法人三渓園保勝会が設立され、五年を費やして修築が終わり今日に及んでいる。2007年国の名勝に指定される。
・川崎市立日本民家園。川崎市多摩区枡形。生田緑地の一角に、日本全国の古民家を集めた野外博物館で昭和四〇年から移築・復元され、園地の整備が進められてきた。現在は、国の重要文化財に指定されている古民家をはじめ水車小屋や歌舞伎舞台や町屋・馬宿・船頭小屋まで移築されています。内部には農具や生活用具を展示し、旧白川郷の合掌造りの民家では郷土料理が楽しめます。
・湘南海岸。神奈川県鎌倉市の材木座から藤沢市の江ノ島を経て茅ヶ崎市の柳島海岸に至る相模湾に面する砂浜海岸で、古くから日本を代表する海水浴場でサーフィンの好ポイントとして全国的に有名である。四季を通じてデートポットとして賑わっている。
古都鎌倉。奈良、京都とともにわが国を代表する国際観光・文化都市で、質実剛健をむねとする武家文化といわれる。今も鎌倉時代と室町初期に建てられた多く古寺・仏閣、重要文化財や史跡が多く残されています
・鶴岡八幡宮。鎌倉市雪ノ下。若宮大路を進むと、大きな三つの鳥居が立つ社頭に出る。鎌倉を代表する名社で神域は約八万五千平方㍍にも及び、現在は鎌倉観光のシンボル的存在で、境内は全域国の指定史跡になっている。国宝、史跡、重要文化財等多く指定されている。
・瑞泉寺。鎌倉市二階堂。鎌倉宮の東、紅葉ヶ谷の長い石段を登った山腹にある臨済宗の寺。境内はウメの古木と一面のスイセンで知られ、花の季節には多くの見物客で賑わいます。本堂の背後が夢窓疎石の作庭と伝わる庭園で、岩山を削り取って岩盤をうがち、谷水をひいて池とし、池中に巨岩を配するなど、雅趣をたたえた名園です。昭和四六年、大改修が施され滝口や貯水池などが六~七百年前の姿に復元された、国指定の名勝。寺の裏尾根に宝形造りの偏界一覧亭がある。境内全域が国の史跡に指定されている。
・高徳院(鎌倉大仏)。鎌倉市長谷。一般的には「鎌倉大仏」と呼ばれて名高い。浄土宗の寺。子供から外人観光客まで人気が高い。境内に入ると、左右と背後を回廊で囲まれた露座の大仏がどっかりと座っている。裏手には有名な与謝野晶子の歌碑が置かれている
・秋谷の立石。横須賀市秋谷。安藤広重が浮世絵にした景勝地、高さ一二㍍、周囲二五㍍ほどの奇岩が立ち、背後には梵天ヶ鼻の岩場に松が自生し相模湾を隔てて富士山が美しく浮き出ている、夕焼けの美しさは絶景で「かながわの景勝五〇選」の一つです。夏季は海水浴場が開かれます
・城ヶ島。三浦市三崎町。コウモリが羽根を広げたような形をした細長い小島、北原白秋の詩(雨はふるふる城ヶ島の磯に・・・)で全国的に知られるようになった。島内には白秋会館・県立城ヶ島公園の施設があり、馬の背洞門や城ヶ島灯台など見どころがたくさんあります。周りの岩礁地帯では絶好の磯釣りの場所ですし、冬期にはウミウ・ヒメウ・クロサギなどの飛来が見られます。また海浜植物も見ものですよ。
・江の島。藤沢市江の島。相模湾にぽっかりと浮かぶ緑の島。面積0・三八平方㌔、かって“絵の島”と書かれたように、その風光は絵のように美しい。島全体が県の史跡に指定されています。島は温暖多湿という気象条件に恵まれている。
・稚児ヶ淵。藤沢市江の島。海水の浸食を受けて平らになった海蝕台地が、土地の隆起によって海面に現れたもので、広い岩原がベランダのように広がっている。波が砕け散って男性的な景観を見せているが、ここから眺める富士山の遠望は素晴らしく美しい。海面が真っ赤に染まる夕日には定評があり「かながわ景勝五〇選」の一つに選ばれています。磯遊び・釣りの名所でもあります。
・洒水の滝。(しゃすいの滝)山北町。洒匂川の支流にかかる三段の滝で、県を代表する名瀑です。岩壁に打ちつける滝の音が豪快に轟いている。観光客が普段見られるのは最下段の一の滝で、落差は六九㍍に及び、左右にはカエデの巨木が茂り、正面の赤い橋が趣をそえています。新緑・紅葉のころが最も美しい姿を見せています。にほんの滝百選・全国名水百選・かながわの景勝五十選・かながわ未来遺産にそれぞれ選ばれています
・相模湖。相模原市緑区にある湖で昭和二二年に完成した人造湖、相模湖・藤野の両町にまたがりっている。昭和一五年の着工で工事は第二次世界大戦をはさんで進められ、わが国の総合開発事業の先駆をなすものでした。春は湖岸をいろどるサクラ、夏は弁天橋・天狗岩などの数か所でキャンプなど数か所で開催され、八月には湖上祭りや花火大会、春にはサクラ祭りなどが取り行われています。県北最大の観光地となっています。「かながわの景勝五〇選」の一つです。
・箱 根。富士箱根伊豆国立公園の中核をなす箱根は、芦ノ湖を取り巻く諸火山や、高原、早川の渓流などがおりなす自然美に加え、山合いには一0数湯に及び温泉が湧き、快適なドライブウエイがそれぞれの景勝・湯宿を結び、近代的な観光施設は自然に調和して、わが国を代表する国際観光・行楽地の一つになっています。
・芦ノ湖。神山・駒ヶ岳などの中央火山丘と・三国山・山伏峠などの外輪山の間にある火口原湖で、箱根火山最後の活動である大涌谷の爆発で流失した火山泥流が、火口原湖を南北に二分し、南が現在の芦ノ湖、北は早川で排水されて仙石原の湿原地になった。湖水の大部分が湖底からの湧水。人工排水路から、静岡県側の灌漑に利用されています。ニジマス・ヒメマスなどの養殖も行われています。箱根観光の中心で、春の新緑やサクラ、秋の紅葉期の美しさには定評があります。なかでも箱根町・元箱根方面から眺めて“逆さ富士”は箱根の代表的景観とされています。湖上遊覧船や成川美術館があります。・箱根関所跡・江戸幕府が管理した全国の関所の中でも、最も高名なのがこの箱根関所です。とくに「入鉄砲に出女」を厳重に取り締まった関所として名高い。その関所が再び復元され当時の役人や足軽などの等身大の人形、武具などを展示し当時の関所風景を再現しています、眺望豊かな立地場所は箱根芦ノ湖の旅の玄関口です。(入鉄砲=鉄砲が江戸に入るのを取り調べた。出女=江戸在住の諸般の大名の奥方などの、女性の江戸退出を取り締まった事などをさします。)
・真鶴岬。真鶴町。真鶴観光のシンボル・三ツ石のある岬。箱根火山の溶岩流で海上に突き出してできたのが真鶴半島でその先端がこの岬。樹齢三百年以上のマツの大群とクス・シイなどの暖地性樹木におおわれており、絶壁や奇岩が岬を巡っている。その突端に三つの巨岩がそそり立っているのが三つ石で「かながわの景勝五〇選」に選ばれています。
山 梨 県
武田信玄の面影を偲ばせる山梨県は、東京・埼玉・神奈川・長野の各県に隣接し、その境界線には高い標高をもつ山塊があるため平野部がきわめて少ない。わずかに県の中央部に位置する甲府盆地があるだけです。気候は夏と冬の気温差が激しく、典型的な内陸性で、年間降雨量も全国平均的にも少ない、しかしこのことが全国有数の果実地帯に発展した、大きな背景となっている。県内には必見すべき河川や湖も多く、駿河湾にそそぐ富士川は、日本三急流の一つとして知られている大河です。その上流は釜無川と笛吹川の二つに分岐しており、板敷渓谷や御嶽昇仙峡などの名勝を有し、多くの観光客を魅了しています。観光面ではこれらの多くの名勝、景勝地に恵まれ、富士箱根伊豆、南アルプスなどの代表される国立公園や、自然公園の数々をあわせた広さは県境の四分の一を占めます。甲府盆地周辺には石和・湯村などの温泉が湧出し、観光名所としても名高い。
・武田氏館跡。武田信虎によって築かれた方形の館で、信虎、信玄、勝頼の三代にわたる、武田氏の本拠です。南と東には、重臣たちの屋敷や政務所などがあったとされ、周囲には堀と土塁をめぐらし、四つの門を設け、館内は三郭に分けられていた。昭和一三年、中世の戦国大名の典型的な居館跡として、国の史跡に指定されています。
・信玄公祭り。信玄公命日の四月一二日、桜が咲き誇る春に、祭神出陣に模した「甲州軍団出陣」の騎馬行列は「信玄公祭り」として有名で、まるで戦国時代にタイムスリップします。県内各地で、信玄公を偲ぶさまざまな祭りが行われる。信玄公をとりまく勇猛果敢な武田二十四将とともにとりおこなわれる「出陣の儀式」などは華麗な中に勇ましい一大絵巻を繰り広げます。その規模は世界最大といわれています。
・七ツ釜五段の滝(西沢渓谷)。清流が巨大な花崗岩を浸食してできた自然の芸術。秩父多摩甲斐国立公園内の西沢渓谷にある。奥秩父の渓谷内に位置する階段状に連なった壮麗な滝。絶景が連続する渓谷沿いの比類ない造形美を楽しみませんか。
・御岳昇仙峡。甲府市中央西部。勇壮な姿で見る者を圧倒する覚円峰、その昔覚円という僧が頂上で修行をしたと伝えられている。白い巨峰を新緑や紅葉が彩られ、日本随一の渓谷美に魅せられます。無数の奇岩を眺めながらの遊歩道を歩きませんか。国の特別名勝に指定されています。
・甲斐善光寺。甲府市善光寺。武田信玄と上杉謙信の有名な川中島の合戦は戦いが繰り返された。信玄はこの戦乱が古くから信仰を集めている信濃善光寺に及ぶのをおそれ、本尊や一切の寺宝を甲斐に移し、七年の歳月をかけて大伽藍を建立し、自ら開基となり創建したのがこの善光寺である。以来、武田氏・織田氏・豊臣氏・徳川氏などの崇敬を集めた。江戸時代に火災のため焼失したが、そのご四十年の歳月をかけ再建された。現在の本堂、山門はいずれも国の重要文化財に指定されています。
・恵林寺。甲府市塩山小屋敷。乾徳山と号する臨済宗妙心寺派の名刹。夢窓国師が開設した、武田信玄公の菩提寺として知られています。境内にある庭園は夢窓国師の作庭と伝えられ、京都の西芳寺・天竜寺とともに国師築庭の代表作といわれている。上段は枯山水、下段は心字の池に築山を配した池泉回遊式庭園で、国の名勝に指定されています。
一の瀬高橋の春駒。戦国時代に黒川の金鉱堀りに従事した人が、廃坑のあとそこに住み着いた人々が、孤立した立地条件のため、独特の風俗習慣を今も数多く残している。春駒もその一つで、小正月の行事で中心になる馬は、顔や尾などにカブの上に紙をはってつくり、人が馬に乗ったような形で、独特の踊りを舞。笛・太鼓・鉦などの囃子・歌に合わせた駒踊りが行われます。昭和四十六年、春駒保存会は国の無形文化財に指定されています。平成二十七年度地域伝統芸能全国大会で芸能奨励賞を受賞。・西沢渓谷・山梨市三富川浦。笛吹川の上流で、東沢との分岐点から上流約六㌔の間をよぶ。深く険しい渓相と激流は、巨大な花崗岩を浸食してできたものです。奥秩父随一の秘境が続きます。三重の滝、ウナギの床、人面洞、龍神の滝、母体淵などの名勝・奇景がつぎつぎとあらわれ七ツ釜が見られ、七ツ釜五段の滝の姿がまた圧巻で新緑の時期や紅葉の時期は一段と美しさを観賞できます
・富士山・静岡県と山梨県に跨る活火山で、標高3,776㍍、日本最高峰の山です。いうまでもなくわが国第一の高峰で、昭和二七年に特別名勝に指定されています。その美しい姿は日本の象徴であり、世界的にも知られています。万葉の昔から歌や俳句に歌いつがれ、日本人の心の故郷として仰がれています。昔から信仰の山としても登山者が多い。
・吉田の火祭り。富士吉田市。日本三奇祭と呼ばれる吉田の火祭りは北口本宮富士浅間神社と諏訪神社の祭りとして毎年8月26日、27日に行われます。毎年数十万人の見物客で賑わう富士吉田市を代表するお祭りです。
・山中湖・南都留郡山中湖。富士山の麓にあり、中禅寺湖・榛名湖などとともに湖面標高の高い湖です。形状が緩やかに湾曲しその形から、三日月湖・臥牛湖などとも呼ばれています。県の天然記念物のフジマリモが生息しています。盛夏でも涼しく、また全湖面が結氷する冬季には、スケートやワカサギ釣を楽しむことが出来るので、四季を通じて観光地として人気があります。富士五湖(河口湖・西湖・本栖湖・精進湖・山中湖)巡りも楽しんでみましょうよ
・久遠寺。南巨摩郡身延町身延。日蓮宗の総本山で、身延山妙法華院久遠寺と号し、日蓮宗の宗祖日蓮大聖人の開いた道場。境内は約八〇万平方㌔、山内は老杉に囲まれ、今も信徒による献木が続いています。総門をくぐると、左側が、西谷、右側に東谷があります。西谷には日蓮大聖人の入山当時の草庵跡、大聖人の遺骨を祀る御廟所、信行道場、深敬園などがあります。総門を通りぬけると、明治に再建された巨大な三門があり、菩提梯と呼ばれる当山第一の伽藍祖師堂をはじめ雄大な伽藍の建ち並ぶ本院にいたる。寺宝も多く国の重要文化財や古画、古文書、古器などを有している。昭和六〇年には大聖人七百遠忌の記念事業として一一0年ぶりに大本堂が復興した。
長 野 県
・長野県。日本の屋根または日本のスイスなどとも呼ばれる長野県、日本アルプス連峰がそびえ、浅間、八ヶ岳、戸隠などの高原が発達し、この地を水源として北に犀川、千曲川、南に木曽川、天竜川が流れ、その流域には松本、佐久、上田、長野などの盆地が散在し、古くから人々の生活の中心となっている。明治維新後、信濃教育会を中心とする高度な教育への熱意に表され、明治時代前期の学童就学率は全国一位を占め教育県として知られる。北アルプス連峰や上高地、志賀高原、美ヶ原、菅平、軽井沢高原などはわが国を代表する山岳観光地で、戸倉、上山田、野沢、湯田中、浅間など温泉も豊富で、スキー客や登山をはじめとするアウトドア全般の適地で、伊那谷や木曽谷の古き昔を残した風情も捨てがたい。平成十年に冬季オリンピックガ開催され、道路も整備され、県内外のアクセスが便利になっている。
・上高地 (かみこうち)長野県松本市にある飛騨山脈梓川上流の山岳景勝地で(標高1,500m)中部山岳国立公園の一部で、国の文化財(特別名勝・特別天然記念物)に指定されている。梓川に架かる河童橋から望む山々の雄姿や大正池、明神池、徳沢など山と緑と水の織りなすところ、日本屈指の山岳景勝地として知られ、毎年多くの観光客が訪れ賑わっている。「かみこうち」の名称は「神垣内」の漢字表記だが、後に現在の「上高地」の漢字表記が一般的となる「神垣内」とは、穂高神社の祭神が降臨しこの地で祀られていることに由来する。温泉があり、穂高連峰や槍ヶ岳の登山基地でもあ
・日本アルプス 。日本アルプスとは、本州、中部、地方にある三つの山脈の総称。飛騨山脈・木曽山脈・赤石山脈、呼び名はイギリス人鉱山技師ウイリアム・ゴーランド(ガウランド)による命名である。小島烏水が飛騨山脈を北アルプス、木曽山脈を中央アルプス、赤石山脈を南アルプスと名づけた。毎年多くの来訪者があり、今年も訪ねて見たいですよ
・善光寺。長野市元善町。寺号は四門のうちの東門を、善光寺と呼んだことからきている。創建に関する伝承はまちまちだが、善光寺縁起によれば、推古天皇の一〇年信濃の若麻績東人が難波の堀江で得た金銅造阿弥陀三尊像を麻績の里に持ち帰り一宇を建立、安置したのが始まりという。その後幾多の歴史をたどってきた、戦乱の時代に巻き込まれた折は、荒廃を余儀なくされたが、江戸幕府の折は、徳川家康より寺領を寄進され次第に復興を遂げ、泰平の折には、一生に一度は善光寺参りが盛んになり、多くの人が産廃に訪れた。近世を迎え交通網の発達とともに参拝客は増加、平成十年には長野冬季オリンピックの開会式で、善光寺の梵鐘が全世界に向けて鳴り響きまし
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・美ヶ原高原。村域西端、美ヶ原の最高峰王ヶ頭を中心に、西の松本市、南の和田村境に広がる火山溶岩台地、見渡すかぎり平坦な緑の高原で、武石峰・王ヶ頭・茶臼山から、東は物見山山麓までに及んでいる。絶好のハイキングコースとして知られ春から初夏にかけてはスズランやレンゲツツジが高原を彩り、夏はキスゲ、秋はコケモモ・マツムシソウが咲き乱れ、北部、武石峰は美ヶ原を歩いてきた人が、もう一度振り返って懐かしむところといい、「思い出の丘」とも呼ばれている。眺望にも恵まれ、北アルプスから木曽御嶽・八ヶ岳・富士山・戸隠連峰など展望が楽しめます
・白樺高原。長野県北佐久郡立科町。蓼科山の北西麓に広がる高原でスズラン・レンゲツツジの咲く蓼科牧場や、女神湖・白樺湖などの湖沼、カラマツ・シラカバ林が美しい夢ノ平・御泉水自然園など景観に恵まれ、ハイキング・登山の好適地として知られている。春夏秋冬の鮮やかで美しい豊かな自然を存分に楽しみましょうよ。
・松本城。長野県松本市丸ノ内。市のシンボルともいえる平城で、別名“烏城”と呼ばれる五層六階の天主閣、三層四階の小天守閣、二層二階の渡櫓、二層二階の辰見附櫓、一層地下一階付きの月見櫓などいずれも本瓦葺きの諸楼閣は現存する天守閣建築ではわが国最古のものとして、国宝に指定されている。本丸及び及び二の丸の一部が国指定の史跡で、中央公園として開放されている。
・乗鞍高原。乗鞍岳の東斜面一帯、広大としか形容できないほどの広がりを見せる。高原一帯には、ツガ・モミ・カラマツ・白樺が散在し豊かな自然に恵まれている。夏は放牧された牛がのんびり草を食べている。大野川の渓流ではイワナ釣りを楽しめる。水量や勢いの違う三つの滝が一ヶ所に流れ落ちる三本滝が美しい景観を見せている。小大野川には落差一五㍍の善五郎滝がかかり、滝見台に立てば後方には乗鞍岳も臨め、近くには牛留滝があり、モミやシラビソの原生林に囲まれた静かな水面に乗鞍岳の姿を映し出している
・上高地。長野県松本市。槍ヶ岳に源を発する梓川に沿ったS字型の谷底盆地で、山岳景勝地です。周囲を焼岳・穂高岳・明神岳・長塀川・六百山・霞沢岳
・静の桜公園。大町市美麻大塩。園内には樹齢一千年といわれるイヌザクラの巨木があります。上部はすでに枯れているが中ほどから大枝を四方に伸ばしています。花期の五月下旬には、ウメの花のように小さな花を房状につけます。このサクラには、鎌倉時代に、サクラ御前が兄源頼朝に追われて奥州へ逃れた夫の義経を訪ねる途中、この地で亡くなったとされている。「静の桜」は静御前が杖にしていた桜の木を地にさしたのが根づいたものとされています。
・諏訪湖。諏訪盆地の真ん中に位置する諏訪湖は、北を霧ヶ峰火山、南は赤石山脈に囲まれた、湖面標高七五九㍍、湖面積一五・五平方キロ、東岸は諏訪市、北岸は下諏訪町、西岸は岡谷市の行政区域に属し、南西岸の釜口水門から天竜川が流れ込んでいる。わが国有数の豊栄養湖です。一月上旬から二月下旬に厚く結氷するとき氷が割れる。“御神渡り”の現象で知られ、豊凶を占う御神渡拝観式が今日も行われています(七年目ごとの寅の申の年に行われる御柱祭りは、勇壮で規模から全国に知られています。)
・蓼科高原。蓼科山南麓から北八ヶ岳西麓にかけて広がる高原。春はコナシ・ツツジ・スズランノ花が美しく、夏は涼風のわたる白樺林にカッコウ鳴き、秋には紅葉の中でキノコ狩りやクリ拾いが楽しめます。高原の気候、風土は療養・保養郷として定評があります。親湯・滝の湯・小齊の湯などの蓼科温泉郷と奥蓼科蓼科温泉郷、高原観光・保養地として知られ、白樺湖周辺に別荘や保養所・学校・会社の寮が多くあります。自動車道路も整備され、スキー場、スケートリンクも楽しめます。全長二二一五㍍の日本ピラタスロープウェイで手軽に高山気分を味わえます。
・下栗の里。長野県飯田市。急斜面に拓いた山里、厳しい自然の、山深い里に縄文時代から暮らしのあった里で、信州三大秘境の一つとされる南信州遠山郷。その中でも絶景として知られる山里です標高八百~千㍍、最大斜度三八度の急斜面に九十九折の道がつづき、高地と住居が山に張り付くように並ぶ。眼下には遠山川、眼前には南アルプスの名峰聖岳、その奥は山また山、深い深い自然の中で、小さな人間の営みがあります。南アルプスの美しい季節に訪ねてみたいですね。
・天竜峡。飯田市川路天竜峡。伊那山地と天竜川が斜交する付近の渓谷、かっては日本三急流の一つとされていた。中心は天竜峡駅から徒歩五分、天竜川を挟んで川路と竜江を結ぶ姑射橋付近、展望のよい岩として知られる浴鶴岩や、竜鶴峰・今村公園、さらに天竜峡焼の窯場などの多くの名所があり、西岸にはツツジの名所お富士山、サクラの公園・金毘羅山などがある。“天竜峡”の命名は坂谷朗虚の命名といいます。“天竜下ればしぶきにぬれる”と伊那節に歌われた“天竜下り”を、川魚料理を味わいながら、天竜峡十勝を眺めませんか。
・寝覚ノ床。木曽名所の中では最も古くから知られた景勝地で、木曽川が約一・五㌔にわたって花崗岩の岩盤上を流れ、両岸には水流の浸食によって板状あるいは直方状に刻まれた屏風岩・蓮華岩・鳥帽子岩・腰かけ岩などの奇勝が連続する。川幅も最も狭い個所では七㍍しかなく、淵をつくり奔流となって流れ下る清流と、白い花崗岩のコントラストが見事です。大正一二年三月、国の名勝に指定されています。また浦島太郎が訪れた竜宮城はこの下にある、という伝説があります。
・赤沢自然休養林。長野県木曽郡上松町。日本三大美林の一つとされ、木曽谷一帯の檜を主体にした天然林です。赤沢谷の自然林はその代表的なものとして昭和四四年自然休養林に指定されました。樹齢二百年から三百年の檜の大樹が茂りあっている
♨ 訪ねて見たい温泉 (関東・甲信越の温泉地)
埼玉県・千葉県・東京都・神奈川県・山梨県・長野県
埼 玉 県
温泉地の特色。県内には宿泊施設のある温泉地が22か所あり、湧出量は毎分2万ℓ。42℃以上の高温泉は1割程度で少なく加熱必要の温泉地が多い。年間延べ宿泊客数48万人。熊谷市の四季の游、羽生市の羽生温泉、さいたま市のさくら温泉などで、かっての秩父地方の温泉地柴原温泉、保養向きの名栗温泉、行楽によい両神などの温泉地は、宿泊客が減少気味です。
・名栗温泉。県南西部、名栗川の源流に近い山間部に位置する温泉でかまくら鎌倉時代に温泉でけがを治している鹿を見っけた漁師によって発見された温泉。温泉宿の開業は大正時代、湯治客やハイキング客がおとずれるようになった。近くには名栗渓谷もあり、自然美を愛した歌人若山牧水が度々訪れた。名栗渓谷、子ノ権現や竹寺などもあります。
・柴原温泉。
・巴川温泉郷。秩父市久那、秩父市街の南東に荒川が巴状に大きく曲流するところ、その左岸の台地上に湯宿があります。市内観光や秩父霊場めぐりの足場として利用者が多く、東に荒川をへだてて武甲山を仰ぐ眺望にも恵まれている。あたりは静かな田園地帯で、静養に向いています。
・日野温泉。秩父市荒川地区に位置する温泉地。戦国期の開湯といわれて古い歴史をもつ鳩の湯ほか五、六軒の湯宿が散在しています、しぜんが豊かなところで、奥秩父探勝の足場や保養に最適です。・黒山温泉。生越町黒山、越辺川支流の黒山川の渓間に湧く鉱泉。静かな山の湯として親しまれています。梅の時期には多くの人で賑わいます。名勝黒山三滝の入り口に位置し、滝から傘杉峠へ登り、顔振峠・越上山・一本杉峠を経て鎌北湖へ下るハイキングコースの起着点にもなっている。
千 葉 県
千葉県は一大温泉県でしられ、温泉地は85ヶ所余、温泉は冷鉱泉が多く加熱が必要です。
東京に近く温暖で長い海岸線に沿った立地条件もよく東京ディズニーランド近くや、新設された木更津三日月温泉などと、内房から外房にかけての観光拠点の館山や白浜、鴨川、勝浦が連続し、さらには長大な砂丘海岸の九十九里浜など民宿地、温泉地が知られており、房総半島の銚子犬吠埼や養老渓谷などの温泉地が展開しており一大温泉地となっている。
・千葉白浜温泉。房総半島の突端に観光拠点の野島崎があり、海より歩いて数分のところにホテル、旅館、民宿などの温泉浴場をもつ宿泊施設がたくさんあります。白浜は南房総国定公園に指定されており、灯台、海洋美術館、海底透視船などがあり、磯根漁業が盛んで、今も海女が海に潜り海の幸を採っています、7月には白装束の海女さんによる夜の松明遊泳が最大の見ものです。
・千葉勝浦温泉。勝浦市の中心地区で昭和36年に温泉が開発された。美肌の湯・純金風呂などで知られ十数軒の温泉宿や大規模の温泉ホテルがあります。また輪島、高山とともに「日本三大朝市」といわれる朝市がひらかれる。路上には70軒もの露店がひらかれます.
・千倉温泉。中世の戦乱期に源頼朝が房総に逃れた際に、愛馬の傷ついた足を温泉に浸けて治し、自らも入浴したという伝説がある、また「美肌の湯」が多い温泉地です。主に塩化物泉の浴槽や露天風呂に浸かり、新鮮な魚介類を味わうことが出来る。南房総地域は、温暖な気候で沿岸漁業も盛んで豊かな漁獲量を誇り、千倉町には料理の神様を祀る高家神社があり、例年10月と11月に「包丁式」が挙行される。
千葉県鴨川。南房総のリゾート都市・鴨川にはたくさんの宿があります
鴨川市域の北部は太平洋に面した白砂青松の海岸線が続いており、その一角は温泉開発が進んで高級ホテルが並んでいます。なかでも「鴨川シーワールド」がオープンし、この一帯が鴨川温泉の中核となっている。一方、鴨川駅周辺は海水浴場と一体化した旅館街を形成し、さらに、太海地区には千葉県名勝第一号に指定された仁右衛門島をはじめ多くの旅館や民宿があります。温泉に浸かるもよし、新鮮な魚介類を賞味するもよしです。一度は訪ねてみましょう。
・白子温泉。長生郡白子町、九十九里浜唯一の温泉です。1965年町営国民宿舎を、2年後温泉センターを、1973年日本唯一の人口砂風呂をその後には農地をテニスコートに変え、テニス民宿地域として発展しこの経営者で組合を設立、地下2000㍍の温泉掘削を得て観光温泉地としてしられるようになった。白子温泉のお湯は薄黄色で「黄金の湯」として知られる。絶好の景色と新鮮な魚介類を味わってみましょうよ。
・銚子犬吠埼温泉。房総半島東端の観光拠点としてきた犬吠埼では1997年に新温泉が開発され、また犬吠埼温泉黒潮の湯として分湯されるなどして、温泉ホテルが集積している。日の出が一番早い岬に湧く温泉で、周囲をぐるりと展望でき、水平線も見れる眺めの良さで知られる温泉地です。また水揚げ量日本一を誇る銚子漁港へ立ち寄ってみませんか。
・養老渓谷温泉郷。夷隅郡大多喜町。養老川上流の蛇行する渓谷は山峡の景観と一体になった観光地。井戸から鉱泉が湧出たことから、開発が進み川沿いに温泉宿があります。今では房総半島随一の温泉郷です。渓谷の中心には栗又の滝おはじめ赤い太鼓橋や落ち着いた雰囲気の露天風呂がある旅館が点在します。一番早く春の訪れを感じられところ、春のレンゲ畑は見事です。。四季折々の風情をも楽しめます。また大多喜には、本多忠勝の居城が復元された県立総南博物館があります。
東 京 都
神 奈 川 県
・箱根湯本温泉。神奈川県足柄下郡箱根町にある温泉の総称.箱根火山の麓から中腹まで、温泉街が点在、富士箱根伊豆国立公園に指定されている。開湯は738年釈浄定坊が発見した「惣湯」。その後知られるようになったのは、豊臣秀吉の小田原城征伐がきっかけと言われている。明治以降は保養地、観光地として開発、その後の開発で、大平台、小涌谷、二ノ平、強羅、宮城野、仙石原、湯ノ花沢芦ノ湖、蛸川の9つの温泉をあわせ、「箱根十七湯」、さらに早雲山、大涌谷、湖尻の3ヶ所を加えて「箱根二十湯」と呼ぶこともある。
・箱根七湯ー箱根湯本温泉、塔ノ沢温泉、宮ノ下温泉、堂ヶ島温泉、底倉温泉、木賀温泉、芦之湯温泉
・箱根八湯ー上記に 姥子温泉を加え「箱根八湯」
・箱根十七湯ー上記に文中アンダーライン部分大平台~蛸川9湯を加えた温泉場、各温泉を一度は行った所もあれば行ってみたい所もありで、是非行ってみたいですね
・芦ノ湖温泉。元箱根。芦ノ湖は、箱根火山のカルデラの中にある「カルデラ湖」で元箱根温泉ともいう。第二次大戦後蛸川や湯の花沢から引湯して温泉場の仲間入りしたが、元箱根の街は箱根山中でも最も古くから開けたところ、箱根神社の門前町として発展し、修験者なども住んでいた。芦ノ湖遊覧船が発着する桟橋近くの賽の河原には、鎌倉時代以降の信仰を示す、多くの供養塔や地蔵が立っている南の箱根町とともに箱根観光の中心地となっている
・湯河原温泉。神奈川県足柄下郡湯川原町宮上 (海と山に囲まれた美しい四季の街)湯河原は、古くから温泉地として知られ、相模湾に面し一年を通じて風光明媚の地としられ、湯河原は万葉集にも詠まれ、古くから万病に効くと評判の温泉が涌く場所として知られている。明治時代中ごろからは、秘湯の趣と閑雅な風情を求めて、文人墨客が数多く訪ねてこられ、この地を舞台にした多くの作品を遺している。また雄大な自然の景観と豊かな山海の幸に恵まれ、行楽、静養に最適の地として多くの人々に親しまれてきたところでもある。偉大な文人の面影を求め散策してみては。
・飯山温泉。市内飯山。小鮎川中流部の渓畔に湧く冷鉱泉で。飯山観音入口の庫裏橋付近から上流の尾台橋へかけての河岸沿いに五、六軒の湯宿が散在している。湯治・静養向きの静かな湯宿で、アユ・天然ウナギ・山菜など、季節の料理が湯治客を喜ばせている。
・東丹沢七沢温泉郷。七沢温泉、広沢寺温泉とかぶと湯温泉などを合わせた温泉を総称で、大山の東側山麓、玉川の支流に湧く温泉で、玉川の清流に沿うことから“玉川の湯”ともいわれる。アルカリ泉の湯は、子宝の湯・美人の湯としても人気があります。山懐に囲まれた素朴な湯宿で、“猪鍋”が名物です。
・鶴巻温泉。秦野市鶴巻。東京新宿から小田急線で1時間ちょっと、、東京の奥座敷として、週末の行楽をかねた温泉客で賑わっていた。大正時代に、飲料水のために井戸を掘削したところ塩辛い水が湧出てきたので温泉利用に転換した。低温・加熱泉だが、カルシウム含有量は世界一という。イノシシ鍋をはじめ丹沢ソバや山菜料理・バベーキューなどが売り物としています。温泉街から南へいったところに大ケヤキは、県指定の天然記念物で、樹齢一千年という。縁結びの大ケヤキとも呼ばれています。
・強羅温泉。明治27年早雲山の東斜面に湧く温泉を引き湯で開発が始まり、坂道と緑の豊かな品格のある湯街を形成している。大正8年の箱根湯本~強羅間の登山列車の開通以来、避暑地としても急速に発展し、湯街には整然と区画された道路網が通じ、宿や保養所や別荘も見られる。宿は斜面に建っているため、どの部屋からも眺望がすばらしく、夏の風物詩、明神ヶ岳の大文字焼の日は特に観光客で賑わいます。
・宮城野温泉。足柄下郡箱根町。強羅温泉とは渓谷を隔てた北側、明神ヶ岳の南麓にある。強羅・木賀・底倉などから引湯するようになってから保養所ができ、最近では旅館・別荘なども出来ている。噴煙をあげる早雲山の眺めがいい。山麓にある諏訪神社に伝わる“湯立獅子舞”は仙石原諏訪神社のものとともに、県の重要無形文化財に指定されている
宿泊施設のある温泉地は28ヵ所。中温、低温の温泉が数多くあります。武田信玄の隠し湯である湯村、下部やブドウ畑の温泉が湧いた石和など、ユニークな温泉地があります。
・甲府湯村温泉。甲府市湯村。市の西端、湯村山の麓に広がる温泉郷で、昔は湯島と呼ばれ温泉の周りに集落ができたのが始まりという。大同三年(808)弘法大師が病苦にあえぐ住民を見て薬湯につかるがよいと地に杖を突きたてたところ、熱湯が吹き出て、病が治ったという伝説があります。信玄公のかくし湯の一つとして知られています。また文豪らの執筆の宿として多く使われたところです。
・石和温泉。笛吹市石和町。大蔵経寺山の麓にあった温泉だが、昭和三十六年にブドウ畑の中から大量で高温の温泉が湧出て青空温泉として話題になった東京からの交通の便に恵まれ、湯量の豊富な温泉郷として観光客を集めています。付近一帯はブドウや柿の果樹園が一面に広がり、その間を笛吹川の清流が流れる景勝の地です。年中行事として四月の桃の花まつりと八月の温泉まつりが知れれています、特に桃の花まつりには武田・上杉両軍の戦いを史実に基づいて再現した“川中島合戦戦国絵巻”が繰り広げられます。みものですよ。(隣接の春日居温泉にも立ち寄ってみよう。)
・増冨温泉。北社市須田町、秩父山地西端の金峰山西麓で、塩川上流山間部位置する温泉郷で、世界有数のラジウム含有量を誇り、信玄のかくし湯の一つ。多くの文人、画人が訪れている。金峰山などを望む景勝地としても知られています。
・塩山温泉。塩山市上於曽。塩の山の麓にある歴史古い温泉で、約六五〇年前に得勝禅師によって発見されたといわれ、当初は向嶽寺の寺域内にあり信者たちの湯治が目的だったが、武田信玄の時代に傷病兵の治療に用いられ、一般的になったという。古い伝統をもつだけに、周辺には武田一族の史跡が数多く、歴史を探る散策の足場になっている。
・川浦温泉。三富川浦。笛吹川上流の渓谷にある。一名、薬師の湯とも呼ばれ、また武田信玄公の隠し湯としても知られる古湯です。近くにハイキングコースや、西沢渓谷があり、登山の足場としても利用されています。
・下部温泉郷。下部町南部。温泉郷は富士川に注ぐ下部川の渓谷がせばまったあたりに位置する。武田信玄公が川中島の戦いで上杉謙信から受けた傷をここで治したという言い伝えが残っているほどの古い歴史も持っている、その昔から変わらぬ優れた効用と歴史を感じさせる湯場風情と下部の人々の素朴な温かさをもつ温泉郷です。「武田信玄公の隠し湯」として知られます。ここを拠点として身延山久遠寺への参拝、富士五湖めぐり、白糸の滝などの探勝を楽しめます。日本の名湯百選に選ばれています
・手打沢温泉。南巨摩郡身延町。明治の初期に、近在の人々の湯治場として開かれた温泉です。富士見山の麓、富士川の支流、手打沢渓谷の流れに沿い、雄大な展望をもつ富士見山や、釣りの出来る手打沢などの名勝が多い。四季を通じ山菜料理が味わえる
・西山温泉。早川町西山。温泉の歴史は古く慶雲二年(705)の開湯と伝える。奈良時代孝謙天皇や武田信玄公、徳川家康が入湯されたとの伝説も残り、家康の隠し湯ともいわれている。周囲を高山・森山・別当代代三などの高山に囲まれ、山の湯の情緒を楽しめます。近くを流れる早川の渓谷美も見事ですし、特に温泉近くの見返り橋付近は、渓谷随一の景観です
長 野 県
・野沢温泉。長野県下高井郡野沢温泉村にある温泉。江戸時代から湯仲間という制度によってまもられてきた外湯は天然温泉かけ流しです。管理がいつも清潔、毎日使う村人達も、訪れた人達も気持ちよく使えます。温泉街に点在している十三の外湯は、村の人達の共有財産です。
・大湯。野沢温泉のシンボル。江戸時代の趣を伝える。(地元では惣湯と呼びならしてきた惣とは中世以来の農民による村落共同体)以降、河原湯・秋葉の湯・麻釜の湯・上寺湯・熊の手荒湯・松葉の湯・中尾の湯・新田の湯、真湯・滝の湯・横落の湯・十王の湯 毛無山の裾野にひときわ濃い湯煙を上げる北信の名湯、野沢温泉、坂の多い路地に温泉宿やみやげ物が軒を連ねるなか、十三の外湯が散在し、昔ながらの温泉情緒を堪能できる。
・湯田中・渋温泉。長野県下高井郡山ノ内町にある温泉。一帯は「湯田中渋温泉郷」と呼ばれる温泉郷、発見は古く、天智天皇の時代(在位668~671年)に僧智由によって発見されたと言い伝えられる。智由はこの湯を「養遐齢」(ようかれい・長寿のこと)と名づけた湯田中温泉の源湯は、地表近くから湧き出ていることもあり、古代より温泉地として人々を癒して来ました。源泉も街中にあり、地中深くから湧き出温泉とは違い湯田中温泉の街の中からわき出ています。湯田中、新潟田中、星川、穂波、安代と五つの地区がある湯田中温泉ですが、地区にたくさんの源泉があり、様々な温泉を楽しめる。宿泊施設も、近代的なホテルや家族経営の昔ながらの旅館など、幅広いジャンルのお客様に対応しています。たずねてみましょうよ。渋温泉は、湯田中・渋温泉郷でも最古の湯で旅館数・収容力とも温泉郷中随一で、近代的なホテルや数寄をこらした旅館、土産物屋などが軒を連ねている。また大湯・笹の湯・神名滝の湯など九つの外湯があり、九つのすべてをめぐる“外湯めぐり”が有名です
一茶の昔から、福福お湯が湧き出る、ゆけぶりの郷、豊富ないで湯、湯けむりも迎える温泉地 信州湯田中温泉 (湯田中温泉観光協会公式サイトより)
・地獄谷温泉。横湯川の渓谷をさかのぼった谷あいにある。河床には国指定の天然記念物“噴泉塔”がありごうごうと凄まじい音をたてて、熱湯・蒸気が噴き上がっている、近くに野猿の餌づけに成功した地獄谷の野猿公苑があり、露天風呂で時折野猿の入浴風景が見られる。
・発哺温泉(ほつぽ)東館山の西麓、横湯川の谷に面した山腹にある。別称雲上温泉ともいわれる。旅館は山肌をけずりとったような崖によせかけて建てられている。温泉は岩盤から噴出する蒸気を釜にためて、それに水を通してできる珍しいもの。温泉からリフトで東館山に登ると、日本海まで一望できる。山麓には高山植物園もあります。
・別所温泉。長野県上田市にある温泉・文人に愛された温泉、開湯時期は不明だが、伝説では日本武尊の東征の折に発見されたといわれ「日本最古の温泉」「信州最古の温泉」の一つに挙げられている。日本武尊が7箇所に温泉を開き「七苦難の温泉」との名付けたという伝説から「七久里の湯」とも呼ぶ。共同浴場を中心に栄え、現在も真田幸村隠しの湯「石湯」・自覚大使ゆかりの湯「大師湯」木曽義仲ゆかり葵の湯~北条氏ゆかりの湯「大湯」。2004年足湯「ななくり」2012年足湯「大湯薬師の湯」が設置される。また、多くの文化人に愛されてきた温泉も珍しく、「信州の鎌倉」という、文化的で俗化されていない温泉地の雰囲気が文化人を魅了したのであろう。それと社寺仏閣が多く、一大霊場であつたことがうかがわれる。ゆっくり浸かりにいきましょう。
・小谷温泉 (おたり温泉)長野県北安曇郡小谷村にある温泉。姫川の支流、中谷川が刻んだ険しい渓谷の上に涌く小谷は、温泉の多い信州でも名湯と知られた、明治時代にはドイツで開催された温泉博覧会に登別、草津、別府とともに内務省特選で出泉された輝かしい経歴を持つ。開湯は武田信玄の家臣・岡田人一郎によると言われており、将兵の療養湯として使われた湯治場で、湯治場として450年以上の歴史を有する温泉である。武田信玄の隠し湯として伝えられている。小谷村には、小谷温泉・姫川温泉・島温泉・奉納温泉・白馬乗鞍温泉など温泉地や日帰り温泉施設が11箇所ある。これらの中で最も歴史があり知られているのが昭和46年に国民保養温泉地に指定された小谷温泉です。最奥に位置する雨飾荘のすぐ近くのブナの繁る森に、村営無人の男女露天風呂があり、4月下旬~11月下旬にかけて入浴できる。
3つの源泉があり、元湯、新湯、あつ湯とそれぞれの効能豊かな温泉です。現在は「あつ湯 熱泉荘」と「大元湯 山田旅館」で入浴できる。ゆっくりと浸かってみたいよね~ (長野県小谷村観光公式サイトより)
・白骨温泉 (しらほね温泉)長野県松本市にある温泉。長野県のほぼ中央に位置する信州・松本市、市内の西側に広がる日本の名勝北アルプスの峰々と霊峰・乗鞍岳、の東側山腹に「白骨温泉」は湧き出ている。深い樹林と湯川渓谷に囲まれた野趣あふれる温泉。開湯は定かでなく文献によると600年以上歴史を有す温泉地で、武田信玄によって乗鞍岳の麓に銀山が開発されて、負傷した武士や従事者が訪れていたと推測できる。本格的に湯宿が立ち並びはじめたのは江戸・元禄時代で、連泊しながら病気やケガを治そうと湯冶客が訪れた為。「3日はいれば、3年風邪ひかない」といわれてきた。一方、肌になめらかな湯は、美肌作りの名湯として女性に人気だ。また、文人、歌人、俳人などの多くの人に愛された温泉の一つです。この仙境の温泉を全国区に知らしめたのは大正時代の中里介山の長編小説「大菩薩峠」の中で「豪華絢爛たる絶景と褒め称えたことからとも、歌人若山牧水が持病の胃腸病を治すためこの地を訪れ、紀行文に載せたからともいわれている。「瞳を知らぬ間にとじていた。きっと、心の根底から気持ち良さがあふれてる。」薬効名高い乳白色の名湯。。。何度でも訪れたいですよね(一部信州・白骨温泉公式サイトより)
・戸倉上山田温泉。戸倉町、湯街は上山田・戸倉の両町にまたがり河畔沿いに細長く伸びている。古くから善光寺詣での精進落としの湯といわれ、今も北信濃方面への観光客の宿泊地として賑わっている。また“小石の湯”ともいわれる。昔、恋する乙女が、仙人に千曲河原の赤い小石を百個集めて神前に供えれば、恋が成就すると教えられ、幾日もかけて拾い集め、最後の百個目を拾い上げたとき、足の裏に温かい湯気を感じたといい、これが温泉の起源という。近くにはリンゴ狩りのできるリンゴ園も多くあり、初夏には白いリンゴの花が美しい。
・角間温泉。角間川南岸の高台に湧く温泉で、蓮如上人の発見と伝えられる。古くから脚気に特効の湯として知られ、今も治療客が多い。北信五岳や北アルプスの眺めが素晴らしく。かっては林芙美子、古川英治、横山大観などの文化人も多く利用している。
・野沢温泉。千曲川にそう毛無山の麓に立地する。10世紀中頃の天暦年間に開湯したという、かつて犬養の湯と呼ばれていた。温泉は高温の硫酸塩泉で湯量も多い。地域住民で構成された野沢組が温泉を管理し、湯仲間によって浴槽がきれいに保たれている。高温源泉地の麻釜があり、野沢菜を洗ったりして地元民の日常生活に使用されているが、湯けむりと一体化した風情が観光客の足を止めさせている。12の共同浴場があり、特に大湯は見事な和風建築で野沢温泉のシンボルであります。また野沢はスキー発祥の地としても知られています。民宿やペンションも多く分布しています。
・田沢温泉。小県郡青木村田沢。十観山の東麓、北・西・南三方を山に囲まれた静かな温泉地で、信州で最も古い歴史をもつ。遠く噴煙をあげる浅間山の眺めが素晴らしいです、役小角の開湯といわれ、山姥が湯治して坂田金時を生んだという伝説が残っており、昔から“子宝の湯”“乳母の湯”としても有名です。湯湯治時代の面影を色濃く残しています。昭和四六年国民保養温泉地に指定されている。島崎藤村が滞在していました
・鹿教湯温泉。丸子町西内。山間の静かな温泉場。源泉は川岸と川底の岩石の間にある、湯量も豊富で諸設備の整った旅館が多い。名前の由来は文殊菩薩が、鹿に化身して湯のある場所を漁師に教えたという伝説に由来する。古くから高血圧に効く温泉として知られ、今も湯治場の雰囲気を色濃く残しています。温泉病院など医療施設も多い。近くに大塩温泉があり、川中島合戦の時、武田信玄が負傷兵をここに収容し治療したといわれます
・崖の湯温泉。松本市内田。横峰の西側山腹にある山の湯で、鎌倉時代に山崩れによって湧出したとか、昔傷ついた猿が湧水につかり、治療しているのを狩人がみて発見したといわれる歴史の古い温泉。治療向きで、西に北アルプス・中央アルプスの眺めがよく、松本観光のアクセスにも通じています。・美ヶ原温泉。松本市里山辺。市内の東方。美ヶ原高原の入口の標高六百㍍余の丘陵地にあり、藤井・御母家・湯の腹の三地区に分かれている。最も近代設備が整っているのは藤井地区で、レジャーの要素が濃く、湯の原はいまだ湯治時代の面影を残し、大きくはないが清潔な感じの宿が並んでいる。現在、健康入浴を楽しめる室内プールが整っている。国宝松本城や旧開智学校へ訪ねてみるのも一考です・浅間温泉。松本市街地から北アルプス連峰を望む高台上にある県下有数の温泉郷で開湯の歴史も古く、天慶二年犬飼半左エ門の発見といわれる。松本藩主により厚く保護されたが、明治に入り養蚕業者が湯屋をやるようになり、今も菊の湯・梅の湯・玉ノ湯など、“何々の湯”という旅館名の湯治の名残を残している。近くにはスケート・キャンプで知られる美鈴湖や、サクラの名所桜が丘公園があり、北アルプス・美ヶ原の登山基地としても登山客にも利用されている。毎年十月に奇祭「たいまつ祭」が行われます。
・有明温泉・中房温泉。南安曇郡穂高町。有明山南麓、中房川の渓畔にある町営温泉で、上流にある中房温泉とともに「中房温泉郷」と総称される。中房温泉は北アルプスの中腹、燕岳登山口で豊富な湯量を誇る温泉。カラマツ・アカマツ・ミズナラなどの自然林に囲まれている。湯は各所に湧き、御座の湯・をはじめ薬師の湯や、中房川の川床に遊ノ湯などもあって源泉の豊富なことで知られる。
・大町温泉。大町市平。黒四ダムへ通ずる県道沿いの鹿島川右岸にある温泉。高瀬渓谷の葛温泉から引湯した近代的なホテルや旅館が建ち並んでいる。近くには温泉発生の原理が分りやすく展示されているアルプス温泉博物館や古刹大沢寺・エコノミスト村・日向山菖蒲園などがある。仁科湖・黒四ダム探勝の足場にもよい。葛温泉・湯俣温泉などに立ち寄っては.
・上諏訪・下諏訪温泉。上諏訪温泉は毎分一万ℓにも及ぶ温泉を湧出し、下諏訪も四五百ℓの湯量を誇り温泉地です。上諏訪温泉には明治初期に片倉財閥の製糸工場が建設され、厚生施設の片倉館が残され、ここに大理石とステンドグラスの浴場があり、立ち湯が体験できた。湖畔の諏訪湖間欠泉センターには長い足湯もあり、原田泰治美術館をはじめ多くの美術館がある。湖での遊覧、花火、スケートも楽しめます。下諏訪温泉は中山道と甲州街道の交わる宿場町であると共に温泉地で多くの共同温泉があり、諏訪神社の春宮・秋宮があって七年ごとに御柱祭が行われます。
・蓼科温泉。茅野市北山。蓼科高原中に散在する小斎・滝の湯・親湯など諸温泉の総称天正年間の発見といわれ開湯の歴史は古く、武田信玄の入湯も伝えられている。湯量も豊富。滝の湯と親湯などには温泉プールが設けられている。滝湯川沿いの滝の湯へ下るとコンクリート造りの文化記念塔は起元2600年を記念して建てられたもので、内部には当時の新聞や書籍などが治められている。
・奥蓼科温泉郷。北八ヶ岳から流れ出る渋川の渓畔に湧く、横谷・明治・渋川・渋・辰野などの諸温泉の総称で、静かな環境に恵まれ、素朴な山の湯のきぶんが満喫できる。付近には横谷峡・王滝・乙女滝・御射鹿池・八方大・高見石などの名勝がある。
長野県は宿泊施設のある温泉地は210以上あり、年間の延べ宿泊客は730万人弱とされ全国3位にランクされているように多くの温泉地があります、その一部を紹介いたしました。
富山県の自然景観。本州のほぼ中央、日本海側に面する富山県は、県境の山脈群が富山湾を抱えるようにして連なる地形から“天然の円形劇場”とも呼ばれる。山地は多くの河川を生んで「名水王国」をなし、北アルプス立山連峰や黒部渓谷、緑鮮やかな富山平野、歴史を秘めた五箇山地方、不思議の海・富山湾などの豊かな観光資源が、四季折々に表情をかえて、人々を魅了し続ける。・雷鳥沢と清流。近くには特異な景観が広がる地獄谷。大観峰と黒部平を結ぶロープウェイ。雲海を見下ろす北アルプス立山連峰の尾根。特別天然記念物であり「県鳥である雷鳥」。日本最長の称名滝(落差三五〇㍍の落差を誇る)。黒部渓谷と河原に湧く鐘釣温泉の露天風呂。S字峡。十字峡、白竜峡などの渓谷群。黒四ダム。立山黒部アルペンルートや宇奈月温泉群。男性的な渓谷美の神通峡。平家の落人伝説が残る山里五箇山。庄川峡など見どころ沢山です。
富山県のまつり・県内各地に豪壮な山車祭りが見られるが、一方で、麦屋祭りやきこり祭り、おはら風の盆など、独自の様式と格調をもった祭事も連綿と受け継がれています。
・黒 部 渓 谷。富山県黒部市にある渓谷、北アルプスのほぼ中央の鷲羽山に源を発し、長さ86km、標高3000mを流れる黒部川の上・中流域に切り立った深いV字峡を形成する大渓谷である、息を呑む断崖や目を見張る自然美、黒部渓谷にはありのままの大自然が一大パノラマとなって広がります、渓谷が狭く対岸の山が近くに迫ってくる景色や、四季折々に色ずく山々の木々清流日本一のエメラルドグリーンに輝く黒部川の清流を見ることが出来ます。
・黒部渓谷鉄道本線(トロッコ列車)渓谷に沿って、宇奈月駅から欅平駅まで黒部川に沿って走る鉄道路線、当初は建設用資材、作業員を輸送するための専用鉄道であったが登山客や一般観光客からの乗車希望がたえず便乗という形で乗車を認め、乗客に発行した「乗車券」には「命の保証はしない」旨が書かれていた。乗客の増加と地元の強い要望で1953年に地方鉄道法による免許を受け正式な鉄道路線として営業を開始し1971年関西電力から分社化され、黒部鉄道となりました。黒部渓谷ならではのトロッコ列車、窓が無いのと開閉可能とあり、座敷は横一列3~4人掛けで解放的で渓谷沿いに走っているのでスリルと壮快感をタップリと満喫できます。何度乗っても爽快でしたよ。また乗りにいこうよ~
・黒部ダム。黒部ダムがあるのは富山県東部の中部山岳国立公園内で、3000m級の高山地帯として知られる北アルプスの中央部分となる立山町です。その建設は世紀の大事業として語り継がれ、中でも破砕帯との格闘は石原裕次郎主演の映画「黒部の太陽」に描かれている事でも有名です。昭和31年に始まったダム建設には当時に金額で513億円の巨額が投じられ、延べ1000万人の人手により、実に7年の歳月を経て完成した、今では立山黒部アルペンルートの長野側起点として、観光名所として知られているが大迫力の放水や、巨大建造物としての存在感以外にも黒部ダムには興味津々のエピソードや歴史がいっぱいとか。毎秒10立方メートル以上の放水量の観光放水日本一の高さから噴き上げる放水は大迫力で晴れた日には放水が綺麗な虹がかかってその美しさも人気となっています。また四季折々の黒部ダムの景色、中でも紅葉から緑に色づく「三段紅葉」は見ものです。何度訪ねてもその雄大さに気押されますね。 (黒部ダム公式サイトより)
・猿飛峡。宇奈月町。「猿飛」の名は、両岸がお互いに迫っていて猿が飛び渡るという言い伝えから名付けられたものといわれる。別名を景雲峡といい、国の特別名勝・特別天然記念物に指定されている。この辺りは、水流が断層と平行または直角に転回し側方の浸食に比べて下方の浸食がより強い。その為、川幅が狭く、両岸がそそり立ち、渓谷を覆う樹々や深淵とあいまって、渓谷の代表的な景勝にあげられている。
・奥鐘山。黒部川左岸の道を行くと対岸に花崗岩の大岩壁がそそり立ち岩壁は高さ七00㍍もあって、川底まで達している。猿飛峡とともに国の特別名勝・特別天然記念物に指定されている。
・浜黒崎海岸。富山市北部。富山港の東から常願寺川の河口までつづく海岸は、白砂青松、風光明媚で越中舞子の別称があり、夏は海水浴場やキャンプ地として賑わう、この海岸に並行して旧北陸浜街道が走り、道の西側には多幹性の黒松の並木がつづく、これは、加賀藩二代藩主が江戸参府の街道に美観を添えるために植樹させたもので、樹勢も今もさかんで、県の天然記念物に指定されています。また雄大な立山連峰が一望できます.
・おはら風の盆。その起源には、はっきりしませんが語り継がれている話は、元禄15年米屋小兵衛が加賀藩から町立の免許を受けたが、その後家計の傾きで「お墨付きを持ったまま
別の土地に引っ越してしまった。その為その後町民との再々の交渉にも応じなかったが
町民が一計をはかりとり戻したそのお祝いとして三日三晩歌舞音無礼講の賑わいで町を練り歩いたのが始まりといわれています。当初は単調だったものが、長い年月のなかで磨かれ、現在のような情緒に満ちた踊りに仕上げられたのであろう.
・有峰湖。富山市大山町。常願寺川支流の和田川を堰き止めて作られた発電用ダム湖。かって有峰地区は川上氏の子孫が暮らしていた秘境の集落だったが大正九年ダム建設のため消滅した。一帯は有峰湖国民休養所となっており行楽に最適の足場になっている。湖面に張り出した砥谷半島探勝路は、自然林のなか、野鳥観察のための標識が整備されている。
キャンプ場もあり、八月には有峰フェスティバルが開かれる
・五色ヶ原。富山市大山町。立山の南に開けた溶岩台地で広さは約二平方㌔、北アルプスでは弥陀三ヶ原につぐ広さ。高山植物が咲き乱れ、五色ヶ原の名もそこから生まれたといわれる。伝説のクロユリも群生している、ここから東に平ノ小屋を経て奥黒部、北は立山、南は薬師寺へのコースがあり、設備のよい山荘もある。美女平・弥陀ヶ原・室堂平・地獄谷によ立ち寄ってみよう。
・称名滝。富山市立山町。称名川にかかる滝で、落差三五〇、日本一の滝で、滝は四段に分かれて落ち、一番下段のものは一二六㍍で、水量の多い初夏は見事な水柱となって落下する。国の名勝・天然記念物に指定され、日本の滝百選にも選ばれている。見ごたえ十分です。
・立山。広い意味で立山連山をさすこともあるが、一般には立山三山・雄山・浄土山・別山を示し、東側には黒部渓谷、西側に早月川・常願寺川の本支流が源を発して、厳しい壮年期の浸食地形を示している。日本三霊山の一つに数えられる名山です。
・大観峰。室堂から雄山の直下を立山トンネルでくぐり抜けて出たところ、東側山腹の地点をいう。東方眼下に黒部湖が静かな水面をたたえ、正面には、針の木岳など後立山の諸峰が立ちはだかる。ここから下の黒部平を結ぶ全長一七〇二㍍の立山ロープウエーが出ている。黒部の谷にむかって下りるゴンドラからの眺めはスリルがあり、素晴らしいですよ。
・宮島峡。小矢部市別所滝。小矢部川支流の子撫川の約六㌔にわたる渓谷。樹林に囲まれて、江戸時代の石切場だったこうもり洞窟や、小ナイヤガラといわれる一の滝があり、落差三メートル、川幅いっぱいに落下するすがたは壮観です。この滝壺付近は甌穴が多く“宮島峡・一の滝と甌穴群”として県の天然記念物に指定されている。
・庄川峡。南砺市庄川町。飛騨山中に源を発する庄川は、岐阜県の白川郷から富山県に入り、五箇山地方を貫流して砺波平野に出る。この流れのうち、五箇山地方の渓谷が庄川峡とよばれている。わが国で最も雪の多い地域で、年間を通じての降水量も多く、水量も豊富です。多くのダムも建設されている。遊覧船が就航し、上流に進むにしたがって湖岸に迫る峡谷の眺めが佳境の趣があり、とくに新緑と紅葉のころがよい。
・相倉合掌集落。南砺市相倉。平成七年世界文化遺産に登録されている。下梨から庄川沿いに上流へ約二㌔、庄川左岸の山間の平地、相倉集落にある合掌造民家。巨大な合掌造民家は、煙硝・和紙・生糸などを屋内で生産する必要から生まれたもので、急傾斜の勾配をもつ屋根は、豪雪に対応する形式である。白川郷の合掌造りとともに知られています。世界遺産・菅沼合掌集落にも立ち寄ろう。
石 川 県
・石川県の景観。石川県は南高北低の地形で、山と海の自然を持ち合わせる。南部には、日本三名山の一つ白山、中部には県内最大の手取川の織りなす渓谷美や日本海側第二位の規模を持つ内灘砂丘などがあり、また、日本海に突き出た能登半島、日本海の荒波によって発達した海食崖や、複雑な海岸線の織りなす、見事な海岸風景を見ることが出来ます。特に能登金剛の厳門、真浦海岸の夕日、鶴仙渓、恋路海岸、白山連峰、手取渓谷などの名勝がたくさんあります。
兼六園(国の特別名勝)・成巽閣庭園(名勝)輪島の朝市などの見どころをめぐりましょう。
温泉も県内各所にあり、中でも山中・山代・粟津・片山津の加賀温泉郷をはじめ新興温泉が百以上あり豊富な湯量が沸き上がっています。祭りも豊作を感謝する“あえのこと”(国の重要民族文化財)・百万石まつり・清伯祭・石崎奉灯祭・御陣乗太鼓等が行われています。
・御陣乗太鼓 (石川県無形文化財指定)天正5年(1577年)上杉謙信が名船村へ押し寄せてきた折、当時の村人が武器らしきもの持たず、村の古老の指示で、鎌や鍬まで持ち出し、その上樹の皮で仮面を造り、海藻を頭髪として太鼓を打ち鳴らしながら夜襲を掛け上杉勢を撤退させたと伝えられています。村人達は名船沖にある奥津姫神の御神徳によるものとし、毎年神社の大祭時に仮面をつけて太鼓を打ち鳴らしながら神輿渡御の先駆をつとめる。感謝を捧げる習わしとして現在に至っている。
(御陣乗太鼓公式サイトより)
・兼六園。金沢市兼六町。市のほぼ中心部、水戸の偕楽園、岡山の後楽園とともに日本三名園の一つとして数えられている。もともとこの庭園は、金沢城の外郭として利用されていた。十二代藩主が白河楽翁(松平定信)に庭園の命名を依頼、楽翁は{洛陽名園記}の文中から「宏大・幽邃・人力・蒼古・水泉・眺望」の文字を採り、六勝を兼ねた庭として兼六園と命名した。昭和六十年、国の特別名勝に指定された。見どころは、徽軫灯籠・海石塔・瓢池・翠滝・霞ヶ池・金沢霊沢・曲水・蠑螺山・山崎山・夕顔亭・雁行橋など数多くあり、春は桜、初夏はツツジにカキツバタ、秋はハギ・カエデ、冬は木々の雪吊りが美しい、四季折々楽しめます。隣接する成巽閣.建物は国指定重要文化財に、成巽閣庭園も素晴らしい庭園で国の名勝に指定されており、立ち寄ってみましょう。
・内灘砂丘。鳥取県の鳥取砂丘に次ぐ、日本海側第二の規模を持つ海岸砂丘栗崎町からかほく市に至る砂丘です。藩政時代は砂丘固定作業として、クロマツ・ニセアカシア・ネム・カワラグミなどが植栽されている。現在は灌漑設備を完備し、スイカ・ナガイモ・アスカラガス・ラッキョウ・果樹類などが栽培され、一部は住宅団地に変わっている
・手取峡谷。石川郡鳥越村。県最大の河川で、白山に源を発して北流する手取川中流の延長約一0㌔にわたる渓谷。手取川の河岸段丘をえぐり、淵となり、せせらぎとなり、滝となって見事な渓谷美をなしているあいだに不老橋・黄門橋などの景勝地などの見どころがある。特に初夏の新緑や秋の紅葉時が一段と素晴らしい。
・越前加賀海岸国定公園の見どころ。
・尼御前岬―源義経が奥州に逃れる途中一行に遅れた尼がこの先にある安宅の関をおそれ、一行の無事を祈って身を投じたところと伝えられている岬。荒々しく浸食された奇岩が見事な景観を呈している。その他に加佐岬・片野海岸・片野の鴨池なども訪ねてみたいですね。
・安宅の関所跡。石川県小松市安宅町。安宅町は、古くから日本海の要港として栄え、藩政時代には藩の米蔵が置かれ“酒屋千軒寺千軒”といわれるほどにぎわった。よく知られることに歌舞伎「勧進帳」謡曲「安宅」で有名な、義経一行が山伏姿で落ちのびようとした折この関所の関守富樫左衛門厳しい尋問にあったが弁慶の起点で、危なく難を逃れることが出来たとされる関所跡で、現在は「安宅の関跡」の石標や弁慶・富樫の銅像、与謝野晶子の歌碑などがあります。県の史跡に指定されている。
・那谷寺庫裏庭園。小松市那谷町。寛永一二年建立の庫裏・書院と同時に築造されたもので、小堀遠州の作庭といわれる平庭式庭園で、園内にはシイ・スギなどの巨木や種々の樹々が茂りあい、その樹間に歩石を並べ、ところどころに自然石や石灯籠を配置している。西側に茶室如是庵が、東側に池があり、その池には小さな島がひっそりと浮かんでいる。昭和四年に、国の名勝に指定された。また那谷寺本堂・那谷寺護摩堂・那谷寺三重塔・那谷寺鐘楼が国の重要文化財に指定された。
・鶴仙渓。石川県加賀市山中温泉河鹿町。温泉街の東を流れる大聖寺川に架けられたこおろぎ橋から黒谷橋までの約一㌔渓谷をさし、こおろぎ橋の名の由来は、秋ともなると付近の千草に、いかにも哀愁をおびて鳴くこおろぎの音にちなんでその名があり、木造の清楚な美しい橋です。渓流沿いに遊歩道が設けられてている。黒谷橋までのあいだに、鳥帽子岩・平岩採石岩・蛙岩・弁慶岩などの奇岩・怪石が点在し、道明ヶ淵という深淵などもあって、自然の妙味を繰り広げ、また四季折々の風情が楽しめます。
・能登金剛・金剛の見どころ。福浦港から関野鼻にいたる海岸線約二九㌔の間を、能登金剛と呼び、能登半島外浦海岸特有の、海蝕崖の断崖が連なる海岸で、いたるところに奇岩や海食洞があり豪快な海岸線を展開している。その男性的な景観は、朝鮮の金剛に比して優るとも劣らぬといわれていることから、能登金剛の名がある。全島岩石でできている碁盤島や険しく切り立つ鷹の巣岩などの島々である。この辺りはウミウガ多く生息しており、鵜ノ戸という島などは、岩肌が糞で真っ白になっている。その近くに大きな岩石が海に突き出て、小舟なら通るぐらいの洞窟となっている巌門がある。ここは源義経一行が奥州に落ちのびる途中、追っ手を逃れて隠れたところだと伝えられています。生神から関野鼻の間に機具岩・増穂浦・玄徳岬・ヤセの断崖など見事な海岸風景が連続している。
・輪島。有名な輪島塗漆器・能登半島周辺の幾多の観光地―曽々木海岸・鴨が浦海岸・西牡海岸・仁江海岸・木野浦湾・禄剛崎・金剛崎・見付海岸など、また、全国的に知られる、御陣乗太鼓や輪島の朝市などを見学に出掛けられませんか。曽々木海岸は能登金剛と並ぶ景勝地で名勝・天然記念物に指定されています。(御陣乗太鼓の起源―上杉謙信一軍が能登半島攻略のおり、村の古老の一計で、木の皮に目鼻を付け、髪に海藻をつけ太鼓を轟かせて夜襲をかけ上杉一軍は思いもかけぬ奇襲に恐れをなして敗走した、これが御陣乗太鼓の起源とされています)琴が浜にを寄ってみよう。
岩間の噴泉塔群。村内岩間。三群からなる大小三〇個の噴泉塔群で、サボテン状をなした頂上の突起か、噴水のように絶えず一〇〇度C近くの熱湯を噴き上げている。わが国には奥日光湯沢、北アルプス白骨温泉、同じく湯俣川などに類例があるが、石灰華になるものは稀で、その数と規模においても及ばない特別天然記念物に指定されている。
県の自然景観。県北部は、九頭竜川が形成する福井平野が広がり、上流は画白山地に属する山岳地帯である。沿岸部は日本海沿岸一帯が越前加賀海岸国定公園に指定されており、越前岬や海蝕崖の東尋坊、越前松島などがさまざまな表情を見せている。また若狭湾国定公園に指定されている県南部はリアス式海岸が延び、背後には山が迫って、北東から南西へと狭長な地形となっているが、気比の松原や三方五湖、若狭蘇洞門などの景勝地がある。祭りは北陸三大祭りの一つに数えられる三国祭りをはじめ、火産霊神社の馬鹿ばやし、奥越の火祭り、すりばちやいとなど、伝統行事が今も継承されている。
県のシンボル。県花―「スイセン」、県木―「松」、県鳥―「ツグミ」、県魚―「越前ガニ」
・養浩館庭園。福井藩主の別邸。七代藩主松下吉品が、元禄年間に大改修したもので「御泉水屋敷」の別名のとおり、広大な園地を中心として回遊式の庭園と、園地を望むように配された書院造の建物群からなる。江戸中期の代表的庭園であったが、昭和五七年、国の名勝に指定されたのを機に復元事業が進められ平成五年に約八年の歳月をかけてほぼ忠実に再現された
・馬鹿ばやし。火産霊神社に伝わる芸能で“馬鹿ばやし”は300年の伝統を持つといわれ、県の無形文化財に指定されている。ひょっとこ・お多福・鬼など、三七面のさまざまな面と衣装をつけ、太鼓と笛にあわせて滑稽な所作をするもの。
一乗寺朝倉氏庭園。湯殿跡庭園、諏訪館跡庭園、南陽寺跡庭園、義景館跡庭園の四庭園を指す。昭和四二年以降の発掘調査でその全容が明らかになったが、長い年月を埋もれていたため、後世の修理の手が全く加えられていない点、貴重なものであります。いずれも山裾近くに庭を配し、大きい石を数多く用いた汀線が複雑であり、池がほそながくなっているなどの点で共通している。わが国でも第一級の豪華を誇るといわれている。昭和五年名勝、平成三年に特別名勝に指定された。
・永平寺。永平寺町、志比谷の奥に曹洞宗の大本山として知られる永平寺がある。チリ一つない参道が、樹齢六八〇ともいわれる杉並木に挟まれてつづき、荘厳な雰囲気をただよわせている。永平寺は寛元二年に領主波多野義重が道元禅師を招いて建立した、わが国曹洞宗の大本山であり、禅宗の修行道場である。建物の広は延べ一万四千八百平方㍍、境内の面積は三三万平方㍍にも及ぶ大寺院で、今日では年間百万人以上の観光客が訪れる、今や北陸一の観光地です.
・東尋坊。海岸沿いに、巨大な輝石安山岩が見事な柱状節理をみせてそそり立ち、日本海の荒波にあらわれて勇壮な景観が展開する。断崖の先端が海中に没するあたりには、いたるところに奇岩・奇礁が連なり、ローソク岩・ライオン岩・船付岩・千畳敷など、名前そのままの自然の造形美が目を楽しませてくれます。海蝕崖・柱状節理は、この北方の雄島や越前松島付近にも見られ、これらを含めて「東尋坊」として国の名勝・天然記念物に指定されている。北陸随一の奇勝との評もある。(雄島・越前松島にも立ち寄ってみよう。)
・九頭竜峡。奥越の山岳地帯を縫って流れる九頭竜川は、いたるところに奇勝・絶景の峡谷美をつくり、美しい伝説を生み出している。なかでも絶景とされるのが、越美北線下唯野駅辺りから、勝原・仏原・和泉村・下山辺りまでの約一0㌔にわたる地帯です。激流が岩をかんで淵をつくり、露呈した千尋の谷の岩肌が美しい。
・越前岬。越前加賀海岸国定公園の西端に位置する岬。高さ百㍍のも及ぶ断層崖が、黒い地肌を露出して、日本海から吹き付ける寒風を遮るようにそそり立っている。東尋坊などの柱状節理とはまた異なった海岸景観である。付近の海岸一帯も含めて日本有終の漁場としても知られています。四季を通じて獲れる魚類も豊富です。眺望は雄大で、天候に恵まれれば北は東尋坊、南は敦賀半島まで見渡せる。スイセンなどが群生し越前海岸独特の眺めです.
・気比の松原。敦賀市街の敦賀湾に面して、砂浜と松林が延々とつづく一大景勝地で、一般には松原公園と呼ばれ、国の名勝地となっている。砂丘の背後に密生する松林は国有保安林です。四季を通じで観光の対象とされているが、夏は市営の海水浴場が開催されて賑わう。
八月一六日には灯籠流しと花火大会が海辺で開催されて、最高の人出となる。三保の松原(静岡県)・虹の松原(佐賀県)と並ぶ日本三大松原の一つ.
・柴田氏庭園。土地の名家柴田氏所有の日本庭園で、甘棠園ともいい、国の名勝に指定されている。柴田権右衛門が、名絵師の狩野探幽に設計させて造ったものという。回遊式築山泉水庭園で環濠の一部を池として、後方に築山を設け、池の北岸には玉石を敷いて磯浜を造り、南岸の築山の渓間には滝をかけ、野坂山の遠望を借景としている。庭をひかえて建つ数寄屋風の書院は昔、藩主の休憩所として利用されたこともある
三方五湖。若狭湾国定公園の代表的な景勝地で、美浜・三方の両町にまたがる久々子・日向・菅・水月・三方の五湖を総称して三方五湖と呼んでいる。五湖の周辺と、北西の常神半島を含めた地域が三方五湖として国の名勝に指定されている。五湖はいずれも釣りの名所として名高く、また若狭湾国定公園が、豪快で男性的な海岸風景であるのに対し、柔軟で女性的な湖岸風景として好対照をなしている。遊覧船による五湖巡りをはじめ、展望のよい梅丈岳へのドライブやハイキング、ハゼ釣り、鴨猟と、四季を通じて楽しめます。
・若狭蘇洞門。小浜市北端部。豪快雄大な景観として、全国でも有数の景勝地に数えられている。小浜湾の東に突き出た内外海半島の先端、久須夜ヶ岳の北の山脚が、外海に洗われるところにある。国指定の名勝である。日本海の荒波が直接ぶつかり、花崗岩の柱状節理に沿って浸食してできた大断崖で、小浜湾口にある松ヶ崎の小山付近から奇岩・洞門・洞窟・断崖が延々とつづき“白石・黒石の硝壁”にいたるまで、実に六㌔にわたって壮大な海食風景が展開している。
・八穴の奇勝。城山公園の周囲には、鷹島・稲島などと呼ばれる小さな島や岩礁が数多くある。これらの島々には、珍しい岩穴が八つあり、八穴の奇勝といわれて昔から広く知られていた。戦国期に武将が矢を隠したという伝説に由来している。今は明境洞、猩々ヶ洞・蛭子ヶ洞・乙女ヶ洞・外ヶ洞・鼓ヶ洞・鋏ヶ岩の七つが残っている.
・音海断崖。内浦半島の突端、今戸鼻と押回鼻に延々二㌔余りにわたってつづく、安山岩が日本海の荒波に洗われてできた大海蝕崖最も高いところでは二七〇㍍もある。断崖の中腹をモクゲンジの黄色い花が彩る。
岐阜県の自然景観。岐阜県は本州の中央に位置し、海のない「内陸県」で「飛山濃水」という言葉で説明されるように、北には日本アルプスを形成する飛騨山脈がその山容を誇り、南には木曽、長良、揖斐の三大河川の流れる濃尾平野が広がっている。飛騨地方、美濃地方それぞれの、山と水がつくりだす変化に富んだ地形は四季折々に魅力あふれる表情を見せてくれる。岐阜県の暮らしや文化も、そんな特徴のある二つの自然景観と深く結びついていることは、多くの史実や残された文化財が証明している。県下の祭りは、春と秋の「高山祭り」は全国的にも有名だが、東西にも南北にも文化の通り道として栄えた岐阜には、数多くの特色のある祭りが残されている。豪壮な「古川祭」、華麗な群舞が繰り広げられるの「谷汲踊」など多く期間中には多くの観光客を集める。一方、岐阜には各地で村歌舞伎、人形浄瑠璃、能狂言が演じられてきた伝統があり、能郷白山の「能狂言」真桑の「人形浄瑠璃」などは現在まで脈々とその伝統が継承されている。芸能の故郷とも呼ばれるゆえんである。(郷土資料辞典より。)
岐阜県の県花「レンゲ草」県鳥「雷鳥」
・金華山。標高三三八㍍、市内のどこからでも眺められるので、岐阜市のシンボル、稲葉山ともいう。北は長良川に望んで断崖絶壁、南は木曽川が外堀のように山をめぐらしている。中山道を押さえる要害の地で、古くから城が築かれた。山頂には、復元された岐阜城天守閣がある。全山うっそうとした緑におおわれており、山頂からは、眼下に岐阜市街や、長良川、遠くには木曽・御嶽・養老・鈴鹿の山なみを一望することが出来る。西麓一帯は岐阜公園になっている。
長良川の鵜飼。鵜飼は、長良川のほか、犬山(木曽川)・日田(三隅川)などの各地で行われるが、その歴史・格式からももこの長良川の鵜飼かことに著名で、県内外はもとより、国外にも知られている。鵜匠と中鵜使いそれぞれ一人ずつと船頭二人が乗り込み、鵜匠は風折烏帽子に紺麻の単衣、腰箕という舎人風の装束の身を固める。鵜飼が昔宮中行儀の一つであったころの名残です。赤々と川面を照らす中、巧みに網を操りながら流れ進むさまは勇壮豪華な一巻の絵巻物です。
根尾谷の菊花石。根尾村松田。輝緑岩または輝緑凝灰岩中に、放射状の割れ目ができ、その割れ目に方解石が埋まって、石の表面に菊花の美しい形が現れたもの。愛石家がもっとも珍重する奇石で、国の特別天然記念物に指定されて、保護されている。
・霞間ヶ渓。(かまがたに)岐阜県揖斐郡池田町藤代。濃尾平野の西にそびえる池田山の一角にあたり、山麓に通じる路傍に約一㌔にわたって山桜のほか、ヨシノ・エドヒガン・シダレザクラで、目通り一・五㍍を越えるものもあります。ことに山中に多い常緑樹に映えて桜の景観は、一段の趣をそえている。渓山の景勝に富んでいることから、昭和三年、国の名勝・天然記念物に指定された。
・日本ライン下り。木曽川とその支流飛騨川が合流する地点を起点として、下流の犬山市に至る約一三㌔の木曽川を日本ラインと呼んでいる。命名したのは大正二年、この地を訪れた地理学者志賀重昂博士が、その景観がドイツのライン河と似ているのところから「誠に是れ一幅ラインの縮図」とたたえたことから、いつしか“日本ライン”と呼ばれるようになった。この渓谷美を眺めながら、川船に乗って約一時間の船旅が日本ライン下りです
・白髭神社の流鏑馬。この神社の例祭、五月五日平貞盛東征の故事になぞらえて行われる流鏑馬は、スギの老樹がたちならんだ約三百㍍の参道で行われ、馬を走らせながら三本の矢を的にあてるという古式豊かな行事です。
・鬼岩(鬼岩公園)可児町鬼岩公園。可児川の上流次月川の支流に沿った、粗粒黒雲母花崗岩の渓谷です。両岸には節理の粗大な花崗岩が絶壁となってそそり立ち、その上に太郎岩・屏風岩・行者岩・臼岩などと名付けられた巨岩塊が積み重ねっている。渓谷にも風化の残塊で爼岩・菜箸岩などの奇岩があり、河川の浸食現象も見られる。昭和九年に国の名勝・天然記念物に指定されている
・郡上おどり。起源は明らかではないが、寛永年間、時の八幡藩主が藩内の民心の融和を図るため、無礼講の盆踊りを奨励したのが始まりという。毎年七月~八月にかけて、毎晩のようにどこかの町内で踊りがあり、中でも八月一三日から一六日までの四日間は町をあげて夜明けまで踊りぬかれる。踊り明かす人は全国から集まり、その数は三五万人ともいわれ日本の三大民謡の一つとして知られる。特徴は踊りに参加することと、一〇種類の踊りすべてがわが国の重要無形民俗文化財に指定されています。郡上には、郡上おどりと並んで「白鳥おどり」があります。こちらも約400年の歴史がある伝統的な盆踊りで、軽快なテンポが若者に人気。古くは男女が心を通わせる場として親しまれていました
・恵那峡。恵那峡建立自然公園内。木曽川には数多くの景勝地があるが、恵那峡もその一つ。ここは中流に造られたダム湖で、日本観光地百選第七位に選ばれた景勝地である。木曽川上流に一二㌔に及ぶ大ダム湖。両岸には軍艦岩・獅子岩・屏風岩などと呼ばれる多くの奇岩怪石が迫り、それらの下をくぐったり、遠くを眺めたりしながら遊覧船や快速艇が走っりまわっている。ここは桜の名所として知られ春は桜ツツジ、夏はハイキング・釣り、秋は紅葉、冬は恵那温泉につかったり、暖房船による湖上遊覧などで楽しめる。
・傘 岩。恵那峡の左岸、千畳岩のそばにある岩で、千畳岩は三百人もがその上にあがれるほどの巨大な平らな岩である。その隣にあるキノコのような形をした奇形の風化残塊である。風化・風蝕・雨蝕による奇岩として、昭和九年、国の天然記念物に指定されている。
・高山祭り。日本三大美祭。高山祭りは、一月一七日の荒神社礼祭に始まり、十月十日の秋の高山祭りまで、四六の神社に及ぶ祭礼を総称するが、俗に高山祭りとして全国に知られているのは、春四月一四・一五日の両日にわたって行われる山王祭と秋の一〇月九・十日両日に行われる八幡祭である。この二つの祭礼は、ともにわが国の「山車祭り」としては代表的なもので、祇園祭・秩父祭りとともに広く知られています。飛騨独特の闘鶏楽・雅楽などの古風な奏楽とともに神旗・獅子舞・一文字笠にカミシモ姿の警護に守られた神輿渡御が、古い城下町のたたずまいの中に美しい絵巻物をくり広げます。この祭礼の呼び物は、春祭り・秋祭り合わせて二三台にも及ぶ絢爛豪華屋台(山車)の練り歩きで、その一台、一台に飛騨工匠の技が生かされている.
・合掌造り民家園。白川村鳩谷。荘川村から白川村にかけて庄川沿いに点在する集落を総称して白川郷と呼んでいた、ここにあった合掌造り民家は、かって七〇〇戸といわれてが、御母衣ダムの建設で現在は五九戸を残すのみとなった。この合掌村は、失われつつある合掌造民家を後の世にまで伝えようとするもので、いずれも県の文化財に指定されています。合掌造りは陸の孤島であったこの地方の人々の生活から生まれた独特の建築様式であった。この地方では耕地に恵まれないため、分家させて土地を与えることができなかった、したがってその家屋も多くの家族を収容する必要があったのと、養蚕のための場所を必要としそうした条件をかなえるものとして造りだされたのが合掌造りです
静 岡 県
静岡県の自然景観。昔のままの姿を誇示する自然景観が数多く顕在している。代表的な富士山をはじめ、随所に見られる滝、渓谷や海岸、湖、川、そしていくつもの山々。本県ならではの景観は、内外から高い評価を得ている。こうした自然に親しもうと、四季を通じて観光客の足取りは絶えることがない。訪ねてみよう静岡県に。「祭り・温泉」重要文化財に指定されている大井川町の“藤守の田遊び”“火まつり”、熱海温泉の花火大会など全国的に有名な祭りのほか、わが国最初の総領事館を置いたハリスにちなんだ「黒船祭り」といった珍しい祭りもあります。一方、温泉は伊豆を中心に各地方で沸き出ており、湯治客が多数訪れている。
・日本平。静岡市と清水市の境界線上、有度山の北側一帯に広がる平原で、地名の由来は、昔、日本武尊が東征の時、賊の放った火のため窮地におちいったが草なぎ剣で危険を脱し、この山に登って四方を眺めたという伝説から出たものという。特に富士山の好展望台として有名で、眼下の三保松原・清水港を前景に、駿河湾越しに富士・愛鷹・箱根・伊豆の山々の雄大な景観が楽しめます。また西に目を転じると静岡市街が広がり、晴れた日には北方はるかに南アルプスの山並みも遠望できる。四季を通じて行楽客が絶えないが、春の桜、秋の紅葉、冬の富士の展望と、それぞれに特色を持っている。国指定名勝で、「日本観光百選」平原の部第一位にも選ばれている。
・久能山東照宮。徳川家康を主に織田信長と豊臣秀吉を合祀している。日本平からロープウェイデモ行けるが表参道から十六折一一五九段の急な石段を登って頂上にたどり着く。家康の遺言によってここに遺骨を葬むった。家康の遺骨は後に日光東照宮に移されたが、家康の祖廟として重要視されている。現在一三棟が国の重要文化財に指定され、境内には徳川歴代将軍の愛用の品々が展示された博物館があります。
・梅ヶ島温泉の景勝地。
・安倍川花菖蒲苑 ・安倍の大滝・日影沢金山跡・大谷崩などがあり多くの観光客が訪れる。
・三保松原。清水市の南端、駒越から真崎にかけて駿河湾に約五㌔の突出を見せる砂嘴がある、長大な白砂と松林が延びている。古くから歌枕の地で羽衣の伝承地として名高いまとここから眺める富士山の姿は国の名勝に指定されている
・藤守の田遊び。毎年三月一七日に行われる「藤守の田遊び」は、国の重要無形民俗文化財で、大井川の水霊を鎮め、稲の豊作を予祝する神事芸能で、中世以来の伝統をもつという。夕方から深夜にかけて内又・外又の儀式のあと、耕作や収穫のさまを組み込んだ舞楽がおごそかに繰り広げられる。
・寸又峡。「静岡の自然一00選」の一つに選ばれている深勝。大井川の支流の寸又川が合流するあたりから上流約二0㌔までの間をいう。渓流は稲妻型の蛇行を繰り返し、深く切り込んだ谷の絶壁からは大小無数の滝が落下している。奥大井川自然公園の景勝地であります。モミ・ツガや広葉樹におおわれた山肌が新緑・紅葉に染まる美しさは定評があります。(目もくらむような絶壁、清流か曲流する、接阻峡にも足を伸ばそうよ。
・日蓮正宗総本山大石寺・“富士五山”の一つで、日蓮正宗の総本山。日蓮大聖人没後、その高弟の日興上人が身延山を去り、上野の地頭南条時宗の寄進を得て創建した。その後一三坊が完成、室町時代には宝蔵・本堂・御影堂・総門などの諸堂宇が建設され、法華信仰の大寺として隆盛した、その後江戸時代には六代将軍家宣夫人天英院から山門を、亀山城主板倉勝澄から五重塔を寄進されるなどして発展。大正元年に日蓮正宗と改め現在に至る。
・富士山。静岡・山梨両県にまたがる日本一の高峰で最高点は剣ヶ峰の三七七六㍍で、雄大な裾野をひいて屹立するその山容は美しく、国の名勝に指定されている。信仰の山としてもあがめられ、日本人の“心のふるさと”とされ、世界でも名高いわが国を代表する名山であります。円錐火山、あるいはコニーデ式火山といわれている。頂上にはスリバチ型の噴火口があります。富士山測候所があり一年間職員が常駐する世界最高所の測候所です。
・白糸の滝。芝河の上流、国道一三九号沿いにあり、高さ二〇㍍、幅約二〇〇㍍の湾曲した絶壁の前面にかかる滝で、大小無数の滝が玉すだれをかけたように落下している。富士山の雪解け水が地中にしみこみ、湧水は一一度Cと低く、滝の前面にはたえず虹がかかって、滝壺付近は真夏でも肌寒い。名滝として知られる。
・伊 豆。紺碧の海、火山のもつ独特の山肌と緑、いたるところで涌く温泉、そして歴史と伝説に彩られた史跡、伊豆はいろいろな表情をもつ。新幹線・東名高速道路・東海道本線と幹線に結ばれ、さらには私鉄・バス・ドライブウエイが発達し年間を通じて多くの観光客が訪れる日本を代表する観光地・温泉地である。(郷土資料事典から)
・熱海市.日本を代表する国際観光温泉都市で、温泉郷は熱海・伊豆湯河原・伊豆山・伊豆多賀・網代などの五つからなっておりその中心は熱海温泉で、海に迫る円形ステージのような山の斜面に、大小約三六〇軒のホテル・旅館が林立している。熱海の語源は、昔、海中に熱湯が湧きだしていたことに由来するとの事。東京の「奥座敷」ともうたわれている。
・お宮の松。海岸通りに設けられた、フェニックス並木と植込みのつづく細長い公園のなかにあり、尾崎紅葉の未完の大作「金色夜叉」の舞台となったところで、マントをひるがえしてお宮を蹴る姿を現した像が立っている。
・石廊崎。西の駿河湾と東の相模湾を二分するように、太平洋に突き出ている。岬の周辺には蓑掛岩をはじめ大小取り混ぜて、無数の奇岩や岩礁が白い波しぶきあげ、壮大な景観が広がっている、遊覧船も出ている。
・楽寿園。三島駅の南側に隣接して約六万七千平方㍍の広大な敷地をもつ自然林で、池泉回遊式庭園が設けられている、戦後昭和二七年三島市の所有となり、一般に公開されてりる。春、秋自然の別天地となっている。国の名勝・天然記念物に指定されている。
・浄蓮の滝。湯ヶ島温泉の南約二㌔、狩野川上流にかかる伊豆第一の名瀑、高さ二五㍍のそそりたつ玄武岩の岩壁から、幅約七㍍の滝が落下している、神秘的な雰囲気を醸し出している。
・御前崎。豪壮な遠州灘と、雄大な駿河湾に囲まれ、海中に長く突出た岬で、御前崎遠州灘自然公園の中心地。海辺の奇岩、波頭にたわむれるカモメ、浜辺を彩る松の緑と、詩的な景観をつくりだしている。周辺一帯にウミガメの産卵地として、国の天然記念物に指定されている。
・浜名湖。景観の美しさに定評のある浜名湖周辺の旅は、かつての「遠州路の旅」といわれた。遠州とは遠江のことで、この国名は、近江の琵琶湖(淡海)にたいして、浜名湖を「遠つ淡海」と呼んだのに始まるという。現在では浜松も都心や大阪に交通の便もよくなり近くなった。何度の訪ねてみたいですね。
・伊豆大島。伊豆大島は地球の仕組み噴火の中で生き抜く動植物のたくましい姿をワクワク楽しめる大地の公園です。伊豆大島は若い火山の島で、火口から噴きあがった溶岩が島を作ってきました。島には黒く固まった溶岩流や、黒い砂漠ほか、生きている火山を体感できます。島で生きる生き物たちは体のつくりを変化させたり、暮らし方を変えたりして厳しい環境の中で生きてきています。そして住民の暮らしもまた火山との関わりの中で営まれて来ました。地球が活動していることを体感できる景色に生き物達の生命の輝きに、自然と暮らす住民の話に心奪われるそんな体験をしに、伊豆大島を訪れて見てください。”地球っていきているのですね””命ってたくましいですね” そんな言葉が自然に出てきますよ~(伊豆大島ジオパーク公式サイトより
)
愛 知 県
愛知県の自然景観。山と海、平野に恵まれた多様な地形を持っている。県東北部には三河高原が広がり、なだらかな起伏の山々がある。三重県と知多半島の間に伊勢湾、知多半島と渥美半島の間に三河湾を持ち、海岸には観光地が多い。また太平洋に面した温暖な気候を利用した、花卉や野菜の温室栽培も盛んである。また、濃尾平野を流れる木曽川、長良川、矢佐川などを利用した千拓地も広がっている。また当地の祭り・伝統芸能は、現在の漫才の起源といわれる三河漫才や、五穀豊穣を祈る田楽も伝えられている(三河漫才・西尾てんとこ祭り・鳥羽の火祭り等々)(郷土資料事典より)尾張・三河からは近世に名を残した三人の天下人が出現。織田信長・豊臣秀吉・徳川家康の三人で日本の歴史に大きな足跡を残し、その偉業が伝えられ、それにまつわる史跡・城跡・遺跡・神社・仏閣などが数多く残されている。
・名古屋市・県の南西端、濃尾平野をひかえ、伊勢湾奥に位置しする県庁所在都市。東京と大阪の中間に位置し、別名中京と呼ばれ、日本第四の人口を有する巨大都市です。
・名古屋城。金の鯱で知られる名古屋城、徳川家康の第九子義直に築城させた、代表的な平城、名古屋のシンボルとなっている。本丸・をはじめ多くの国の史跡や重要文化財・国の名勝が残されている。二ノ丸庭園などを散策してみたいですよね。
・熱田神宮。昔から「あつたさま」「宮」と呼ばれて親しまれている。三種の神器の一つ(草薙剣)をまつり、今も正月三が日で二〇〇万人を超える参拝客が訪れる。社宝には国指定の来国俊銘の短刀をはじめ、国の重要文化財・県指定の文化財を多い。伊勢神宮に次ぐ由緒ある大宮として全国に知られている。
・西尾張。名古屋市の北方と西方、一般に西尾張と称される市町村。県の最北端に位置する犬山市は、国宝犬山城・茶室如庵をはじめ、明治村・日本モンキーパークなどがあり、日本ライン下り・犬山鵜飼を加え県内有数の観光都市です。稲沢市は、由緒ある古社寺が多く、国指定・県指定の文化財が多く、津島市も毎年七月に行われる「津島祭り」が盛大におこなわれる、また祭りとしては一宮市の「はだか祭」・「七夕まつり」などが行われます。
・犬山城・犬山城・愛知県犬山市にある、白帝城ともいい、木曽川に臨み高さ約88㍍の丘に築かれている。白帝城の名は、この地に遊んだ荻生徂徠が、城の景観の美しさに、李白の詩から名づけたという。戦国時代の世といえど変転目まぐるしい城主の変遷があったが天文六年織田家六代目信康の時に現在地に移したいう。天守は国宝に指定されている。
・日本ライン下り。木曽川の、美濃大田(岐阜県)から犬山市までの一三㌔は日本ラインと呼ばれる景勝地である。地理学者志賀重昂氏がドイツの有名なライン河をなぞらえて、日本ラインと命名したという。小舟で急流を下る日本ライン下りは、スリルに富み、両岸には絶壁がそそりたち、ライオン岩・ラクダ岩・メガネ岩などと名付けられた奇岩・怪岩が遊覧客の目を楽しませている
・木曽川提のサクラ。岐阜県境を流れる木曽川堤防上にあるサクラ並木で市内北方町から江南市草井町にいたる約九キロの堤防の両側に植えられた桜で、エドヒガンサクラとシダレザクラ大部分を占めている。洪水により崩落した御回提の再建に当時の県知事の呼びかけに地元有志が苗木を持ち寄り植樹したことが始まりです。一時サクラの木は減少したが一宮市が「二世サクラ」を植樹したことから、現在は往時の姿に戻りつつある(名勝・天然記念物に指定されている)
・岡崎公園。岡崎市康生町。昭和三四年に復元。三層五重の天守閣をはじめ、徳川家康誕生の城で、家康ゆかりの、産湯の井戸・えな塚・遺言碑・遺訓碑・竜城神社・家康公銅像などがある。家康公像は生誕三五〇年を記念して、昭和四〇年四月に建立されたものです。園内は、緑に囲まれ、サクラ・フジなどの自然に恵まれ、毎年四一日から一五日間、公園一帯で盛大に「サクラ祭り」が行われる。約三千本の桜の咲き乱れる公園での「家康行列」など多彩な行事が繰り広げられる。
・阿寺の七滝。鳳来町下吉田。阿寺川の上流、第三紀の基底礫岩の断層崖に出来た瀑布群で、名のとおり七段となって落下する奇観を見せている、一大景勝地となっている。瀑布は礫岩にかかっている点、巨大甌穴とがある点で、浸食地形としては珍しい例である。昭和九年国の名勝・天然記念物に指定されている
県内には「史跡・城跡・遺跡・神社・仏閣・公園・庭園・国指定文化財」等が多く存在します。
富 山 県
・黒部渓谷温泉郷。富山県黒部市にある温泉郷、黒部峡谷の玄関口に位置する富山最大の温泉郷、富山県北東部の黒部峡谷をトロッコ電車で宇奈月より更におくに行った秘境で、車ではいけないところで、北アルプスを、源とする高低差3,000mの大峡谷で、この峡谷沿いに点在するのが野趣ある。露天風呂のある温泉で日帰りも可能、但しトロッコ電車は5-11月営業でまた前日までに予約しておくこと。行かずにおれない秘湯である
黒部川の峡谷沿いに湯煙をあげる秘湯
・黒薙温泉ー宇奈月温泉の源泉で、峡谷最古の露天風呂
・鐘釣温泉ー鐘釣駅にある河原に涌きだす露天風呂
・欅平温泉ー峡谷随一の名勝・猿飛峡付近にある宿や足湯
・名剣温泉ー欅平駅より、徒歩15分、渓谷の奥座敷で渓谷に囲まれたランプの灯りで入る露天風呂
・祖母谷温泉ー欅平駅より50分、大自然の真っ只中にある秘湯中の秘湯。30代・40代・50代に訪ねているが、再度訪れてみたいところです。(富山県観光公式サイト一部抜粋)
・宇奈月温泉。黒部渓谷の電源開発計画とともに、大正一二年黒薙温泉から引き湯して開湯され、その後、電源開発工事の進展とともに、その玄関口として発展し、昭和二一年大火に見舞われたが、すぐに復興を成し遂げた。四季それぞれに楽しめる温泉である。温泉街には多くのブロンズ像ほか彫像が配置され、また黒部川に注ぐイワシ谷には“宇奈月の十字石”があり、県の天然記念物に指定されている
黒部川に注ぐイワシ谷には“宇奈月の十字石”があり、県の天然記念物に指定されている
・湯谷温泉。木曽義仲が五箇山へ敗走する平氏を追った時、ここで負傷者を療養させたという、戦国争乱の時も、傷をいやす武士たちが絶えなまったという。庄川峡船着場も近く、湖上からの眺め、四季折々ともに素晴らしい。湯谷温泉から約一一㌔下流の庄川の川岸に湧く庄川温泉郷にも立ち寄ってみようよ、付近の桜や、庄川峡探勝の足場に良いですよ。
石 川 県
・加賀温泉郷。石川県の加賀市と小松市にある温泉の総称・主に小松市の粟津温泉、加賀市の片山津温泉、山代温泉、山中温泉、4つの温泉を表す名称として使われることが多く、加賀四湯とも呼ばれている地理的に「関西の奥座敷」と評されることもある
・粟津温泉ー開湯1300年の歴史を持ち、泰澄により発見されたと伝えられている。北陸最古の名湯、各旅館が源泉を持っており古くから湯治場として親しまれている、芒硝泉は「美肌の湯」とよばれ、無色透明に近くきめ細かい肌触りの湯である。
・片山津温泉ー300余年の歴史を持つ加賀温泉郷では、もっとも歴史が新しい温泉地で柴山湯湖畔に広がる温泉地、白山連峰を一望し、みごとな風景美が感動的。含塩化土類食塩泉で、湯冷めにくいと評判の名泉である。
・山代温泉―北陸3県でも最大級の温泉街の一つ、4つの温泉街の中心に位置する。1300年以上の歴史があり「からすの湯」と呼び親しまれた温泉、北大路廬山人や与謝野晶子が愛した伝統と文化の香りのする名湯。
・山中温泉―僧・行基による開湯伝説があり、1300年の歴史があると伝えられる。他にも長谷部信連の開湯伝説がある。蓮如や芭蕉(四聖として崇めている)多くの著名人が滞在した。鶴仙渓と呼ばれる景勝地や、散策を楽しめるゆげ街道をはじめ、共同浴場や山中節や久谷焼きなどが楽しめる
・和倉温泉。石川県七尾市にある温泉。北陸で唯一の海の温泉として広く、全国に知られている。開湯は古く1200年大同年間とされる歴史の古い温泉で、説によりますと当初は、薬師嶽の西、丸山の湯の谷に湧き出し、その後、地穀の変動で海中に湧き出し口が移動したと伝えられる。その後和倉に暮らしていた漁師夫婦が、湯気立つ海で白鷺が身を癒しているをみて「湯の涌き出ずる浦涌浦(わくら)」が発見されました。その後前田利家が腫れ物の治療に使った事から、涌浦には多くの湯治客が訪れるようになった。その後も評判が評判を呼び、京都から、大阪から豪商や、俳人などが多く訪れるようになり、より名を馳せるようになった。今は山代温泉と並び、県内温泉地における宿泊客トップを競う形となっている。2007年の能登半島地震後、大部分の旅館は営業を再開しているとのこと。(和倉温泉観光協会より)
・白山(手取・新岩間・一里野・中宮)白山の山麓には多くの小温泉地が分布。昭和36年に国民保養温泉地に指定される。手取温泉は金沢市に近く、手取川が見事な渓谷を形成しておりテニスコートなどの施設が整備されている一里野温泉はスキー場が整備されスキー客を集め、対照的に新岩間は一軒宿の温泉地で、中宮温泉は胃腸病の霊泉として知られる、療養客が多い。
・湯涌温泉・金沢市街の南東、医王山の麓にある温泉地です。発見は古く718年、地元の職人が白鷺の湯浴みを見て温泉を発見したといわれています。加賀藩主の隠し湯でもあった。現在は豪華な温泉ホテルが建ち並ぶまでに発展している。皮膚病の特効で知られています。また、行楽向きの温泉地となっている。
岐 阜 県
・下呂温泉。下呂温泉は、兵庫県の有馬温泉、群馬県の草津温泉と並び「日本三名泉」の一つに数えられる天下の名泉。天暦年間(947~957年)に源泉が発見されて以降、おおよそ1,000年もの歴史を持つ由緒ある温泉(開湯伝説・一羽の傷ついた白鷺が発見ー白鷺伝説)昭和になるまで「湯ノ島」と呼ばれていた。江戸時代、林羅山が「わが国は諸州に温泉を多く有す。その最も著しいものは摂津の有馬、上州の草津、飛騨の湯ノ島(現下呂)と賞賛している。現在、益田川両岸の多くの高層ホテルが林立する下呂は中部地方を代表する歓楽型温泉地であるとともに、三大名湯の誇りを持っている温泉地であるまた多くの「炭酸泉」が湧き出る温泉郷でもあり、「美人の湯」でも有名で有ります。何度でも浸かりたい湯ですね~(下呂観光協会サイトより)
・奥飛騨温泉郷。岐阜県高山市にある5つの温泉の総称。昭和39年6月に平湯温泉が、同43年11月には平湯以外の温泉が国民保養温泉地に指定された。
・平湯温泉エリアー。「老猿伝説を今に残す天下の名泉」武田信玄が飛騨に攻め込んだとき、老猿が湯だまりで傷を癒していた、これが発見の由来といわれる天下の名泉「平湯温泉」江戸時代に参勤交代の諸大名がここを宿場とし長旅の疲れをいやした。以来今日まで、至る所にこんこんと湯が沸き続けています。いまも温泉情緒豊かな温泉地です。
・福地温泉エリアー。「村上天皇がおしのびで療養された・天皇泉」平家の落武者伝説を残す、山里の素朴ないで湯「福地温泉」。村上天皇がおしのびで療養されたことから「天皇泉」とも称される古い温泉です。昔話の里五平餅村・石動の湯、福地化石館にも立ち寄りを。
・新平湯温泉エリアー。「高原に広がるにぎやかな湯の町」歴史と伝統、そして新しい魅力もあわせ持つ、賑やかないで湯の里、新平湯温泉。湯量豊富な新平湯温泉には、素朴な民宿から近代的なホテル、落ち着いた和風旅館まで揃っています。高原のリゾートムードが漂う温泉地には貴重な歴史も残されています。
・栃尾温泉エリアー。「おふくろの味が嬉しい素朴な湯の里」むかしトチの木がたくさんあったことからこの名が付いたといわれている。庶民的で気取らない宿が多く、山菜や川魚を使ったおふくろの味が対好評。渓流釣りを盛んである。浦田川の河原にある共同露天風呂にも寄ってください。
・新穂高温泉エリアー。「リゾートムードたっぷりの露天風呂天国」北アルプスを仰ぐ高原に広がる新穂高温泉。豊富な湯が川床からこんこんと湧き出る露天風呂天国。白樺林のなかに、ホテルやペンションが立ち並び、リゾートムードいっぱいです。また、新穂高は、北アルプスの槍ヶ岳・穂高岳への登山口でもある。(奥飛騨温泉郷観光協会サイトより一部抜粋)
・白狐温泉。土岐川に臨み、深い森を背にした野趣豊かな温泉である。宝永四年老僧大雲和尚によって開かれたといわれている。和尚がある日、岩の下にうずくまっている一匹の白狐を見つけたが、白狐はどうやら傷ついているらしかった。数日後、白狐は元気になって去っていったが、和尚が白狐のうずくまっていた場所に行ってみると、そこに温泉が湧いていたという。白狐温泉の名はその伝説から名付けられたものである。
・湯屋温泉。小坂町湯屋。小坂川に沿った閑静な場所にあり、絶好の保養地です。この温泉が発見されたのは天文年間(1532)のことで、以来湯治場として広く人々に親しまれてきた。炭酸の含有量が多いことでは全国屈指といわれています。最近では中京地区をはじめ関東・関西・北陸方面からの訪れも多く、夏は御岳登山客や釣り人の利用が多い。
静 岡 県
県内には、宿泊施設19655軒、温泉地もたくさんあり年間宿泊客も1067余を数え全国で2位を占めている。熱海、伊東、稲取、伊豆長岡、土肥などの有力な温泉地が県内各地に分布している。半島内部の中伊豆では修善寺、天城湯ノ島などの歴史のある温泉地がつづく。多くの人達が一度は訪ねたことのある温泉地ですね。
・熱海温泉。静岡県熱海市にある温泉地、約300軒の旅館、ホテルが立ち並ぶ大温泉地、熱海は自然環境に恵まれ、源泉数や湧出量も日本屈指、日本の歴史を動かした徳川家康に選ばれた温泉としても知られている。熱海温泉の起源は約1250年前(天平宝字(755~765年)箱根権現万巻上人によるとされています。熱海温泉を最も発展に寄与した一人が徳川家康で、慶長9年京都で病気静養中の吉川広家の見舞いに「熱海の湯」を運ばせたところに、家康公の熱海温泉への気の入れかたがうかがい知れる。その後歴代将軍に「御汲湯」として大湯の温泉を頑強な男数人で江戸城まで運ばせたことなどからも窺い知れる。また、家康公が熱海を幕府の直轄領としたことから土地の治安・風紀が守られたと有ります。
・熱海の四大温泉
・熱海温泉―湯量が豊富で、お肌に良い弱アルカリ泉が多く、美肌効果に優れたメタけい含有率が高い温泉が多いのが特徴
・伊豆湯河原温泉―(泉地区)万葉集にも詠われた落ち着いた旅館が立ち並ぶ。比較的単純泉が多く、気軽に楽しめるやさしい温泉が多い
・伊豆山温泉―古湯「走り湯」を中心に発展した歴史ある風光明媚な温泉場含鉄泉や酸性泉など、珍しい泉質にも出会える。
・南熱海温泉―(多賀・網代地区)泉温が高く良質の温泉が多い地域。メタけい酸含有率が高い温泉が多いことも特徴の一つ。(熱海温泉旅館組合公式サイト)
・伊東温泉。静岡県伊東市にある温泉。別府、熱海とともに日本三大温泉郷の一つに数えられる温泉郷その豊富な湯量は毎分32,480リットルで、全国有数の涌出量を誇る伊東温泉の魅力は、温泉の楽しみ方を多彩に提供する施設・サービスの豊富なことで、規模の大きいホテル・旅館、和風情緒豊かな温泉旅館、リゾートホテル、民宿、ペンションなど、広範囲に数多く存在するのと、近年では、市内のホテルや旅館などで、日帰り入浴サービスや、市内各所に足湯や手湯もあり、また、昔ながらの共同浴場も数多くあり、人々との交流や温泉情緒を楽しめる。発見は平安時代か、それ以前といわれている。伊東の湯は三大将軍徳川家光に献上され、その名は庶民の間に広まり、湯治場として栄える。その後の昭和13年に伊東線が開通して著しく発展した。徳富蘇峰、田山花袋、川端康成、若山牧水といった文豪が紹介してきた事もある。首都圏からアクセスもよく、華やかで知名度も高い温泉である。
・修善寺温泉。静岡県伊豆市北部にある温泉です。伊豆半島で最も歴史ある温泉で、日本百名湯に選ばれている伊豆最古の名湯である、修善寺温泉の歴史は、平安時代に弘法大師が開いたとある。同温泉のシンボル的存在の「独鈷の湯」も弘法大師が沸出させたとされ、これが修善寺温泉の起源とされている。温泉街の中心に修善寺川(通称:桂川)が流れ、河岸には温泉宿や飲食店が立ち並んでいる。温泉街付近では源氏に関する史跡が多く、鎌倉幕府第2代将軍、源頼家の墓や頼家の冥福を祈って母の北条正子が建てた指月殿などが残っている。(伊豆最古の木造建築)独鈷の湯を含め、外湯も 稚児の湯、川原湯、筥湯、新湯、滝の湯、石湯、寺の湯、杉の湯の湯全部で9ヶ所の外湯がありましたが、現在は筥湯(はこゆ)のみとなり独鈷の湯は川の増水などの安全面から現在の位置に移されました。明治時代に入り交通網が整備されると多くの文人墨客が利用し作品の舞台になったことから一躍脚光を浴びるようになり、湯冶客が増えていきました。岡本綺堂・芥川龍之介・尾崎紅葉・泉鏡花・夏目漱石・島崎藤村・田山花袋・川端康成・井伏鱒二。など多くの文人達を魅了した修善寺温泉、歴史薫るしっとりした風情あふれる温泉修善寺、何度と無く訪れたいですよ。
県内には温泉地が114ヶ所余湧出量は全国6位を誇り宿泊客数も全国2位とランクされ
熱海、伊東をはじめ稲取、伊豆長岡、観山寺、、下田、修善寺、土肥、修善寺、天城湯ヶ島など沢山の温泉地があり多くの人達が一度は訪れている温泉県ですね。
愛 知 県
県内の宿泊施設のある温泉地が35ヶ所余あり温泉の湧出量は毎分1万9000ℓで全国37位にランクされ宿泊客は年間延べ149万人余を数えている。名古屋市、蒲郡市の三谷温泉や西浦温泉,
湯谷温泉などの温泉地が知られている
・湯谷温泉。(ゆや温泉) 愛知県新城市にある温泉。景勝地で知られる鳳来寺山の麓、湯谷を中心に宇連川沿いに広がっている湯谷温泉、奥三河の秘湯であり、中部有数の名湯である。日本百名湯にも選ばれている。開湯伝説によると、開湯は古く、1、300年前であるとされている。風来寺の開祖、利修仙人により、発見されたと伝わる。仙人は温泉の優れた効力によって、心身の調和をとり、修行を極め。。。実に三百八歳の長寿を全うした(長篠村史)との記録が残る
・西浦温泉・県南部、三河湾に面した西浦半島の先端に位置。海の全景が一望できる風光明媚な温泉地で多数の温泉ホテルが密集しており、海岸は白砂の浜が形成されている。その自然環境とし地の利とともに、当県の温泉地の存在を広める拠点となっている。4月の桜祭り、夏の潮干狩りなど温泉浴と組み合わせた観光も楽しめますよ。
・三谷温泉。1200年ほど前に僧行基が発見したと伝説が残る温泉で三河湾に望む蒲郡市にある温泉で、東洋一の高さの弘法大師像のあり、海岸は遠浅で、海水浴時期には海水浴の客で賑わう温泉地です。周辺にはヨットハーバーや海水浴場、総合テーマパーク「ラグーナテンボス」等もありマリンリゾート&スポーツのメッカです。
・内海温泉。南知多町内海、知多半島の南西岸、白砂もあざやかな海岸に面する行楽向きの鉱泉。海岸は東海随一と称される海水浴場で、また海釣りの格好の場所ともなる。背後には秋葉山をひかえているため、冬も暖かく避寒地向き。
・尾張温泉。蟹江町蟹江、町の北西部、木曽川のデルタ地帯にある新興温泉で宿泊施設は、演芸ホール・大庭園風呂・遊戯場・白川郷の合掌造りの民家を移した別館などもあり行楽・釣り・療養に格好の温泉地です.
〒663-8124
兵庫県西宮市
TEL