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新しい視点で○○○を活動する hide&ryo2

hide&ryo2活動内容

活動報告写真

家族や、グループで訪れた観光地や温泉地、これから訪ねてみたい景勝地等をスタッフの協力を得ながら情報発信いたします。ゆっくりご覧ください





 北海道を訪ねてみよう    
 
  ・道 央   ・道 南  ・道 東

  道 北   北海道の温泉地  


 東北を訪ねてみよう

 ・青 森      ・岩 手    ・宮 城

 
 ・秋 田     ・山 形     ・東北の温泉地

  新潟・北関東・東北南部を訪ねよう

 ・福 島    ・茨 城    ・栃 木


 ・群 馬    ・新 潟   ・東北南部の温泉地


・道 央

北海道は日本列島の最北に位置し、本島と大小の島々でなっている。日本全土の5分の一を占める大きな島です、北は宗谷海峡をへだててロシア領サハリン、北東は根室海峡をへだてて北方領土、南西は津軽海峡をへだてて、青森県に対し、南は太平洋、西は日本海、北東はオホーツクに面しています

道央地方 
札幌市とその周辺.
札幌市の歴史は、明治2年(1869)7月の開拓使設置に始まる。北海道の行政、経済、交通、文化の中心となっている。町並みは雄大な都市計画により整然とした街路区画をもち、大通公園や、エリム・アカシヤの街路樹などや藻岩・円山原始林、緑豊かな中島公園、北海道の代表的な温泉の一つ定山渓温泉などが有り、千歳市は北海道の空の玄関であり、支笏洞爺国立公園の一環をなす支笏湖の景勝を有する周辺の町村は早くから開拓され、北広島市は道内稲作栽培の先駆として知られ、石狩川河口はかってのサケ漁でにぎわった。
・札幌市
日本最北の政令指定都市で、全国の市で4番目の人口を有する、北海道の政治・
経済の中心的・北海道庁所在地。(2014年10月1日現在 人口1,942,643人)めざましい発展の要因は、行政機関の集中と経済力の集中で、北海道開発局をはじめ、各省庁・公団・公社などがあり年間販売額も全土の50%近くを占めています。札幌駅の南側では大通公園を中心に狸小路、すすきのなどの繁華街を形成し市内には北海道庁旧庁舎・豊平館などの重要文化財が残され、水道記念館をはじめ多くの文化施設があります。例年行われる(2月)雪祭りも有名です。札幌で行われる「まつり」四季折々におこなわれるイベント
・さっぽろ雪祭りー毎年国内外から約200万人の観光客で賑わう北海道最大の雪祭り
 ・さっぽろライラック祭りー札幌にある大通公園で開催される初夏の祭り
 ・YOSAKOIラン祭りー高知県のよさこい祭りと北海道のソーラン節をあわせたお祭り
 ・さっぽろ夏まつりーさっぽろの夏の風物詩・納涼ガーデン・花火大会など見所満載
 ・さつぽろオータムフェストーご当地グルメやラーメン・道産子とっておきのお酒など
  札幌に大集結する秋を祝うお祭り。
 ・さっぽろホワイトイルミネーションー幻想的なイルミネーションがさっぽろ駅
   大通公園を鮮やかに彩る初冬のイベント。
 ・北海道庁旧庁舎・北海道大学・北海道資料館・時計台 もう一度訪ねてみたいな~
  


(資料・札幌市公式サイト参照)
北海道の中心として栄えてきた札幌・時計台をはじめ北海道旧庁舎の建物など、北海道を代表する建造物が多くありますね~
・大通公園
 札幌市中央区大通り西1丁目に位置する。1.5kに及ぶグリーンベルトでこの通りを境に南の条、北の条に分れ、春のチュウリップ、バンジー、秋の菊・冬の葉牡丹と色とりどりの花が 絶えず、緑のオアシスで、東にはテレビ塔、大噴水遊水路・カナール他があり、冬は世界的に有名な雪まつりやライラック祭りがある

・時計台
 札幌市中央区北1条西2丁目に位置する。
札幌市民憲章「わたしたちは、時計台の鐘がなる札幌の市民です」、札幌のシンボルとして親しまれている1881年8月12日から現在まで当時の姿のままで時を刻み、鐘を鳴らしている。米ハワード社製・振り子式、お盛は豊平川の玉石、木箱には、運針用約50k、打鐘用約150 k、現在も時計師が週2回重りの巻上げをしている
 ・中島公園
   札幌市中央区南10条西七丁目に位置する公園
藻岩山を背景に市の中心部に位置し、道内最古の公園で「水の公園」として古くから市民に親しまれている。園内にはハマナスが、日本庭園が、百花園が、またスポーツセンター、野球場が有ります。「日本都市公園百選」に認定されている。「菖蒲池」をはじめ、国の重要文化「豊平館」「八窓庵」なども有り、近くに東北・北海道で最大の歓楽街「すすきの」があります
 ・豊平館
   中島公園内にある。国の重要文化財に指定される。
日本庭園の南隣にある木造洋風建築で、建物は明治13年(1880)、開拓使の洋風ホテルとして建立したもので翌年14年8月明治天皇の行幸の折の宿泊所として利用された。昭和33年北海道博覧会の折に現時位置に移転し今は公会堂に、結婚式場にと市民に利用されている
 ・円山公園
   札幌市中央区宮ヶ丘に位置する公園
約68平方メートルが園地で、園内には円山動物園や、島判官紀功碑・野球場・陸上競技場・テニスコートなどが有ります、自然に恵まれた北海道らしい公園です。
 ・北海道大学 
   札幌市北区北8条西5丁目に位置する
北海道開拓のため設立された札幌農学校を前身とする北海道大学12学部15研究科ほか、低温科学研究所などをもち約1万7千人の学生が学んでいる。札幌農学校初代教頭、ウイリアム。スミス、クラーク「ボーイズ・ビー・アンビシャス(青年よ大志を抱け)という有名な言葉があり、その言葉の精神を受けついで多くの人材が育っている
  ・北海道開拓記念館
    札幌市厚別区厚別町に位置する記念館
昭和43年の北海道開拓100年記念事業の一つとして46年4月に開館した道立自然公園指定の野幌森林公園にある歴史博物館として1971年」に開館、北海道の自然や歴史に関する資料の調査・収集・保存と展示を行っている、また各種講演会・講習会の開催を行っている、ナウマゾウの化石の復元模型や、アイヌ民族の伝統的住居のチセの再現などを行なっている。
  ・北海道開拓の村
     札幌市厚別区厚別町にある野外博物館
1983年4月に開村した北海道開拓時代の「博物館相当施設」で、54ヘクタールの敷地に63棟の歴史的建造物が移築又は再現されている。開拓時代当時の再現や、当時の遊戯文化や伝統技術の伝承活動を行っている。一般法人北海道開拓の村が指定管理者として管理運営を行っている。
   ・さっぽろ羊ヶ丘展望台
     札幌市豊平区羊ケ丘にある展望台
北海道内でも屈指の観光名所で、南東方向から札幌市街を展望でき、それを背景に腕を伸ばしたウイリアム・スミス・クラーク博士の全身像が展望台内に置かれている風景は有名です。(北海道三大夜景 藻岩山、函館山、小樽の天狗山)
 ・百合が原公園
      札幌市北区百合が原公園に位置する。
当公園は札幌市北区の総合公園で、昭和58年開園、昭和天皇陛下御在位五十年記念事業で造成された世界の百合広場には、この公園のシンボルである約100種類のユリが植栽されています。他にもライラックやチューリップなど、多くの種類の植物が植栽されています。札幌を代表するフラワーパークです。
   ・江別市とレンガ
     江別のレンガは、1890(明治23年)に野幌地区で生産された赤レンガが始まりで、その後昭和初期には軍の需要が高まって増産され、「野幌レンガ」として全国に知られるようになったレンガ作りの赤いサイロがまだ数多く残っている。
   ・千歳市の名の由来
      空の玄関口千歳、かって千歳一帯はアイヌ語で「大きなくぼみ」という意味の「シコツ」と呼ばれていました文化2年(1805)年、シコツ場所担当の箱館奉行調役並山田鯉兵衛嘉充が箱館奉行の羽太正義に新しい地名を付けてほしいと願い出ました。当時千歳は多くの鶴が空を舞い、川辺は鶴の生息地となっており、「鶴は千年、亀は万年」の故事にちなみ「千歳」と命名されました。この名前の由来は今から200年前の江戸時代に、千歳神社の弁財天を収めている厨子の後部に記されており、道内では少ない和名となっています。    千歳市HPより

 石狩川流域  
北海道第一の長流石狩川の流域で、石狩川の船運・屯田兵の入植・集団移民で早くから開けていた地域です。同時に日本一の規模と埋蔵量をもつ石狩炭田もこの地域にあり、道内最古の歴史を持つ幌内鉱をはじめ夕張・芦別・三笠・美唄・歌志内・赤平などの、いずれも炭鉱で発展した市で、日本有数の炭鉱地を形成していた石炭の斜陽化から、 新しい産業に活路を見出している。
  ・石狩鍋 
    北海道を代表する鍋料理です。鮭をぶつ切りにして、野菜・豆腐・こんにゃくなどとともに、昆布の煮出汁・味噌などで味付けして煮こんだ鍋料理。
  ・空知地方のメロン 
    空知地方のメロンのブランド名 浦臼(うらうす)メロン・北海キングメロン・輝禄メロン・暑寒メロン・北竜メロン・あしべつメロン・夕張メロン・月形メロン・くりやまメロン・三笠メロン。特に”夕張キングメロン”のブランドで有名。炭鉱閉鎖後の地域振興に一役買っているメロン。(北海道に出向けば是非、ジンギスカン料理も食したいですね~)
   ・坂本九思い出記念館
     北海道夕張郡栗山町大井分256-21 。坂本九さんが生前、縁のあった知的障碍者通所授産施設「栗山ハロー学園」での思い出を沢山展示し、ハンディをもつ多くの人に生きる勇気と輝きをプレゼントしてくれた「九ちゃんの功績」を永久保存している。  
・いしかり砂丘の風の資料館
  石狩市弁天町30-4に位置する資料         
石狩川河口地域の自然や歴史、石狩紅葉山49号遺跡の展示を中心に石狩市の歴史や地詩情報を提供している。館内1階、川・河口・海の3ゾーンでそれぞれの地域の自然や歴史、海のゾーンでは巨大なクジラの骨や、オオワシ、ゴマフアガラシの剥製や、石油採掘の模型、800万年前はここが海だった事を証す地図の展示、河口ゾーンはチョウザメの剥製、川ゾーンでは鮭漁のメッカでもあり、日本で始めての缶詰工場が出来た所でもあり缶詰マシーンの展示なされている。
・夕張市石炭博物館
   北海道夕張市高松7-1にある博物館。
北海道の明治期以降の基幹産業の石炭産業を、石炭と炭鉱のテーマーに分け、石炭の生成から開発、利用など技術や労働、生活を実物の資料、坑道、石灰層なから紹介している。約7m幅の石炭の大露頭(道指定天然記念物)なども見れる
・幌向村駅逓所跡
   空知郡南幌町本町に位置する。空知地方にあった駅逓30ヵ所のうちの1つ。駅逓所は交通不便な時代に、交通の要所にあって、旅客の宿泊、馬の体休めや、駅馬での荷物運送や、奥地の開拓者への手紙の集配などをしていた建物で町の史跡に指定されている。
・空知地方のメロン 
   空知地方のメロンのブランド名 浦臼(うらうす)メロン・北海キングメロン・輝禄メロン・暑寒メロン・北竜メロン・あしべつメロン・夕張メロン・月形メロン・くりやまメロン・三笠メロン。特に”夕張キングメロン”のブランドで有名。炭鉱閉鎖後の地域振興に一役買っているメロン(北海道に出向けば是非、ジンギスカン料理も食したいですね~) 

・坂本九思い出記念館
   北海道夕張郡栗山町大井分256-21 。坂本九さんが生前、縁のあった知的障碍者通所授産施設「栗山ハロー学園、思い出を沢山展示し、ハンディをもつ多くの人に生きる勇気と輝きをプレゼントしてくれた「九ちゃんの功績」を永久保存している。
・東明公園 美唄市東明に位置する公園です。数年の歳月と当時の市費2億円を投じて造成、開園当時258000平方米の都市公園で春には3500本の桜と、15000本のツツジが咲き誇る空知随一の桜とツツジの名所です、市外からの観光客で賑わいます「スペース・カリヨン」もあらたな名なっている。 

 小樽市と後志地方
 
   ・小樽市
    小樽市は道内西海岸第一の港湾都市であり、商工業都市としても古い伝統をもつ市である温スキー場・海水浴場にも恵まれ、ニセコ積丹小樽海岸国定公園に指定されている積丹半島は江戸時代は松前藩の「場所」が置かれて開け、昭和初期は「北の米」といわれたニシン漁で繁栄した昭和30年代では減少し幻の魚となるがこの地方が水産地帯であることに変わりない。ニセコ連峰は「東洋のサンモリッツ」とも呼ばれ夏山登山のメッカである。また羊蹄山は「蝦夷富士」の名で知られる。古くから港湾都市として発展した都市で、歴史的建造物が多く、観光都市としても人気が高く人口道内第七位の都市です。小樽港は北海道開拓の玄関口として発展、当時は、大型船を集め、はしけ(台船)を使って荷揚げしてい多くなり、はしけが直接倉庫の近くまで入れる水路を作りました。これが「小樽運河」です。小樽運河は、大正12年完成、穏やかに湾曲しているのが特徴。しかし、時代が変わり戦後になると港の埠頭岸壁の整備により、その使命は終わりをつげる。昭和61年運河は、十数年に及んだ埋立てを巡る論争の末に一部を埋立て、幅の半分が道路となり散策路や街園が整備され現在の姿に生まれました。運河の全長は1140mで、幅は臨港線に沿った部分は20m、北部は当初のまま40mとなってい運河周辺は毎年2月上旬「小樽雪あかりの路」がもよおされる夜は、キャンドルを入れた浮玉が運河に数多く浮かべられ、幻想的な雰囲気となり、多くの観光客で賑わうもう一度散策してみましょう(小樽市公式HP)  
・日本銀行旧小樽支店 北海道小樽市色内1丁目に位置する銀行業務は平成14年に廃止、現在は金融資料館。建物は辰野金吾・長野宇平治・岡田信一郎3氏による設計、1912年7月完成建築費は当時の金額で約40万円とか。当時の最新建材の鉄骨や、壁には防火シャツター、ロビー周囲は岐阜県産の大理石が使用されている。「北のウォール街」多くの銀行が密集し、大手銀行の支店など華やかな建造物が残されている。(銀行・商家・倉庫・医院等等市指定歴史的建造物67件あるそうです)
 ・小樽の祭り・水天宮神社祭 6/14~16日・龍宮神社祭 6/20~22日・住吉神社祭 7/14~16日・海の神々をまつり、ニシンの豊漁を祈願・他におたる潮まつり、毎年7月潮ねりこみや花火大会。小樽雪あかりの路・毎年2月手づくりのアイスキャンドル点灯。等がある
・小樽と鰊 (おたるとニシン)近世から近代にかけて、鰊漁場として賑わった小樽、その名残が代表的な赤い屋根の鰊御殿(旧田中家母屋)や旧青山別邸(貴賓館)の豪邸からその名残がみられる。
・ニセコ積丹小樽海岸国定公園小樽地区。昭和25年(1950)にまずニセコ火山地域が、そして38年雷電海岸・積丹半島の海岸及び余市・小樽海岸が国定公園に指定」される。祝津海岸には北海道の代表的な民謡として知られる江差追分の追分記念碑やマリンパーク祝津・水族館・ヨットハーバー鰊御殿・八田尚之文学碑などがある。赤岩海岸は奇勝と道内隋一のロックライミング練習場として有名です。
    ・積丹岬 
積丹半島の北東端にあり荒削りで男性的で雄大な景観をもつ岬、背後には積丹岳・余別岳、東に幌武意海岸から美国・余市の変化に富んだ海岸線、西には半島の北西端、弁天岩・夫婦岩・神威岬を
望む。冬の北西風が特に強く、神威岬とともに日本海最大の難所として知られている。東の海中に女郎子岩・源義経とこの地の首長の娘シララのとの恋仲になったが義経がシララに告げず立ち去ってしまった事からシララが海に身を投じ、彼女の化身がこの女郎子岩になったという、今も夏には真っ赤なユリが咲くという。
   ・神威岬 (かむいみさき)
北海道積丹町大字にある岬。積丹岬の相対して突出した岬、日本海最大の難所、岬は高さ約80mの海蝕崖が続き、その沖には海蝕による岩礁がさまざまな奇観を呈していて見る者を飽きさせない。日高地方の首長の娘チャレンカが源義経への悲恋伝説の残る岬。(神威岩)
   ・雷電海岸
北海道後志支庁岩内町。起源はアイヌ語の「ライ-ニ(枯れ木)」、「ラ-エンルム(低い出崎)」説がある。雷電山・岩内岳・目国内岳などの1000m級の山が海岸に迫り、断崖絶壁の続く男性的で豪壮な景観を作り出している。ニセコ積丹小樽海岸国立公園積丹地区のハイライトをなしている。雷電岬・傘岩・カスペの岬・刀掛岩・不落の洞窟や車滝・梯子滝・雲間の滝などが絶壁の間から流れ落ちいっそうの景観を作り出しています。
    ・雷電海岸の見どころ
   ・弁慶の刀掛岩 (かたなかけいわ)北海道岩内郡岩内町にある岩、雷電海岸の代表的な奇岩で青い海面に突き出た断崖は、男性的で雄大な景観を醸し出している。弁慶が、休息した際に、岩をひねって太刀を置いたとか、様々な伝説の残る、刀掛岩。
   ・カスペの岬
安山岩脈が露呈したまま海中に延びるという地質学上珍しい現象を呈している岬、弁慶の薪積岩・雲間の滝・不落の洞窟などもみおとせませんね~

 室蘭市と洞爺湖周辺 
室蘭市は道内随一の臨海工業都市として港湾と鉄鋼で発展した市であり、製紙の街苫小牧市と並んで苫蘭工業地区の中心をなしている。登別市は道内有数の温泉登別温泉で知られる市であり、洞爺湖と並んで支笏洞爺国立公園の中心をなしている。洞爺湖は年間200万人近い観光客で賑わいます。
   ・絵鞆岬  北海道室蘭絵鞆町。絵鞆半島先端の岬で、室蘭港を包むように西に伸び、太平洋に面する南岸は屈曲して絶壁をなし、緑や白色の肌を見せる岸壁と丘陵を彩る森林草地が美しいコントラストを見せる。(断崖に光る太陽光の銀屏風も見ものですね。)
   ・地球岬 北海道室蘭市絵鞆町。絵鞆岬の最南端に突出する岬でチキウ岬ともいう。先端には大正9年(1920)点灯の白亜の地球岬灯台がある。断崖の脚下を洗う白波、太平洋の大海原、さらに対岸の渡島半島の駒ケ岳や恵山岬、遠くは下北半島まで望む景勝の地です。(断崖に光る金屏風も見ものですね。)
   ・のぼりべつクマ牧場 北海道登別市にあるクマ牧場クマに給餌して楽しむことができますよ、野生にかえすことのできないクマの保護収容施設となっている。(地獄谷にもよりましょうよ~)
   ・昭和新山 昭和18年有珠山噴火により畑が隆起し、2年余りで出来た奇跡の山、活動は1年9ヶ月にわたり17回の大爆発を経て20年9月になって活動は止まり、そして標高406・9mの溶岩円頂丘が出現したのが昭和新山。
   ・支笏洞爺国立 支笏洞爺国立公園は支笏湖、洞爺湖の二大カルデラ湖に、羊蹄山、有珠山、昭和新山、樽前山など様々な形式の火山や火山地形を見ることができます。また多種多様な温泉や硫気の吹き出す地獄現象などの火山活動が見られ、まさに生きた火山の博物館といえる公園です。火山活動の恩恵として、定山渓、洞爺湖、登別に北海道を代表する温泉観光地が賑わいを見せ、湖と森と火山の織りなす景観美が人の心を和ませてくれます 
   ・アイヌ民族博物館  北海道白老郡白老町にある野外博物館などの施設群です。アイヌの文化の伝承・保存と公開を目的として昭和42年に建立された。前庭にはコタンのシンボル高さ16m・幅7mの巨大なコタンコルクル(村長)の像がそびえている。館内は生活用品・宝物・装身具・風俗や習慣を伝える器物・手芸品・刀剣等総合的に理解してもらえるように揃えられている、アイヌ民族古式舞踊の紹介もされている。

          
          昭和新山園地
  ・北海道犬 千歳市から日高地方にかけて、国の天然記念物指定の北海道犬の飼育が盛んです内地犬種との影響をうけずに保存された中形の日本犬で、立った耳ととがった口、尾は巻き尾が多い。北海道犬の他、秋田犬・甲斐犬・紀州犬・越の犬・土佐犬・柴犬・琉球犬などが天然記念物に指定されている。     
  日高地方  日高山脈の南西斜面を占めて太平洋に面する広大な面積を有し、古くからアイヌの人々が居住し、ほとんどの町には江戸時代に松前藩の場所が置かれて開けたところです。気候は一般に温暖ですがえりも岬に近い町は暴風日数が多くなる。サラブレッド・アングロアラブの軽種馬の生産が盛んです。また漁業も盛んでコンブが有名です。南端のえりも岬周辺は日高山脈襟裳国定公園に指定される景勝地です。
   ・日高山脈襟裳国定公園 道の中央南部に盛り上がる日高山脈と、太平洋に落ち込む襟裳岬を指定区域とする自然公園です。自然美の最もすぐれた公園です。見どころに、百人浜・幌満峡谷・アポイ岳などは見逃せませんね
   ・襟裳岬 北海道幌泉郡えりも町に位置し太平洋に面する岬。岬の周囲は高さ60mに及ぶ断崖となっており、三段に及ぶ海岸段丘が発達している。眺望が素晴らしく、日高山脈、襟裳国定公園の観光地となっている。風が強いのと黒潮と親潮がぶつかり濃霧が発生することでも知られる。岬の突端の岩場を中心にゼニガ二アザラシが棲息している。
   ・悲恋沼 えりも町庶野にある沼、結ばれぬ恋に散った乙女の涙を湛える静かな沼、その名の由来となったなが和人「久作」とピリカ「マエラ」ノ悲しい恋の物語があります、この世で結ばれない運命と知った二人があの世で再会を誓い別れる・・夏の夜はホタルが舞う神秘の水辺
   ・百人浜 北海道幌泉郡えりも町。約15kの海岸で砂丘海岸です。赤土と草原が広がり、春から夏にかけてのハマナスの咲き乱れを見るのも壮観です。名前の由来は文化年間(1804~17)に南部藩御用船が遭難し、この砂浜で飢えと寒さで全員が死亡したことからでたという。浜辺の一角に「一石一宇塔」の碑が立つている。
   ・アポイ岳高山植物群落 北海道様似群様似町かつ日高山脈支稜線西南に位置する。アポイ岳植物群落は国の特別天然記念物に指定されている。標高500m以上から頂上にかけて珍しい高山植物が多く、シベリア・千島・カムチャッカ方面の寒冷地の植物に富むこと、大陸的要素を多く含むこと、森林に保護された部分に暖地性植物が多いこと、海流の植物に対する影響の大きい事とうが上げられるのでは。エゾコウゾリナ・ヒダカソウ・アポイアズマギク・アポイカンパなど
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  道南地方  渡島支庁と檜山支庁からなる渡島半島は一般に道南地方と呼ばれ、道内でも最も早く開発された地域です。明治初年まで北海道の政治・文化・行政の中心地でもあった。その後函館は開港場、また北海道の玄関口として人口も道内のトップでもあったが、戦後は札幌・旭川にその位置を譲った。歴史の古い地域だけに史跡・旧跡・文化財が残り、函館には明治の旧跡が多く、他地域とは異なった特徴を持っている。自然景観も大沼国定公園・恵山道立自然公園・松前矢越道立自然公園・檜山道立自然公園・狩場茂津多道立自然公園と多彩です。
  函館市周辺 
   ・函館市 南側を津軽海峡(日本海)北側を内浦湾(太平洋)に囲まれ、漁業、海運が盛んな上に観光スポットも多々有り、日本三大夜景の一つ函館山からの夜景、元町、末広町の重要伝統的に観光スポットも多々有り、日本三大夜景の一つ函館山からの夜景、元町、末広町の重要伝統的建物保存地区、函館港周辺、五稜郭、湯の川温泉など必見の場所目白押し、北海道新幹線も2015年完成予定、行きやすくもなります。
   ・イカ釣り漁 6月から半年間、夕方になると漁火がともされ、函館山や大森浜からの景色は風物詩となっている
   ・函館山 函館市本町に位置する。津軽海峡につきでた函館半島の南西端にある山で、海中に噴出した火山である。亀田川などによって運ばれた土砂の堆積によって、亀田半島と陸繋島をつくり、天然の良港となっている。峰は御殿山と呼ぶが臥牛山という別称は、牛が寝ているように見えることからついた名前。頂上からの眺めはナポリ、香港と並んで世界3大夜景の一つとされる。
   ・茂別館跡 北斗市矢不来。道南十二館の1つ(国史跡)全面積9万㎡強あり、道南に存在する同時代の館跡の中でも雄大なものの1つで、(過去の戦でも残った)裏手に開拓使茂辺地煉瓦石製作所跡があり、文明開化期の函館洋風建築に多く使われたレンガの供給をしたところです。
   ・函館公園 函館市青柳町に位置する公園。函館山の東麓丘上にある北海道初の本格的な公園で明治12年(1879)英国領事ユーデスン夫婦の発案によってつくられた。約5万平方メートルの園内には市立函館図書館・博物館(道の有形文化財ー明治初期の貴重な洋風建築物)などがあります。
   ・五稜郭跡 (ごりょかくあと)北海道五稜郭町に位置する。(国の特別史跡)土塁が五稜星型なので五稜郭と呼ばれているが、正式には亀田役所土塁という。江戸幕府の蝦夷地経営と北辺防備のために設けられた。すべての工事完了は1866年(慶応2)であったがそれから2年で江戸幕府は崩壊し1985年(昭和60年)から、郭内の遺構確認の発掘調査が実施奉行所庁舎の復元を中心に、歴史公園として活用が計画されているとか。

   ・四稜郭 函館市陣川町に位置する(国の史跡)五稜郭の北方防備の前進基地として築いた土塁で、五稜郭と同じく西洋式の築城法によっており官軍来襲の前、志卒と住民でが昼夜を通じての突貫工事で僅か数日で完成させたという。
   ・恵山 (えさん)北海道函館市にある気象庁による常時観測対象の活火山。恵山道立自然公園に指定されているほか、新日本百名山、北海道百名山、に選定されている。春はエゾヤマツツジ、秋は紅葉の景勝地となっている。5月~6月 ツツジバタケは凄いの一言ですね~
   ・大沼国定公園 渡島支庁亀田郡七飯町北部。渡島半島南東部にそびえ「渡島富士」とも称される駒ケ岳と、大沼・小沼・蒪菜沼(じゅんさいぬま)の三湖を中心とする公園。大分県の耶馬渓・静岡県の三保の松原とともに新日本三景の一つ.(大沼ー7月大沼湖水まつり・小沼ー1月「水切り」1列には工事に使用された機材や、工事の基地模型、資材パネルもう1列には青函トンネルの計画・着工から完成までの工事の様子などを紹介している。

  
   ・横綱千代の山・千代の富士記念館 北海道松前郡福島町にある記念館.
福島町出身の第41代横綱千代の山と第58代横綱千代の富士の偉業を残すために1997年に開館。優勝杯・化粧回し、千代の富士の国民栄養賞の壺などが展示されている。
檜山地方  檜山振興局(2010年4月支庁より振興局に改組)は道の南西部に突出する渡島半島の西部を占め、この地方は松前町とともに道内ではもっとも早く和人の定住した地域です.
遺跡・史跡など多くが残されております。中でも江差町は、天然の良港に恵まれ、江戸時代からニシン漁で栄えその後大正時代に入ってからは、ニシン漁の不漁からさびれる。郷土芸能の宝庫で、江差追分をはじめ多くの郷土芸能が伝えられている。また日本海に浮かぶ奥尻島は景観にすぐれ、島全体が檜山道立自然公園に含まれる。
   ・檜山道立自然公園  町内西部沿岸。渡島半島西海岸の檜山海岸と奥尻島からなり、優れた海岸美とともに上ノ島は松前氏発祥の地であり、江差は藩政時代ニシン漁の中心地として栄えたところという。文化景観にもめぐまれている。
   ・奥尻島 周囲82㌔の孤島、江戸時代にはニシン・アワビ・ナマコ、またオットセイの狩猟場所であった。鍋釣岩・霊場賽ノ河原・稲穂岬などの景観に恵まれていた、しかし平成5年(1993)年の北海道南西沖地震で壊滅的な被害を受け多くの人達が犠牲になりました。だがその後しまは着実に復興に向かっており、現在は漁業と観光に力を注いでおります。
    ・かもめ島祭り 北海道檜山郡江差町で行われるお祭り、江差のシンボル「かもめ島」と青い海を会場に、道内でも数少ない海の祭典、豊かな自然の中で繰り広げられます。祭りのメインは江差の海の男達が一丸になって瓶子岩のしめ縄かざりを真新しいしめ縄にかけかえる祭事です。(高さ10mもの巨岩にしめ縄をかけかえます)
   ・鍋釣岩 奥尻町奥尻に位置する。奥尻の海岸から約9㌔の沖合いにある奇岩。大きな岩の中央部が、高さ19㍍の空洞でくりぬかれ、ちょうど鍋のつるの形になっている。島の代表的景観となっている。
   ・三本杉岩 瀬棚町字三本杉に位置する。馬場川が日本海に注ぐ河口に瀬棚港がある、三本杉はこの瀬棚港の海岸近くの海中に直立する三つの奇岩で高さ30㍍ほどの暗灰色の輝石安山岩です。岩の上にイワマツなどの植物が繁茂し、あたかも三本の老杉が波間に聳え立つように見えることから”三本杉”の名がある。岩のうち一本が少し離れているところから「主は瀬棚の三本杉よ二本離れて主やひとり」と民謡でうたわれ、有名です。青少年キャンプ村がある。
・ガリンコⅡ号 (流氷破氷船)初代のガリンコ号が実験船を改造した船に対しⅡ号は初めから流氷観光を目的として設計され、大きさも150t、定員195名と大幅に増え、また船内冷暖房完備と整備され快適な航海を楽しめます。1997年1月就航です 乗船し楽しんでみたいもんですね~
旭川市周辺 旭川市は札幌市に次いで道内第二の都市で、道北の経済・交通・行政の中心的役割を担っている市です。市内には平和通買物公園・常盤公園・アイヌ記念館など見るべきところも多い。また大雪山国立公園には登山・スキー客にも親しまれ、道北観光の中心をなす、層雲峡の景観や層雲峡温泉・天人峡温泉・愛山渓温泉などの温泉群を擁している。
・旭山動物園 (あさひかわ、あさひやまどうぶつえん)旭川市にある日本最北の動物園。動物の姿形を見せる事に主眼を置いた形態展示でなく、行動や生活を見せる行動展示を導入した事で注目を集め、1997年以降一躍有名になり入園者数が増加し 北海道を代表する観光地に定着している。
・旭川市博物館 旭川市神楽3条7丁目に位置する博物館。大雪クリスタルホール内にあり、郷土の歴史と自然を展示しており、なかでも細石刃などの豊富な出土資料、集落の復元、工夫されたジオラマで、地域の歴史が一目で わかりやすく紹介されています。
・大雪山国立公園 大雪山国立公園は日本最大の国立公園です。面積は約23万haにも及び神奈川県の面積に匹敵する大きさです。山麓には豊富な温泉が湧出ており、層雲峡・勇駒別・天人峡・糠平・白金・然別湖・トムラシなどの温泉地が有ります
・四季彩の丘 (しきさいのおか)北海道上川郡美瑛町にある観光名所、正式名称・展望花畑四季彩の丘パノラマロードの小高い丘にある「展望花畑四季彩の丘」は、7ヘクタール(東京ドーム3個分)もの広さを有し、季節によってはラベンダーやルピナス、コスモス、ヒマワリなど、年間約30種類の草花が、丘全体にカラフルな絨毯のような咲き誇る美瑛を代表する花園です。(須晴らしいですよ~今も忘れません)
・ケンとメリーの木・美瑛の丘陵地帯に立つ1本のポプラの大きな木・ケンとメリーの木を眺めよう。(一般個人の敷地内ですよ)
・セブンスターの木・美瑛町。美瑛の風景を代表する景勝スポットの美瑛の丘の頂上付近にあるカシワノ木です。呼び名はタバコ・セブンスターのパッケージに掲載された事に由来しています。 ・富良野市 北海道上川地方南部にある市。ラベンダーとテレビドラマの人気で一躍北海道を代表する観光都市の一つで、富良野スキー場もある。(ドラマー北の国から)
・ファーム富田 北海道空知郡富良野町にある農園、ラベンダーを中心とした花が咲き乱れ、一見の価値充分ですよ~たずねてみようよ。
・北海道中心標 富良野小学校の校庭にあり、正式名称「北海道中央経緯度観測標」。大正3年から約2年間、当時の京都帝国大学の博士が、ここを北海道の中心地点として地球の重力や経緯度などの測定をしたことから、記念に中心標が建てられた。
   
・北海へそ祭り (ほっかいへそまつり)毎年7月28日・29日に北海道富良野市で行われる祭りです。富良野市が北海道の地理的中心であることに因んで行われる祭りで、祭りのイベントは、図腹踊りで、お腹を顔に見立てて絵を描き、頭部を大きな傘で隠して踊ることで、毎年海外からも多くの観光客が訪れる。
・赤い屋根のある丘 美馬牛から線路を左手に見ながら美瑛駅方面に走ると、右手の丘に赤い屋根の家が見えるまるで絵本に出てくるような風景です。
・層雲峡 (そううんきょう)北海道上川町にある渓谷で、大雪国立公園に位置し、石狩川を挟み約24kmの断崖絶壁が続いています。北海道有数の観光の中心地となっています。高さ200m前後の柱状節理の断崖を、マリア岩・観音岩・ローソク岩・普賢峰・冠岩などのさまざまな,絶壁を身近に見ることや、大函・小函の渓谷美は素晴らしいですよ、また流星の滝、銀河の滝も見て見ましょうよ優雅な姿で流れ落ちる滝、日本の滝百選に選定されています。(層雲峡温泉へも)
・層雲峡・峡谷火まつり (壮大なお祭り)7月最終土・日曜日に行われるアイヌのアペカムイノミ(火の神まつり)を現代風にアレンジして行われる。クライマックスは夜、アイヌの若者の射手が放つ火矢で始まる流火式である。断崖の渓谷に張りめぐらした松明が、火矢で点火されて、約150㍍の火の滝となって石狩川に流れ、これを合図に仕掛け花火が次々と打ち上げられる夜空を彩り、渓谷を幻想的な一大絵巻となってみる人を夢幻の世界に誘い込む、スケール大のお祭りです。見に行きたいですよ~  こたんのまつりにもいきたいですね~(毎年9月23日)
・天人峡 北海道東川町東部にある渓谷、大雪山連峰主峰旭岳の南山麓にあり、層雲峡と並び称される景観をもつ大渓谷である。絶壁には七福岩・天津岩・見返りの岩・涙岩などの奇岩・巨岩が連なっている。さかのぼると羽衣の滝・敷島の滝がある。
・羽衣の滝 上川郡東川町にある滝で、7段の滝の途中で2つの沢が合流し、落差270mと見事な滝で日本の滝百選に選定されています。
・敷島の滝 羽衣の滝の先にある滝で東洋のナイアガラと称されている見事な滝です
深川市周辺 石狩平野の北端に位置する農業都市であるとともに、周辺町村の中心都市となっている。石狩平野の北の穀倉地帯となっている。この地北端の幌加内町には、巨大な人造湖朱鞠内湖があり、西端の雨竜町には暑寒別天売焼尻国定公園の一環をなす神秘境雨竜沼がある。農業都市であるとともに、周辺町村の中心都市となっている。。
・雨竜沼湿原 雨竜町西部,暑寒別岳の東麓標高850㍍の台地に広がる高層湿原帯で、恵岱岳・群馬岳に囲まれた、暑寒別天売焼尻国定公園に含まれる秘境である。周辺には大小百数十の沼が散在している。沼には浮島があり、ミズバショウ・ヒメシャクナゲ・エゾカンゾウなど60余種にわたる高山植物が咲き乱れる。道の天然記念物に指定されている。
・ひまわりの里  北海道雨竜郡北竜町は日本一を誇るひまわりのさとです。約1ヶ月間の開花期間中、ひまわり迷路、世界のひまわりコーナーの造成、特産品の販売等が行われ道内外の大勢のひとで賑います。エピソードは北竜町ホームページヘどうぞ。
・朱鞠内湖(しゅまりないこ)北海道幌加内町、雨竜川上流に位置する。日本最大の湛水面積を持ち総貯水容量も戦後に佐久間ダムが完成するまでは日本一でした。湖岸線はすぐれた景観を作り出し、オシドリ・カモ・サギなどが飛来する。遊覧船の他・ハイキングコース・キャンプ場等が有り観光客も多く訪れる。朱鞠内道立自然公園に指定されている。

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道東地方  大雪山連峰を中心にして北にのびる北見山地、南に連なる十勝山脈で区切られる.東側の地域で、南は太平洋、東は根室海峡、北はオホーツク海に囲まれている。観光の中心は、中心部にある、阿寒国立公園だが、太平洋岸には厚岸道立自然公園、根室海峡沿いに野付風蓮道立自然公園、オホーツク沿岸の網走国定公園・知床国立公園・知床半島のつけ根の斜里岳道立自然公園と、豊かな自然を残した景勝地に恵まれている
帯広市とその周辺  帯広市は、十勝地方の政治・経済・文化の中心をなす農・商業都市で、大雪山国立公園の南入口になっている然別湖・糠平湖の景勝や諸温泉を神秘的魅力を有するトムラウシ温泉などを訪ねては、黄金道路を利用して襟裳岬へ、雄大な十勝の海岸風景と放牧風景を堪能する旅はいかにも北海道らしいのでは。
・帯広百年記念館 北海道帯広市緑ヶ丘にある記念館,博物館と創造活動センターの機能を持った記念館で1982年に開館しました。博物館では十勝の歴史・産業・自然を紹介、博物館講座・郷土学習見学会・自然観察会が開催されています。館内に設置されたアイヌ民族文化情報センターでは、アイヌ民族の文化や歴史を学習する事ができます。3mにおよぶマンモスの模型も展示されています。
・水光園 帯広市東10条南に位置する。市街地の北東端、十勝・札内両川の合流点に近いこじんまりとした公園。帯広市発祥の地とされている。ボート池もあり、虹鱒なども養殖されている。依田勉三が晩成社(開拓団)を率いて入植したところです。・ピョウタンの滝(札内川園地)・フンベの滝(広尾町)にもよってみよう。
・とかちむら・馬の資料館 帯広市西条南・帯広競馬場敷地内の、とかちむらの隣には、観光案内所が併設された。馬の資料館があります。十勝の開拓時代に活躍した農耕馬の資料や農機具などが数多く展示されている。

・タウシュベツ橋梁~見てみたいですね。
旧国鉄士幌線の鉄道橋、役目を終え今は発電用ダムの建設後は周辺一帯が
ダム湖に沈み、橋梁はダムの中に残された。場所柄、季節や放水状況により
姿が現れたり、隠れたりすることから「幻の橋」とも呼ばれています。
その景色に一度出会ってみたいですね、姿の変化を眺めてみたいですよ~
(夏季の利用には橋梁までの林道には許可車両以外通行禁止などが施されますのでよく調べてからにしましょうね)
周辺見どころ◇ナイタイ高原牧場。ぬかひら温泉郷
  

釧路・根室市周辺 釧路市は道内有数の港湾都市で、霧の街として有名になったが、街の背後に開ける広大な釧路湿原も湿原植物の宝庫であるのと、特別天然記念物である丹頂鶴の生息として名高い。釧路湿原の北方に阿寒連山一帯が”森と湖と火山の国”阿寒国立公園である。摩周湖・阿寒湖・屈斜路湖に、雄阿寒岳・雌阿寒湖・摩周岳などの風景美に加えて弟子屈・阿寒・川湯などの諸温泉にも恵まれ、道東観光の中心となっている。根室市はわが国最東端に位置する市で、納沙布岬、車石、温根沼や風蓮湖は”白鳥の湖”としてよく知られている。風連湖から北の野付風連道立自然公園に指定されており、その北方にはオホーツク海と根室海峡を分ける知床半島が北東に突き出している。知床半島の先端部一帯は知床国立公園に指定されており、うっそうと茂る原生林におおわれてヒグマ・オジロワシ・キツネなどの鳥獣類も多く豊かな自然が残されている。
・幣舞橋 釧路市北大通り、旧釧路川を挟んで分かれる商店街と南の住宅街を結ぶ橋で、北海道三名橋の一つ、現在の橋は五代目。「霧の幣舞橋」などともいわれ、川面から湧き上がる濃い霧に囲まれた風情は釧路独特のものとです。北海道三名橋は豊平橋(札幌市)、旭橋(旭川)、幣舞橋(釧路市)
 ・摩周湖
 弟子屈町にある湖。摩周火山の大陥没底に水がたまって出来た典型的なカルデラ湖で、流入、排水の河川が一本もない湖。霧とブルーの湖水が印象に残る湖。初夏に訪れた時最高のロケーション、霧が晴れかかった折の摩周湖を見ることが出来、素晴らしい一言。世界で2番目に透明度の高い湖。河川の出入りがないにも関わらず水位が変わらない湖、つい布施明の「霧の摩周湖」をくちずさんでいましたよ。
人を寄せ付けない断崖絶壁のカムイトを訪ねましょうよ.(摩周湖)


・大鵬相撲記念館 (たいほうすもうきねんかん)北海道川上郡弟子屈町にある博物館。その名の通り、第48代横綱・大鵬幸喜が少年時代を過した川湯温泉に位置する博物館です。大鵬に関する資料他阿寒国立公園の利用者に供する休憩施設として位置づけられている。 

タンチョウを見に行こうよ~
・釧路湿原 日本最大湿原、タンチョウを初め多くの動植物の聖地。(ラムサール条約登録湿地)1987年7月31日国立公園として釧路湿原国立公園指定されました。釧路市、釧路町、標茶町、鶴居村の4市町村にまたがる。湿原の大部分はヨシ湿原と 一部ミズコケがある。鳥類の繁殖地(タンチョウほか)また日本最大の淡水魚イトウ等が多く生息する貴重な領域となっている。面積18,290h・湿原内を走り回る湿原ノロッコ号に乗って見学しようよ
釧路市丹頂鶴自然公園 市内鶴丘に位置する。世界唯一タンチョウ鶴を放し飼いしている公園です。面積約5万平方㍍の湿地を野犬、キタキツネから守るため金網をめぐらし、中の小川にドジョウを放流したソバやトウモロコシの畑を設け野生のツルの営巣・産卵を助けたりしている。タンチョウは冬季飛来して夏北へ帰る冬鳥ですが、釧路のタンチョウは一年中釧路市 北方の釧路湿原に定住し、繁殖します。国の特別天然記念物し指定されています。
  

・阿寒国立公園。 網走・川上・阿寒・白糠・足寄にまたがる自然公園です。阿寒湖・摩周湖・屈斜路湖・藻琴・雄阿寒湖・雌阿寒湖などの諸火山を配した森と湖と火山の自然景観もさることながら、一帯は世界でも有数の大カルデラ地形として知られている、阿寒カルデラ、屈斜路カルデラ・摩周カルデラなどです。摩周カルデラのそこには、神秘の湖ー摩周湖が静かに水面をたたえている。観光的には、西の阿寒湖周辺と東の屈斜路・摩周両湖方面に大別できる。阿寒湖ではマリモガ生育する湖としても知られている。北海道で最も歴史ある公園ですす。
・マリモ (天然記念物) 緑藻類のシホグサ科に属する淡水藻。直径2~15㌢で鮮緑色の球形状です。スポンジ状で、水気を切れば毛まりのようになって、丈夫です。野球ボールほどの大きさのもので推定年齢150才といいます。北ヨーロッパに分布し、日本では阿寒湖のほかに青森県左京沼のヒメマリモ、山梨県山中湖のフジマリモなどが有りますが、いずれも阿寒のものと比べると、色彩・大きさの点で及ばない。なお3月29日は阿寒湖のマリモが天然記念物に指定された日でありこの日をマリモの日とされている

草花の絨毯・美瑛~
美瑛・四季彩の丘、大雪山を望むなだらかな丘陵地。ラベンダーや小麦などの畑が素晴らしい人間と自然が作り上げたなだらかな丘。春夏秋冬、いずれの季節も壮大で素晴らしい景色が楽しめますよ。私の脳裏に今も残る素晴らしい景色、何度も見たいですね~
美瑛の丘  四季彩の丘のロール君
四季彩の丘では春から秋に数十種類の草花が丘を埋め尽くす。眺望も素晴らしい。
見どころパッチワークの路・パノラマロード・ファーム富田・日の出ラベンダー園
 富良野・美瑛ノロッコ列車他・見どころの花を楽しもう(チューリップ・ルビナス・コスモス・ラベンダー・ひまわり・サルビア・ケイトウ等)

  美瑛の丘   四季彩の丘

・美幌峠 屈斜路湖の北西岸、カルデラの外輪壁を越えたところにある。さして高くはないが、眺望の広さ美しさに定評がある。峠からから眺めたラベンダー、絨毯の眺め今も忘れられません。素晴らしい ~
・納沙布岬 根室市納沙布。納沙布岬は、北海道最東端に位置する、日本で最も早く日の出を見ることができるところであるとともにもっとも北方領土を近くにのぞむ地であります。また納沙布灯台は明治5年に点灯された北海道最古の灯台で現在の建物は1930年(昭和5年)のものです。

半島を車で訪ねましたよ~
知床半島
豊かな森、青い海に恵まれ、秘境も楽しめる半島です
北海道を代表する半島で、2005,国内3番目の世界自然遺産に登録されました。代表的な景勝地として、知床5湖や知床岬、知床国立公園などがあります。
知床自然公園はオホーツク海と太平洋が交わる最東北端の洋上に突き出た、知床半島の先端部一帯を占める自然公園で、突端に行くに従って細くなり、烏帽子に似た長三角形をしている。半島の中央部には、海別・遠音別・羅臼・硫黄などの千島火山帯に属する火山が迫っている。海岸線はペンギン岩・赤岩・蛸岩・観音岩・獅子子岩等名づけられた絶壁・巨岩が連続している。その間にはオシンコシン、カムイワッカ・カシュニなどの瀑布がかかり、厳しい自然の素顔をむき出しにしている。うっそうと茂るトドマツ、エゾマツなどの高山植物が繁茂し、クマタカ・ハヤブサ・オジロワシ・ヒグマ等の鳥獣類も多く、またウミウ・オオセグロカモメなどの海鳥類などの天国で近海ではアザラシ・トド・イルカの群泳も見られる。加藤登紀子が歌い大ヒットした「知床旅情」は、俳優森繁久弥が羅臼町を舞台に昭和35年、映画「地の果てに生きるもの」のロケで訪れたとき、世話になった土地の人へのお礼に贈ったものです。(知床の岬に、ハマナスの咲くころ~すぐにくちずさみますね)また羅臼は高級コンブとして名高いですね。6月~8月が見ごろでしょうね
「見どころ」原生林・斜里海岸の草原、オシンコシンノ滝、カムイワッカの滝、
高山植物群、キタキツネ、国後島、などがあります。
  

・知床国立公園 オホーツク海と太平洋が交わる最東北端の洋上に突き出た、知床半島の先端部一帯を占める自然公園で、突端に行くに従って細くなり、烏帽子に似た長三角形をしている。知床はアイヌ語で「岬」をいみする。半島の中央部には、海別・遠音別・羅臼・硫黄などの千島火山帯に属する火山が迫っている。海岸線はペンギン岩・赤岩・蛸岩・観音岩・獅子子岩等名づけられた絶壁・巨岩が連続している。その間にはオシンコシカムイワッカ・カシュニなどの瀑布がかかり、厳しい自然の素顔をむき出しにしている。うっそうと茂るトドマツ、エゾマツなどの高山植物が繁茂し、クマタカ・ハヤブサ・オジロワシ・ヒグマ等の鳥獣類も多く、またウミウ・オオセグロカモメなどの海鳥類などの天国で近海ではアザラシ・トド・イルカの群泳も見られる。加藤登紀子が歌い大ヒットした「知床旅情」は、俳優森繁久弥が羅臼町を舞台に昭和35年、映画「地の果てに生きるもの」のロケで訪れたとき、世話になった土地の人へのお礼に贈ったものです。(知床の岬に、ハマナスの咲くころ~すぐにくちずさみますね)また羅臼は高級コンブとして名高いですね。
 歌碑

オホーツク海沿岸地方 網走市は、阿寒国立公園の北の入口。市内には能取湖・網走湖・濤沸湖原生花園などの網走国定公園に含まれる景勝地があり、最寄貝塚・大曲洞窟といった遺跡も多いですサロマ湖はわが国3番目に大きい湖で近年観光客も増えています,冬季には流氷見学なども味わえます。

オホーツク海と流氷
オホーツク海沿岸に氷結した海水が風や波のために砕かれて氷塊となり、港にまで押し寄せる流氷世界で最も低い緯度で凍る海。この流氷が知床の良質な魚や海の生物を育む。オジロワシやアザラシなどが姿を見せる自然を観賞しましょうよ。(1月~4月)
留意事項 ①流氷時期を事前に調べておきましょう、②寒さが非常に厳しいですから覚悟して衣服の準備に怠りなきようして出かけましょうよ。
◇周辺の見どころ
・サロマ湖―夕日が絶景、サンゴソウ群生地があります。・オホーツク流氷館・博物館網走監獄・流氷観光船おーろら(網走)・ガリンコ号Ⅱ(紋別)、
・ガリンコⅡ号
 (流氷破氷船)初代のガリンコ号が実験船を改造した船に対しⅡ号は初めから流氷観光を目的として設計され、大きさも150t、定員195名と大幅に増え、また船内冷暖房完備と整備され快適な航海を楽しめます。           

・能取岬 網走市北部に位置する岬市域の北端、屈曲の少ないオホーツク海岸に突出する岬周囲は網走市街から続く急崖で囲まれている。先端部分は牧場に利用されており、牧場近くではキタキツネの生息地もある。岬の灯台下の岩礁地帯ではアザラシの群れを見ることが出来ますよ
・濤沸湖 網走市小清水町 市域南東部にある海跡湖、冬は凍結し、かって南極観測隊の予備訓練場になったところです。オオハクチョウが渡来する「白鳥の湖」としても知られている。とくに11月~12月が最も多く2000羽にもなる。
・紋別市立博物館 紋別市幸町3丁目に位置する博物館。紋別の「ヤマ」(鉱山)「オカ」(農業と生活)「ハマ」(漁業)のテーマ展示がされたいる。また、昭和初期に東洋一の産金量を誇った住友鴻之舞鉱山のジオラマや関係資料を見ることが出来る。
・知床博物館 斜里郡斜里町本町に位置する博物館 。知床の古代から現在に至るまでの歴史や古代遺跡を知るには、また知床を含むオホーツク沿岸地帯の近代史について多く知る事ができます
・オロンコ岩 (オロンコいわ)北海道斜里町ウトロのウトロ港にある高さ60mの巨岩。当地の先住民族「オロッコ族」あるいは「そこに座っている岩」を意味するアイヌ語が名称の由来とされる。岩の上部は平坦な地形で、ブニユ岬、チャシコツ崎、オホーツク海、ウトロの町並みや知床連山など、360度の眺望得る事ができ、それは知床八景の一つにも数えられている。 一見の価値充分ですね~
・北きつね牧場 北海道北見市花丘地区にあるキツネ専門動物園「キツネの町」北見市の温根湯温泉を代表する人気観光スポットで北海道の野生動物の中でも一番の人気を誇り、マスコットキャラクター的存在。

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道北地方  北海道の北端を占める上川北部、最北端の都市稚内、宗谷、留萌をのぞいて見ましょう士別・名寄市周辺 士別市は明治32年(1899)屯田兵の入植によって始まった市で、名寄市とともに周辺農村の中心都市です。名寄市で産する名寄鈴石・名寄高師小僧はともに国の天然記念物に指定されています。(名寄鈴石・鉄質の固い殻と芯となる内容物からなる褐鉄珪石の一種、振るとカラカラと鈴のような音がするところから「鈴石」の名がある)(名寄高師小僧・成因は鈴石とよく似ている。ある植物体を核に土壌中の鉄分が水酸化鉄として沈殿し、のち核の植物体が減少して中空となったものです。)
・羊と雲の丘 士別市西士別町にある観光牧場。羊の牧場としては道内で最も規模が大きく、世界各国からのめん羊が約200頭、頭の黒いサフォーク種など約600頭の羊が飼育されている。
・塩狩峠 和寒町南部に位置する峠、旭川市と稚内市を結ぶ交通の難所として知られる標高274㍍の峠でここから大雪山連峰の眺望を楽しむことが出来る。峠一帯は「塩狩一目千本桜」の名所である冬は激しい風雪に見舞われて沈黙の山となります。
・名寄市北国博物館 名寄市緑丘222に位置する博物館 、「自然を学び、そこで暮らしてきた人々の知恵を未来につなげる」ことをテーマーとして北海道でしかなしえない「北国」の厳しさや実態を学べる博物館です。「北の先史」「カムイの森」と名寄周辺の歴史の展示に、全国で唯一残されたSL排雪列車「キマロキ」の展示があります。
留萌市周辺 日本海に面する留萌の各町村は、ほとんどが漁業と農業を主産業としている。その中心都市が留萌市です。とくに塩カズノコ・タラコ・身欠きニシンの水産加工が盛んで、塩カズノコは全国市場の60%を占め日本一の生産量でありますこの地域には暑寒別天売焼尻国定公園があります。
・暑寒別天売焼尻国定公園 羽幌の市街の西約20㌔の日本海上に浮かぶ天売・焼尻お両島が指定地域の一部で、平成2年8月、国定公園に指定された。いずれも定期船で羽幌町と結ばれているかってニシンの千石場所であった天売島はオロロン鳥(ウミガラス)・ウミウ・ケント・鴨などが乱舞する海鳥の楽園、焼尻島はオンコ(イチイ)の美林でおおわれる島であり、観光シーズンは5月~9月がよく、秋には焼尻島のオンコが赤い実をつけ観光客を喜ばせていますよ。
稚内市と宗谷地方 稚内市(わつかないし)はわが国の最北端に位置する宗谷地方の中心都市で、漁業・水産加工で活況を呈している。稚内市の西の離島、利尻・礼文の両島は近年観光客でにぎわう景勝にめぐまれた島で、国定公園に指定されている。とくに利尻富士のなで親しまれる利尻山はその秀麗な山容で知られる。また、豊富温泉はわが国最北端の温泉で、その上その西に広がるサロベツ原野は6月~7月にかけての花々はまさに壮観ですよ。クッチャロ湖、ベニヤ原生花園の景観も見逃せませんよ。(利尻コンブも有名です。)
・稚内港北防波堤ドーム  (北海道遺産)稚内市開運、宗谷湾を望む北埠頭のシンボル。古代ローマ建築を思わせる世界でも珍しい円柱と半アーチ型ドームの防波堤強風と荒波を防ぐのに建築され、ドーム内では各種のイベント会場としても使用されている。北海道遺産。
・稚内公園。市街の背後の細長い台地上にある公園で、左にノシャップ岬、右に宗谷岬、眼下に市の街並みと港を、正面に宗谷海峡をへだてて遠くサハリン(樺太)を望む景勝の地です園内に各種の記念碑が多く有りますが、第二次大戦時の慰霊碑、九人の乙女の慰霊碑(旧ソ連軍進駐の際、最後まで交換台を死守した)、「樺太犬記念碑」は南極観測に活躍したタロー、ジローなどのカラフト犬がこの地で訓練された事を記念したものです
・宗谷岬 稚内市宗谷岬日本最北端の岬、かっては軍事的要塞であったが現在は平和を願う場所である。海岸丘上に宗谷海域海軍戦没者慰霊碑と平和の碑がある。また、折り鶴を連想させる祈りの塔が建てられている。(大韓航空機爆破事件の遭難者の慰霊)この丘陵は、典型的な周氷河地形として有名で、同時に人工飼料を使わない宗谷黒牛の牧場として、また風力発電機が稼動する基地として有名です、発電機57機
・ノシャップ岬 宗谷岬に対する西側の岬。アイヌ語で「岬の顎のように突き出たところ」「波の砕ける場所」の2つの意味があると伝えられてる。利尻・礼文・樺太まで望めます島根県日御碕灯台に次いで2位の高さを誇る。
・ゴロタ岬 礼文町北西部。西海岸の北端近くにある岬で、周辺海岸は断崖絶壁がそそり立つ。岬からは断崖の連なる海岸線の景観を一望に出来さらに遠く日本海に浮かぶ利尻富士の秀峰を望めます、また付近の海は、アワビの宝庫としてしられます。
・サロベツ原生花園 豊富町西部、サロベツ原野は幌別町にまたがる日本海沿いの大湿原で、海岸に並行して連なる砂丘列と東側の天塩山地に囲まれ大陸の草原にも似た広大な広がりを見せます。約100種の原生植物が6月下旬~9月下旬まで次々と咲き乱れ見るものの目を奪い、北海道ならでの雄大なスケールをもった景観です。

・礼文島 日本の最北端の離島へ出掛けよう
風の強いこの島では雪が風に飛ばされ、冬でも積雪することが少なく、冷たい風にさらされた地面は奥深くまで凍結し、寒さに強い高山植物が根を張るようになりその特異な環境が海抜0m付近にでも高山植物を咲き誇らせている。レブンアツモリソウ・ミズバショウの見ごろを調べてから出掛けよう。

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  訪ねて見たい温泉(北海道編)

活動報告写真 北海道の温泉地
道内の温泉湧出量は毎分23万ℓで全国2位、年間宿泊客延べ約1100万人を数え全国1位を誇る温泉地であります。層雲峡をはじめ、湯の川、登別、定山渓、阿寒湖など多くの温泉地を有し、その多くは温泉地と火山地域とが一体となり、また四季折々の自然の景観を楽しみに訪れる客が道内外を問わず多くの人々が来訪される土地です。
「北海道はでっかいぞ~」の言葉の如く楽しめる温泉地が数多くありますよ。

・岩尾別温泉
。日本最東端の温泉地。
 北海道斜里郡斜里町、知床国立公園内に位置する温泉一軒宿の「ホテル地の涯」の内湯と混浴露天風呂・三段の湯滝見の湯などで旅の疲れを癒してみませんか(注意:温泉地冬期休業)

・層雲峡温泉 北海道上川大雪山のふもと層雲峡温泉。 北海道上川郡上川町中央町にある温泉地
大雪山系最大の温泉街があり、豊かな自然の中に充実した温泉宿泊施設が立ち並び年間約148万人の宿泊客を受け入れる温泉地で、1857年に発見されった。地名は塩谷温泉から層雲峡温泉にかわる。柱状節理の大函、小函の景観や春はツツジ、秋には紅葉も素晴らしく、良好な観光地環境を保有しています
・登別温泉。北海道登別市にある温泉、江戸時代から温泉の存在が知られており、明治時代に温泉宿が設けられ保養地・観光地となった。「にっぽんの温泉百選総合ランキングでは毎年上位にランクインしている、日本有数の温泉地。地名語源は、アイヌ語の「ヌブル・ベツ」(水色の濃い川)地獄谷や大湯沼などの湯元から自然湧出量1日1万トン、泉質11種類に及ぶスケールです。
・カルルス温泉. 北海道登別市にある温泉、登別川の谷間に7軒の旅館が存在する。1886年に温泉発見、その後幌別から当地まで道路が開削し開湯した。チェコスロバキアのカルルスバード温泉に似た泉質であったところからカルルス温泉と名付けられた。
・洞爺湖温泉。北海道虻田町洞爺湖温泉にある温泉、泉質ナトリウム・カロシウム・炭酸水素塩・硫酸塩塩化物温泉。温泉は温泉利用共同組合で一括管理配湯されどの施設も泉質は同じ。南側湖畔にはホテル・旅館みやげ物屋などが温泉地を形成している。無料足湯手湯もある。有珠山噴火口が近くでみれる。
・ニセコ温泉郷  北海道虻田郡ニセコ町と同磯谷郡蘭越町にある温泉の総称。温泉郷の範囲は広く、全国屈指の温泉地帯。多くが自然涌出泉で泉質も豊富、再度訪ねて見たい温泉地、泉質 食塩泉、硫黄塩泉ほか泉温42~50度
・湯の川温泉 北海道函館市湯川町にある「函館の奥座席」といわれる温泉地公衆浴場、長生湯・永寿湯大盛湯でもう一度ゆっくり温泉につかりたです。「サル山温泉」も知られています。
・川湯温泉 北海道弟子屈町にある温泉。屈斜路湖に近く、針葉樹林に囲まれた静かな温泉場で、湯は強い酸性です。街中を湯の川が流れ、油煙・硫黄の香りが漂う20軒余りのホテル・旅館がある。情緒あふれる温泉街。今も残る木の香り・露天風呂も懐かしい思い出です
・弟子屈温泉 北海道弟子屈町にある温泉、弟子屈町の中心で釧路・当別両川の合流点にあり、川沿いに旅館が軒を並べている。湯街から一歩出れば白樺の疎林が点在する広大な風景がひらける、いかにも北海道の温泉地らしい眺めも楽しめる温泉地です。
・恵山温泉郷。 今なを噴煙をあげる恵山に源を発する恵山温泉郷、豊富な温泉が湧き出ている。海岸沿いに露天風呂、南に大海原、背後に恵山山脈と絶景の景勝地、のんびりお湯につかりながらの、ひととき最高でしょうね。
・定山渓温泉。 北海道札幌市南区定山渓地区にある温泉。「札幌の奥座敷」とも呼ばれる。1886年に行脚僧定山が温泉場を開く、1918年に定山渓鉄道の開通で発展。 市内の人々の他,札幌観光の一環として多くの外国からの観光客が利用、温泉は豊平川の川底から涌いており、その川沿いに 温泉街や、ホテル、公共宿泊施設があり、会社の保養所も多い定山渓温泉の歴史は古く、修験僧・美泉定山がアイヌの人々との出会いや、温泉を管理する湯守の任命を受けたり、また温泉運営など、幾多の困難を乗り越え、温泉の礎を築いた功績から、この地が「定山渓」と命名されました。平成8年(1996年)「健康保養宣言」をしております。

・阿寒湖
エゾマツ、トドマツなどの原生林に覆われた阿寒湖畔に大規模観光温泉地で、
現在毎分5,000ℓの豊富な単純温泉と硫酸塩泉が利用され年間延べ73万人の宿泊客数があります。1912年に最初の旅館が開業しその後、道路や交通網が整備され宿泊客も増えていきました。休火山の雄阿寒岳と活火山の雌阿寒岳に囲まれたカルデラ湖の阿寒湖には、特別天然記念物のマリモガ生育し、ヒメマス、ニジマスやワカサギが漁獲される、雄大な自然景観が素晴らしく、1934年に阿寒国立公園に指定されました。湖畔の景勝に面して温泉や旅館が密集しており、その中心に北海道最大のアイヌコタン(集落)があり、夜には伝統的な民族舞踊が披露され先住民の子孫と観光客の触れ合える場となっています。冬季には「冬華美」が開催されワカサギ釣り、スケート、スキーが楽しめますよ。

ウトロ温泉・ルスツ温泉・北湯沢・十勝川・洞爺・陽だまり・十勝岳・然別峡・芦別
・雌阿寒・湯ノ岱・盃・貝取澗・幕別・ながぬま・豊富・糠平・温根湯・朝里川温泉など
北海道は名湯・秘湯の多いところ探して訪ねて見たいですね

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東 北
     みちのく  東北をたずねてよう

活動報告写真

  青森県 岩手県  宮城県  秋田県 山形県
青 森 県   
青森県は本州の最北端に位置し、北は津軽海峡を隔てて北海道と相対し、東は太平洋西は日本海と三方を海を巡らし南は岩手・秋田の両県に接している。気候は苛酷で冬は大地を雪が覆い、夏は厚い雲と風が太陽をさえぎる。このような自然を背景に青森県には世界遺産登録の白神山地、十和田八幡平国立公園、下北半島国定公園・津軽国定公園など景勝地や歴史・伝説の観光地が多い。また、浅虫・酸ヶ湯・焼山の各温泉が周遊地にも指定されている。(参考資料・郷土資料事典2青森県より抜粋)
 東北四大まつり
・青森ねぶた祭り(青森県・青森市)
ねぶたは、東日本各地、とりわけ青森県各地で行われる夏祭りの一種で全国的に有名なのは、青森ねぶたと弘前ねぶたで、1980年に重要無形民俗文化財に指定されています。 開催日8月2日~7日に開催される夏祭り。巨大なねぶたの周りを「らっせい、らっせい」の掛け声勇ましく踊る夏祭りです。(ネブタには扇ネブタと組ネブタの2種類があり、前者は弘前市に多く、後者は青森市に多い。祭りの2日から5日までは、夜七時ごろから子供のネブタと大人のネブタが運行し、5日~6日の夜圧巻の大人のネブタの運行のなる。最終日は昼間に連合運行が行われ、夜6時頃から海上運行に移りますネブタが暗い海上に幻想的な姿を映して港内を回航しやがて花火祭りで祭りの幕となります。)
・秋田竿燈祭り . 竿燈(かんとう)は、秋田県秋田市で毎年8月3日~6日に行われるお祭り。現在行われている祭りの正式名称は」秋田竿燈まつり」です。ねぶり流しは竿燈全体を「稲穂」に、提灯を「米俵」に見立て額、腰、肩にのせ厄よけみそぎ、5穀豊穣を祈るとされている。大若は提灯が46個、重さ50kgにもなる。重要無形民俗文化財に指定されている。青森のねぶた、仙台の七夕まつりと並んで東北三大祭りとされている
・仙台七夕まつり
宮城県仙台市で8月6日~8日に開催される七夕祭り。江戸時代の仙台七夕祭り、江戸風の七夕を取り入れた仙台では七夕のことを「たなばたさん」といいました。戦後復活した七夕祭りは、終戦の翌21年一番町の焼け跡に52本の岳飾りをたて「10年ぶりの七夕祭りを涙が出るほど懐かしい」と報じられました。昭和天皇の巡行された昭和22年、5000本の竹飾りが七色のアーチを作りお迎えいたしました。それからの地元商店街の七夕にかける熱意は並々まらぬものでした。その後商店街振興から観光イベントと変貌していくも、現在では竹飾りだけでなく、夜間開催時のパフォーマンス等も取り入れその中でも「星の宵まつり」も人気を集め名実ともに日本一のスケールを誇る七夕まつりとなっています。
・山形花笠まつり  
東北4大祭りの一つ、フラワーハットダンスとして有名な真夏の夜の祭典。8月5日~7日にかけヨイトマケの掛け声「チョイチョイーヤッショマカショ」との掛け声よろしく3日間で総勢13千人(約150団体)の踊り手が、花笠太鼓、音色彩られた山車を先頭に、鮮やかな衣装、県花の紅花をあしらった笠を手に市内目抜き通りをパレードする夏祭りです、飛び入り参加OK
・棟方志功記念館. 青森市松原青森県出身の版画家棟方志功の業績を後世に伝えるため建てられた。「花矢の棚」「鷺畷の棚」志功の作品や遺品が保存されている前庭は林泉式の回遊庭園となっている。
・青函連絡船メモリアルシップ・八甲田丸 市内柳川昭和63年まで、本州と北海道を結ぶ青函連絡船の発着する海上交通の要衝だったが、青函トンネル開通とJR津軽海峡線の開業で連絡船が廃止となる。そこで「海の街・青森」の記念碑にしようと、平成2年に青函航路の花形だった八甲打田丸が当時の姿そのままで、海上博物館として復活。青函航路の歴史が一目でわかるように工夫されています。
・八甲田山. 八甲田山は、十和田湖とともに十和田八幡平国立公園の重要な部分を占めるもので、北八甲田と南八甲田の連山から成っている。観光は春の新緑、夏の登山、秋の紅葉、冬はスキーと多くの観光客が訪れます。植生は森林・花畑・湿原植物・芝原と多様で、それも標高を増すごとに様相を改めている。樹林の主はブナです。
・田代平。八甲田連山の主峰大岳(1585㍍)の北東腹にひらける海抜560㍍の草原。高原は長吉平と箒場平に大別される。平原の一部にはヒメシャクナゲ・レンゲツツジ等の湿原植物の群落も見られる。また田代平は、明治35年青森第五連隊の将校達の凍死した惨事の場所としても知られている。(3日間に及ぶ猛吹雪で、210名中199名が凍死しる。)雪中行軍遭難者銅像が建てられていますこの像は不動の姿勢で立ち尽くした後藤伍長をモデルにしたといわれています。
・浅所海岸。平内町の中心地小湊から北に約2㌔ほどにある海岸で、直径20㍍ばかりの小島が橋でつながれ、島には十数本の磯馴松が盆栽のように美しい姿を見せている。遠浅で、貝やこがに・小魚も豊富で、また冬にはハクチョウが渡来する事で有名で「小湊のハクチウ及びその渡来地」として国の特別天然記念物に指定されている。
・竜飛岬。東津軽郡外ヶ浜町三厩にある岬。津軽半島北端の岬で津軽海峡を隔てて北海道の白神崎と対している。地下を青函トンネルが通る。吹き付ける強風を利用して風力発電が行われている。岬の北西よりに白亜の竜飛岬灯台が立ち、周辺をススキに覆われている。夕焼けの海や漁火などの風景が楽しめる。また竜飛バス停と竜飛岬灯台を結ぶ階段(361段)は、日本唯一の国道階段としても有名。ここをおとずれる文人墨客も多く、吉田松陰、太宰治両者の文学碑が立てられている。
・弘前市の祭り・さくらまつりー4月下旬~5月上旬、弘前城跡の公園で開かれる。ソメイヨシノを中心に枝垂桜・山桜など5000本の桜が咲き乱れます。東北の春を飾る代表的な祭り。・ねぶたまつりー津軽地方の夏の風物詩、青森と弘前両市のものが最も有名。青森市「凱旋ねぶた」と弘前市「進軍ねぶた」と呼ばれる。・黒石よされー8月6日~9日津軽地方最大の盆踊り、街中が花笠にそろいの浴衣の踊り手であふれ踊り一色に塗りこめられる。・もみじと菊人形ー弘前公園のもみじが色づき始めると「もみじと菊人形」が開催される。・雪燈籠まつりー古城と老松の深閑とした雪景色のなかに雪像や雪燈籠が立ち並ぶ
「雪燈籠まつり」はみちのく五大雪まつりの中でも最大規模を誇っている。
・弘前城跡(弘前公園)津軽氏城ともいう。天守閣は矢狭間が多く、1・2層に設けられた切妻破風の配置など、古形式に習っており、規模は小さいが重量感がある。内部には津軽氏(大浦性改姓)ゆかりの式具や古文書類を並べた弘前城史料館として一般に開放されている。広い城跡一帯は弘前公園とされており、約5000本の桜が植えられて、4月~5月の花の行事で賑わう。
・岩木山。津軽平野の南西にそびえる県下第一の高峰で、均整のとれた姿の美しさから津軽富士の名で呼ばれる。鳥海火山帯に属する休火山で、山頂部は中央の岩木山、北の巌鬼山、南の鳥海山の三峰に分かれている。数回噴火した記録があるが最後の噴火は文久3年それ以来活動は休止している。古来津軽の人の信仰の山としてきた。四季の移り変わり、山色で雪の到来を知ったり、天候の変化を山にかかる雲の動きで知ったりと日常生活のよりどころとして生きてきた。
・青森県りんご史料館 (県りんご試験場内)リンゴ産地として全国的に名高い青森県のなかでも、黒石市はとくに生産技術開発の中心になっている。県のりんご試験場の一角には、ツタに覆われた洋風建のりんご史料館が建つ。昭和6年にイギリスの研究所を摸して建てられ、展示内容は新品種の誕生から消費者のてに届くまでの過程を追ったものなどいろいろのコーナーが設けられている。見学したいものですね~
・津軽国定公園. 津軽半島東部の平館から西海岸の権現崎・七里長浜、深浦・岩崎海岸、十二湖の湖沼群と森林、内陸部の岩木山などを指定区域とする。海・山の景観に恵まれている。津軽半島突端部の袰月海岸から竜飛岬にかけては典型的な海岸段丘が見られる。海食洞・海食崖が発達している。
・八戸城跡.八戸市内丸に位置する.現在の城跡は、本丸跡が三八城公園とされており、梅と桜の名所として知られている。城の遺構はほとんど残されていないが公園の南方に、旧城の表門であった大きな朱塗りの薬医門が遺存しており、往時を偲ばせる。園内には、城の由来を刻んだ城跡碑が立てられている。
・十和田湖. 青森・秋田両県の境にある典型的なカルデラ湖で湖周は約64㌔、水深最深部334㍍これは秋田県の田沢湖(425㍍)北海道の支笏湖(363㍍)についでわが国第三透明度は第十位です。この湖が知られるようになったのは文人大町桂月の文章によるもので、今のを当時の景観を損なうことなく今日に至っている。昭和42年には奥入瀬渓流・南北両八甲田地区と御倉・中山の両半島が特別保護区に指定されているカツラ・カエデ・ホウ・ブナ・マツ等が混生して原生林を広げ、北から御鼻部山・十和田山・白地山が連なり、春の新緑、秋の素晴らしさを堪能したいです。明治36年和井内貞行が北海道支笏湖のヒメマスを放流したのが始まりで、今では和井内マスとしてこの湖の名産となっている
・奥入瀬渓流. 奥入瀬川は十和田湖のもつ唯一の流路で、青森方面から来た道と十和田市から来た道とが出会う焼山から湖畔子ノ口約14㌔の間を奥入瀬渓流とよび「十和田湖及び奥入瀬渓流として、国の特別名勝・天然記念物に指定されている。渓流は精冽で水量もつねに増減がなく、水に洗われる岩や両岸は、コケや羊歯類の緑におおわれ、渓谷の美しさをさらに深めている。途中三乱の流れ・馬門岩・阿修羅の流れ・九十九島・白銀の流れなどいたるところに景勝を展開し、上流にかかるにしたがって雲井の滝・白布の滝など十指に余る滝が次々に変化を見せている。最上流に豪壮な銚子大滝がかかる。焼山から子ノ口までは、渓流沿いに約14㌔の遊歩道があり、ハイキングの人でにぎわう。
・湖畔の乙女像. 十和田湖町奥瀬に位置する裸婦像十和田湖が国立公園になった15周年を記念して、建てられた当時の県知事津島文治氏(太宰治の長兄)が、文人大町桂月・元知事武田千代三郎、法奥沢の元村長小笠原耕一三人を顕彰するため、高村光太郎に製作を依頼した記念碑です。この像の制作を依頼された幸太郎は、十和田湖を見て、水が空なのか空が水なのかと湖の美しさに魅入られ、水を透かして美しい婦人の裸像が見えるような幽玄なものを作りたいと願い、その製作に没頭し1年余りの歳月をかけ完成させた。(奥様の智恵子さん)高村光太郎にとってもこの作品に愛着の深い、しかも最後の作品であった。今では十和田湖になくてはならない象徴的なものとなっている(影と形のように立っている。。立つなら幾千年でも黙って立ってろ,詩の一部)郷土資料事典より一部抜粋
・根岸の大イチョウ (いちょう公園)百石町根岸 推定樹齢1100年というイチョウの老雌株で、無数の乳柱を垂れて奇観を呈している。乳母や安産の守り神として知られる。慈覚大師の伝説、慈覚大師のついていた杖を地面についたまま寝入ってしまったが、目が覚めてみるとその杖は根を生やし、今のイチョウになったという伝説。
・愛宕公園
. 野辺地町に位置する公園,桜の名所として知られ、明治17年の開園という歴史をもち、七曲の頂上に立てば、烏帽子岳、陸奥湾が一望できる。丘の麓を巡る遊歩道も整備されており、中腹には、明治天皇巡行の際野辺地行在所の前で倒れた愛馬花鳥号の銅像が有ります。石川啄木の歌碑も立てられています。
・下北半島国立公園. 県の北東部から北へ斧の形に突き出た半島で、本州の最北端にあり陸奥湾をはさんで津軽半島と向き合い、津軽海峡を隔てて北海道と対している。地域人口密度が低い。観光地も他の観光地の華美さに比べ、下北半島の観光は荒涼としたところに特徴がある。見どころは、霊山恐山、薬研温泉・大間崎・仏ヶ浦・尻屋崎などがある。
・尻屋崎. 下北半島の北東端をなす岬。海食台が海岸まで続き、海中には大小の岩塊や岩礁が散在して豪快な海岸美を見せている。ここは海の難所とされ、突端にある灯台の建設も明治9年と早期になされている。本州さい果ての灯台です。台地上は芝原やマツ林が広がり、放牧の牛馬が遊んでいる。(寒立馬と呼ばれている)
・恐 山. 市内田名部 恐山は那須火山帯に属する休火山で、中央に直径約4㌔のカルデラをもち、大尽山を最高峰に、屏風山・北国山・小尽山などの外輪山と、外側に寄生火山の釜臥山・朝比奈山がある。円形の宇曾利山湖があり、湖の周囲には多くの磁気孔があり磁気や水蒸気を噴出し、このため植物は育たず、荒涼とした風景を展開している。古くから死者の魂の集まる霊山として名高く、高野山・比叡山とともに日本三大霊場の一つに数えられる。
・鯛 島. 寄浪集落の沖合い800㍍の海上に浮かぶ二つの島で、遠くから眺めるとちょうど大きな鯛が波の上に躍り出たような姿に見えるのでこの名がある。周囲約400㍍の小島で釣りの名所になっている。鯛島の伝説が残っており弁財天が祀られている。この付近の海中には、暖海性海藻のソゾ属と寒海性海草のエゾヤハズが同じ場所に生育しており、起伏に富んだ海底の岩面はオオアカフジツボ・イワフジツボ等におおわれ、自然庭園の観があります。
・大 間 崎. 下北郡大間町にある本州最北端にある岬です。海上17・5㌔を隔てて北海道汐首岬と相対し、荒涼とした砂地が広がり「ここ本州北端の地」(北緯四十一度三二分、東経一四0度五五分)の碑が立っている、前面にはクキド瀬戸を挟んで弁天島が浮かび、弁天島中央の小高い丘には、
大間崎灯台があり、眼前に北海道の山々が望まれる。ここ数年低迷をかこってきたマグロ漁が、近年また回遊するようになり、マグロ一本釣りが復活し、浜に活気が
戻ってきている。下北半島国立公園に指定されている。十月下旬には「超マグロ祭り」で多くの観光客も訪れ町がおおいに賑わいます。

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岩 手 県  
岩手県は東北地方の北東部に位置し、東は太平洋に臨み、北は青森県、西は宮城県にそれぞれ境を接する。県域の大半が山地で占められ、中央を北上川を境に東側を北上高地が南半に走り、西側を東北地方の分水嶺奥羽山脈が岩手山・栗駒山・七時雨山・八幡平などの火山をともなってそびる。 南部氏歴代20万石の城下町であった盛岡市は”みちのくの京都”とも称される、昔ながらの情緒をとどめ、十和田・八幡平・陸中海岸の両国立公園の観光中継地としても脚光を浴びております。薄幸の詩人石川啄木の故郷でもあります。
・岩手山. 南部富士・岩手富士の別称をもち、岩手県を代表する山です。那須火山帯に属し休火山で、コニーデ式の裾野を長くひいた秀麗な山容をもち、石川啄木や宮沢賢治など多くの詩人・歌人に詠まれた岩手県民の心の山です。
・盛岡城跡 (岩手公園)盛岡市丸内に位置する。別名不来方城とも呼ばれています。およそ280年にわたり、南部氏20万石の居城であった。北上川・雫石川・中津川の合流点の丘陵にあった。明治維新後6年に壊され今では本丸・二の丸跡に残る石塁・石段が往時の面影を留めている。城跡は明治29年に岩手公園に開放され、市民の散策の場として、また春は桜の名所としてにぎわっている
・原敬記念館。盛岡市本宮。大正期、平民宰相として活躍し、今も市民に「原敬さん」と親しまれている盛岡市出身の政治家原敬を記念して、昭和33年に谷口吉郎の設計により、生家の一隅に建てられた記念館です。遭難時の着衣や・遺品・著書等々約一万点が所蔵されている。
・御 所 湖 盛岡市西端。昭和55年、雫石川上流に18年の歳月をかけて御所ダムが完成し、御所湖が誕生した。湖畔は広域公園として整備され、盛岡手づくり村が北畔に、繋温泉が南畔にある。また船越保武作のシオンの像が、岩手山を背景にして立っている

新緑や紅葉が鮮やかに彩る八幡平を訪ねよう
・八 幡 平 奥羽山脈北部の山群で、岩手県と秋田県のほぼ等面積で広がる、台地状火山高原のいろんなところで様々な形の火山起源の小さなピークがそびえ、その間に無数の沼や湿原が点在し、 様々な高山植物や湿原植物が群落発展している。十和田八幡平国立公園に指定されている。四季折々のイベント・新緑八幡平2大イベント・焼走り溶岩流まつり  焼走り旧車ミーテングin八幡平(6/15)・チャグチャグ馬コー無形民俗文化財「日本の音風景100選」に指定されている。
農耕馬に感謝する200年以上に及ぶ伝統行事で、色鮮やかな装束で着飾った馬と馬主が盛岡八幡宮まで15キロの道のりを行進します。(6/24)
・石 割 桜 盛岡地方裁判所の構内にある、周囲約22㍍もの巨大な花崗岩の割れ目から生えているエドヒガンザクラ。樹木の生育にはきわめて不自然な場所にもかかわらず、樹高約10㍍根周り4・3㍍枝の広がり四方に3~5㍍とさかんな成長振りを見せている。推定樹齢400年ともいわれ国の天然記念物に指定されている。
・岩手県立博物館 盛岡市上田。市域北部、四十四田ダム湖畔に県制100年を記念して建てられた博物館で、昭和55年10月の開館。岩手県の地質時代から現代にいたる地質・考古・歴史・民俗・生物などに関する資料や、萬鉄五郎や松本俊介・船越保武など、県内出身作家および岩手県にゆかりある作家の美術品などを展示している。屋外には、国の重要文化財指定の旧佐々木家住宅(曲が家)と旧藤野家住宅(直家)が移築され、県内産の野草と樹木を植栽し、県土を構成している代表的な岩石を配置した散策広場、マイヨールの彫刻「三人の妖精」を置いた芝生広場がある。
・葛根田の大岩屋 (かつこんだ)雫石町西安庭。葛根田川の左岸に、岩手山の古期溶岩である安山岩が、巨大な柱状節理となって大絶壁を作りだしている。幅約160㍍、高さ93㍍で、下のほうに川に侵食された高さ10㍍ほどの洞窟がある。天然記念物に指定されている。兵庫県豊岡市の玄武洞を思わせるところから、玄武洞とも呼ばれている。
・小岩井農場 雫石町雫石。岩手山南麓の高原にある、面積約30平方キロに及ぶ日本最大の民間牧場です。明治24年創設です。昔の馬の小岩井としてダービーに名を馳せた名馬や乳製品で知られたが、戦後は乳牛の生産を主として、乳牛・ヒツジ・シチメンチョウの飼育に重点が置かれている。また牛乳・バター・チーズ・ヨーグルトなどの乳製品を生産している。小岩井の名は創始者日本鉄道会社の小野義真、三菱財閥の岩崎弥之助、鉄道局長官井上勝の三人の頭文字をとってつけたものである。
・チャグチャグ馬コ 岩手県滝沢市と盛岡市において毎年6月の第2土曜日に行われる祭り。慶長2年(1597)和賀郡沢内村の新田利助という人が、馬を使って田の代かきをしていたところ、突然馬が暴れだし鬼古里山まで駆けて死んだ、村人がこの馬を哀れに思って手厚く葬り、祠を建てて祀ったのが始まりとされ、村人は毎年5月5日の端午の節句には仕事を休み、馬に飾りつけをつけ、牛馬の無病息災を祈願するようになった。今は6月の第2土曜日に馬も100頭以上が行進するので壮観です。選択無形民俗文化財に選択され、馬っこの鈴の音は環境省の「残したい日本の音風景100選」に選出された。



・石川啄木記念館  岩手県盛岡市玉山区渋民字渋民9。昭和61年5月、啄木生誕100年を記念して既存の記念館のすぐ近くに新しく建てられたもので、啄木直筆の書簡やゆかりの品々が展示されている。近くに、啄木が教鞭をとった渋民尋常高等学校の校舎と、下宿していた斉藤家が移築されている。
・馬 仙 峡 市内南部。馬渕川に臨む景勝地で、大崩崖の断崖から安比川合流点にいたる馬渕川西岸を指し、春の新緑、夏の渓流釣り秋の紅葉と四季折々の景観を見せこの地方随一の景勝地です。大崩崖は砂岩の断崖が侵食作用を受けて出来たもので変化に富んだ景観を見せている。対岸に男神岩・女神岩の巨岩が屹立しています。
・不動の滝 安代町東部。落差15㍍の滝で水量も豊富、周辺一帯は四季の風光にも優れており、環境庁の「日本の滝百選」の一つの名瀑で、5月3日には滝不動の祭典も開かれる。
・智恵の滝 安代町西部。八幡平頂上登山コースの山中にある、落差約30㍍の大滝で一帯は原始林に囲まれている。
・大空の滝 花巻市北西部。新鉛温泉の北西約9㌔、豊沢湖からされに西の上流にかかる滝。落差83㍍幅約6㍍あり、二条に別れ七層に曲折して落下する。下から見上げると岩が全然見えず、まるで空から落ちてくるように見えることからこの名がついた。中山峠から林越しに望むと白蛇が上り下りするように見える。
・宮沢賢治記念館 花巻市矢沢。宮沢賢治が生前よく散歩していたという胡四王山の中腹にある。賢治をめぐる環境・信仰・科学・芸術農村・総合・資料の七部門の展示からなっている。「雨にもまけず」の手帳なども展示されている。
・花輪堤ハナショウブ群落 花巻市西宮野目。花輪堤の沼地にはハナショウブが群生していて初夏になると赤紫・濃紫・淡紫色とさまざまな花が咲き乱れる。ここは本州北限の代表的群生地でここの花菖蒲は色とりどりの花をつける群落で他にあまり例を見ない珍しいものです。昭和10年4月、国の天然記念物に指定されています。
・高村山荘 花巻市太田山口。彫刻家で詩人の高村光太郎が晩年の昭和20年から七年間生活した山小屋です。東京で空襲でアトリエを焼かれ花巻の宮沢家に疎開、村人が一本一本持ちよった木で建てられたこの小屋に移り、以来27年10月、十和田湖畔に裸婦像を立てるために上京するまで、ここですごした。また山荘の近くには光太郎の詩碑や記念館があります。
・早地峰神楽 大迫町大償に伝わる大償神楽、岳に伝わる岳神楽はともに早池峰神楽と総称される。いずれも早池峰山を霊場として栄えた山伏神楽で、きわめて古風な舞型を伝えて、県の代表的な民俗芸能となっており、昭和五十一年五月に国の重要無形民俗文化財に指定されている。
・早地峰国定公園 岩手県第二位の高峰、早地峰山を中心にした山岳自然公園。峰特有の高山植物が豊富で国の特別天然記念物に指定されている。ハヤチネウスユキソウ、”幻の花”ともいわれる世界唯一の特有品種ヒメコザクラ、牧野徳太郎が発見し命名したナンブトラノオなどがある。一面に咲き乱れる開花期には見事ですよ
・水沢公園 水沢市中上野町に位置する公園。桜の名所として知られ、500本以上の樹齢350年前後のヒガン系の桜の古木が園内を埋めとくに花の色の鮮やかなことは他に類を見ない。昭和41年3月県の天然記念物に指定されている。園内には苔むした七重塔や正岡子規、松尾芭蕉の句碑がまた後藤新平や斉藤實の銅像も立っている。
・黒石寺蘇民祭 奥州市水沢区黒石町の黒石寺で行われる裸祭りで、岡山市の西大寺とともに、裸祭りで全国的に知られている。”裸の男と炎の祭り”として有名で旧暦1月7日の夜から、翌早朝にかけて行われる。裸の男が蘇民袋を争い、とった者の地方が五穀豊穣疑いなしといい、県内はもとより、関東、関西、九州からも参加する。
・えさし藤原の郷 奥洲市江差区にある平安時代のテーマパーク。12世紀、奥州に君臨した藤原三代の歴史を知る事ができる歴史公園。政庁をはじめ、清衡・経清の居館、伽羅御所、金色堂などが再現されている。NHKの大河ドラマで奥州藤原氏が取り上げられたのを機に、平安時代の建造物100棟を集めて平成五年1993)七月にオープンした歴史テーマーパーク。
・奥州市牛の博物館 奥州市前沢区にある、「前沢牛」で知られる牛の里前沢にふさわしく、世界各国から牛についての資料を集め、「牛と人の共存」をテーマーに平成七年(1995)四月に開館国内外に唯一の牛の専門博物館です。牛の化石や剥製をはじめ、農具・民俗資料などから、生物としての牛や、世界で人びとがいかに牛と関わり合ってきたかを知る事ができる。
・一関市博物館 一関市巌美町。平成九年十月にオープンした近代的博物館。広々とした吹き抜けのホールが参観者の目を奪います。「舞草刀と刀剣」「玄沢と蘭学」「文彦と言海」「一関と和算」の四つのテーマーに分れた展示室からなる。
・釣山公園 一関市釣山。安倍貞任の弟磐井家任の居館一関城のあったところと伝えられ、標高134・3㍍の山頂にある。公園からは、西に蘭梅山・栗駒山の諸峰、北は一関の市街地、遠く岩手・室根の連峰を一望に収める景勝地で、展望公園として東北随一を誇っている。また春の桜、秋の紅葉も素晴らしです。
・厳 美 渓 (げんびけい) 一関市街の西約九㌔、栗駒山に源を発する磐井川が、花崗岩の谷床を侵食してできた渓谷で、天工橋を中心に上下約二㌔に及ぶ。甌穴や岩石の起伏、四十八滝などの渓谷美をつくり、春にはツツジと、伊達政宗の植樹と伝えられる貞山桜で埋まる。明治の文豪幸田露伴が絶賛した景勝は今も変わりなし。1927年(昭和2年)に国の名勝及び天然記念物に指定されている。
・栗駒国定公園 県の南西端に位置する栗駒山を中心に岩手・秋田・宮城・山形の四県にまたがる国定公園。山頂からは東北の名山をことごとく一望でき、山頂付近の高原は高山植物の宝庫です。北中腹には須川温泉、東麓には真湯温泉があり、南麓の宮城県側には栗駒五湯の温泉郷があります。頂上付近の湖沼と相まって変化の多い国定公園です。
・中尊寺 (世界遺産)岩手県西磐井郡平泉町にある天台宗大本山の寺院。嘉祥3年、奥州各地を巡っていた円仁が開創した名刹。貞観元年清和天皇がら中尊寺の号を下賜され、長治二年(1105),堀川天皇の勅により藤原清衡が堂宇の再建に着手し大治元年(1126),二十一年の歳月よ費やして金堂・鐘楼・経蔵など堂塔40余、僧坊300を数える大寺院を完成した。同年三月には盛大な落慶供養が行われ、
勅使も来山、記録によると、読経と讃仏の歌は山野に満ち、「千僧の声定めて天に達せん」という盛況であったという。(国宝・金色堂・経蔵堂内具・孔雀文磐・螺鈿八角須弥壇・金色堂内具・紺紙金宇一切経。重要文化財多数)
・金色堂 (世界遺産)初代藤原清衡が天仁2年(1109)頃から建立に着手し、15年の歳月をかけて天治元年(1124)に完成した方三間(約5.45㍍)単層、宝形造の阿弥陀堂で、堂の内外に漆を塗り、金箔を重ねた金色さん然たる華麗・精巧さは、平安末期の美術工芸の枠を集めた、当時も現在も第一級のものです。国宝です。
・柳之御所跡 藤原清衡・基衡の居館だったという国指定の史跡。別名「平泉館」とも呼ばれている。この御所跡からは、当時の生活用具だった鏡・刀子・物差・高台・曲げ物・烏帽子・下駄・将棋の駒・碁石・さいころなどや、信仰のようすを知るうえで貴重な形代や呪符などが出土しており、土器や陶器も多く出土している陶器でも中国産の白磁が出土し、藤原三代の繁栄ぶりがしのばれる。
・毛越寺 岩手県西磐井郡平泉町にある天台宗の寺院。円仁の開基で、藤原基衡が勅願によって再建し、金堂円隆寺をはじめ七堂伽藍を建立、秀衡の時には堂塔40、僧坊500を数え、その規模は中尊寺をしのいだ。境内は「毛越寺境内附鎮守社跡」として国の特別史跡、庭内は「毛越寺庭園」として特別名勝に指定されている。(世界遺産に登録されている)。
・観自在王院跡 (かんじざいおういんあと)岩手県の平泉に藤原基衡の妻が建設した寺院跡。毛越寺の境内に接続した東側にある。昭和29、30年に発掘調査が行われ、同53年から七年がかりで復元されて寺域・堂塔の配置・庭園の地割などが明らかにされ、現在、史跡公園として浄土庭園が復元され活用されている。
・無量光院跡 金鶏山の南東、高館山の南西にある。平泉全盛期に三代秀衡が宇治平等院を模して建立した阿弥陀堂です。現在は土壇・礎石・庭園跡などを残し、昭和二十七年、文化財保護委員会の発掘調査でその全貌が明らかになった。みちのくに栄えた平泉文化と藤原氏の権勢を物語る貴重な遺構で、特別史跡に指定されている。
・猊鼻渓 (げいびけい)岩手県一関市東山町にある砂鉄川沿いの渓谷です。北上高地の石灰石地帯を流れる砂鉄川の両岸を浸食して形成された、高さ約100㍍の巨岩・怪石の大絶壁で、多種多様の植物が岩の間に顔をみせ、深山幽谷の別天地を作り出している。四季それぞれの趣を楽しめます、県内随一の景勝地で大正14年10月に国の名勝に指定されている。幽玄同にもよってみましょうよ~
・蛇ヶ崎 陸前高田市小麦町、蛇ヶ崎半島の突端部をなす、五層の硬質砂岩・頁岩からなる断崖。大野湾と門之浜湾とを区切る。岬端の鶴島と亀島との間にある「亀島水道」と呼ばれる狭い水道の側面には「魔の瀬の洞穴」があり、波が岩礁に砕け散る時に高く水を吹き上げ、その反響音が漁船を導くという伝説がある。突端部に立つと、左方に碁石海岸、右方に広田海岸が望め、わが国でも代表的な侵食海岸として国の天然記念物に指定されている。
・高田松原 陸前高田市の白砂高田松原は、日本百景にも選ばれている広田湾に臨む景勝地で、約7万本の松林が約2㌔にわたって続いていました。市民はもとより県内外から多くの来訪者が四季を通じ愛される場所で、その美しさは多くの詩人が詠み、昭和15年には国の名勝に、同39年には陸中海岸国立公園に指定されていました。人にも、多くの動物や希少植物が存在し、多様な生態系が育まれていました。それが平成23年3月11日、の大地震と大津波がおそい、市街地や海沿いの集落は壊滅してしまう。過去の津波からまちを守っていた約7万の松林もほとんどが流されその中でも唯一一本のまつが残りました、その松も枯死が確認されましたが、震災直後から市民や全世界の人々に復興のシンボルとして親しまれてきた一本松を、今後も後世に受け継いでいくために、陸前高田市ではモニュメントとして保存整備する事になりましたー「奇跡の一本松保存プロジェクト」です
・碁石海岸 (ごいしかいがん)大船渡市末崎半島にある海岸。末崎半島の南東海岸約12㌔の海岸で、陸中海岸国立公園の代表的な景勝地です。碁石海岸の名は泥石の碁石状の黒くて丸い礫の浜があることに由来するとされています。無数の小島・洞門・断崖などの複雑な海食景観がつづいている。
・日出島 (ひでしま) 宮古市に存在する島で、浄土ヶ浜の北の沖合いに一㌔の海上に浮かぶ周囲三㌔の無人島で、別名軍艦島とも呼ばれている。全島アカマツの美林におおわれている。この島のコロコシジロウミツバメは夜行性の鳥で東半球唯一の繁殖地として、この島とともに国の天然記念物に指定されている。
・潮吹穴 (しおふきあな) 国の天然記念物で、日出島の対岸にある、海中ににびた白亜紀の幅30㌢の隙間から、波が打ち寄せるたびに、すさまじい勢いで海水を吹き上げる。海があれ模様のときは高さ30㍍にも達するとのこと。
・ローソク岩 浄土ヶ浜の北、大沢海岸にある奇岩。水成岩を突き破って火成岩が噴出して固まったローソク状の岩で、高さが約40㍍、幅7㍍あり、国の天然記念物に指定されている。
・龍泉洞 (りゅうせんどう)岩手県岩泉町にある鍾乳洞。宇霊羅山の東麓にある全長5000㍍の鍾乳洞で、龍河洞(高知県)・秋芳洞(山口県)とともに日本三大鍾乳洞の一つです。洞内には大小無数の鍾乳石や石筍があり、なかには高さ12㍍にも達する大石筍がある。流れる清流は数ヶ所にわたって地底湖を形成し、川・滝・淵などをつくり変化にとんでいる。
・安家洞 (あつかどう)岩泉町安家町にある鍾乳洞。規模は龍泉洞より大きいといわれ、昭和36年の調査では主洞は2300㍍、全長7765㍍で大小40を超えることがわかった。50万~60万年以前のものと推定されており、現在規模においては日本最大と言われている。アツカの名は、アイヌ語で清く美しい水の意味といわれている。
・三船十段記念館 久慈市名誉市民第1号で”柔道の神様”とあがめられた久慈市出身の三船久蔵十段の功績をたたえ、八十二年の生涯と業績を展示する市民の森の一角に建つ記念館。「柔よく剛を制す」柔道の真骨頂といえる「空気投げ」は神技として今も人々に語り継がれている。館内には文武両面にわたる各種資料が展示さている。

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宮 城 県   
東北地方の中部東岸に位置する県。北は岩手県・秋田県、南は福島県、西は山形県に接している。全国11番目の政令指定都市です。自然景観は「日本三景」の一つ”松島”があり、また南三陸金華山、陸中海岸国定公園や栗駒国定公園、蔵王国定公園があり多数の温泉郷や景勝地を抱えています。三陸沖や金華山沖では暖流と寒流とが混流し、絶好の漁場を形成していますし. 銘柄米ササニシキを産出する東北一の水田が広がります。祭りごとは、東北三大祭り「仙台七夕祭り」があり”伊達者”気性をいかんなく発揮しています。郷土芸能や行事も多く行われています。是非訪れてみたいものですよ~

大小無数の島々が浮かぶ箱庭のような景勝地、かの歌人松尾芭蕉をはじめ多くの人が歌を残した”松島”、宮島、天橋立と並ぶ日本三景の”松島”を訪ねようよ
・仙台城跡 (青葉山公園)東北一の雄藩伊達政宗氏62万石が正宗以来270年居城としたところで、青葉城跡ともいう。難攻不落の名城である。隻眼をもって全奥州を席巻した藩祖伊達政宗の銅像があり、鎧兜も凛々しい騎馬姿で城下町を眺めている。本丸跡には、島崎藤村詩碑と井晩翠の「荒城の月」詩碑が立っている。
・青葉山 仙台市青葉山、国指定の天然記念物です。(現在ー東北大学理学部付属植物園)太平洋側の温帯林と暖帯林の接触地帯です。約840種の植物と、約72種の鳥類の棲息を見られ、崖には自然の景観がよく保たれている。蒙古の碑・残月亭跡なども残っている
・仙台七夕まつり 仙台市民が”タナバタさん”とよびこぞって待ちこがれる祭りです。8月6日から三日間、市内の目抜き通りで、店という店の軒先には、飾りものを鈴なりにした豪華絢爛な笹竹が立てられる。七夕の笹かざりには”七夕七っの道具”と呼ばれる飾り物があるそうで、①織女の織糸を象徴する吹き流し。②長寿を願う千羽鶴、③学問への祈りを込める短冊、④豊年豊漁を願う投網、⑤商売繁盛を祈る巾着、⑥清潔と倹約を表現する屑籠、⑦身代わりとして病気や災難をなくす紙衣を基本にして、宝船・薬玉、これらに費用を惜しまぬ趣向がこられています。七夕の起源はいろいろ言われていますが、仙台の場合は、冷害や飢饉に悩まされた事が多く、そのため、田の神信仰や祖先の霊を慰める盆行事と結びついて、今日まで催されてきたといわれています。
・鳳鳴四十八滝 作並温泉から東へ約6㌔、広瀬川の上流に架かる高さ約5㍍幅10㍍の瀑布で、木々の間から奔流となって流れ落ち、七色の虹を架けている。この付近の山には、大小無数の滝があり、これらの滝を総称して鳳鳴四十八滝とよんでいる。ある時は笙の音のようにたおやかな音を、あるときには山々を揺るがすような音を奏でている。どこが一番とか決められていない。
・秋保の田植踊り 国指定重要無形文化財宮城県仙台市太白区秋保町の湯元・馬場・長袋地区に伝承されている郷土芸能でその年の豊作を祈願する踊りです。文治2年(1186)この地に逃れてきた平家の落人たちが土地の人々に教えたのが始まりといわれ古い歴史を持っています。踊りは”弥十郎”二人が一から十までの数え歌を唄い、次いで”八乙女”と呼ばれる八人の少女が田植踊りを踊ります。
・秋保大滝 (あきうおおたき)  国の名勝に指定されている。日本の滝百選の一つ・「日本三大瀑布(大滝)」「日本三名瀑」の一つ高さ五十五㍍のところから、凝灰岩を割って名取川の全水量が幅六㍍の瀑布となって落ち込む豪壮雄大な滝です。古来、不動の滝と呼ばれ那智(和歌山県那智勝浦町)・華厳(栃木県日光市)の両滝よりも規模では劣るものの、名爆として広く知られている。新緑・紅葉の季節が美しいが、雪景色もよく見逃せないです。四季に水量に変化はありません。・二口峡谷県立自然公園 (ふたくちきょうこく)宮城県仙台市の西部、蔵王国定公園に含まれる地域で瀬ノ原山・大東岳・南面白山などの東麓および、広瀬川の上流の奥新川峡谷と名取川上流の峡谷一帯を指す。秋保大滝から二口峠まで約8㌔の部分で、名取川上流部にあたり、下流の磊々峡とは異なった景勝をもち、文字通り深山幽谷といった谷である。天然記念物に指定されている姉滝・妹滝をはじめ多くの景勝地を有しそれに加え表磐司・裏磐司・日陰磐司などの柱状節理の大断崖がある。また野鳥の生息地でも知られる。
・松島県立自然公園 平安時代から数々多くの歌に詠まれ、天橋立・安芸の宮島とともに日本三景と讃え(林羅山)、芭蕉をして「扶桑第一の好風」と感嘆せしめた、風光明媚の地である。「松島」東西約14㌔、南北約12㌔にわたる海と島、海岸線と丘陵地帯を総称して呼んでいる。松島湾に浮かぶ島の数は、俗に八百八島といわれるが、実際には260余島ほどである。どの島も枝ぶりのよいクロマツやアカマツに覆われている。昭和27年(1952)11月に国の特別名勝に指定されている。陸地からの深勝は多聞山・大高森・富山・扇谷が適しており、古くから松島四大観とうたわれている景勝地です。付近に塩釜神社・瑞巌寺などの古社寺もある。
・観 瀾 亭  松島町松島、松島湾に突き出た丘の上、月見崎と呼ばれる景勝の地にあり、もと伊達正宗の行殿。この建物が火災で焼失し、二代藩主忠宗が現在の行殿を品川の藩邸から運んでここに移築した。以後歴代藩主の納涼と観月の休息所として用いられ「月見御殿」ともよばれた、藩主や藩主の妻女、幕府巡見使などの接待用の「御仮屋」にも使われた。内部の壁には狩野山楽が描いた草花などが彩色鮮やかに描き分けられている。障壁画は国の重要文化財に指定されている。この建物は、豊臣秀吉が建てた伏見場内にあったもので、正宗が友誼のしるしとして文禄2年(1593)に拝領、歌人藩主で有名な五大藩主吉村が「観瀾亭」と名付けたといわれている。県の文化財に指定されている。
・多賀城跡 神亀元年(724)大野東人により奥州支配のため築かれたという。標高52㍍から4㍍の丘陵から低湿地をまたぐような形で築かれており、一辺が約900㍍のいびつな四角形をした築地に囲まれている。昭和38年8月に発掘調査の結果、殿、後殿、中門などの規模が明らかになり「城」というより「行政府」としての色彩が強かったことが判明。昭和41年4月に国の特別史跡に指定された。多賀城碑・多賀城廃寺跡・末の松山、にも立ち寄ってみたいですね。
・蔵 王 連 峰 (ざおうれんぽう)奥羽山脈の一部を構成する連峰、宮城県と山形県の両県の県境に位置し、主峰は山形県に位置する熊野岳成層火山群」の活火山で新噴気口や火山湖の御釜が見られる。両県裾野には多くの温泉が存在し、またスキー場も多く、主要観光地でもある。蔵王の名称は大和国吉野山から役小角が蔵王権現を現在の不忘山に奉還し、周辺の奥羽山脈を修験道の修行場として「蔵王山」と称したことにゆらいする。
・蔵王連峰県立自然公園 中央蔵王と南蔵王が国定公園に重複している他白石市・蔵王町の一部と、七ヶ宿町のほぼ全域がこれにふくまれている。街道沿いにはヨコグラノキ・ヒダリマキガヤ・コツブガヤといった珍しい樹木が見られ、いずれも国の天然記念物に指定されています。山形県境・福島県境に見どころも多く有ります。白石川沿いに名勝地碧玉渓や材木岩の奇勝も有ります。弥治郎コケシや遠刈田コケシもありますよ(最も古いコケシ)。
・お 釜  蔵王町 樹氷と並んで蔵王連峰の象徴ともいうべき典型的な火口湖である。熊野岳と刈田岳の中間、馬の背と呼ばれる尾根の東側に横たわる馬蹄形の湖で周囲約一㌔、平均直径約三三0㍍、最深部は六三㍍、新しい火山活動によって
生じた火口部に湛水したため、今も硫黄物が噴出していて水に溶け、乳白色の混ざったコバルト色をしている。太陽光線のかげり方で、さまざまに色を変えることから五色沼とも呼ばれている。
・不動滝  蔵王町遠刈田温泉 蔵王山中の瀑布のうち、最も規模の大きな滝で、高さ五四㍍、幅約一六㍍ほどある。水量は多く、しかも深山の中の滝といった趣があり、数多くの文人墨客に親しまれている。この下流の名滝の三階滝にもよってみましょう。
・碧玉渓 白石市小原 白石駅から小原温泉へ行く途中、国道113号線沿いに約4㌔ほど続く白石川の渓谷をいう。(命名・徳富蘇峰)100㍍ほどの断崖が急激に川に落ち込み河原すれすれまでに木々が茂り、青味を帯びた岩壁と岩を噛む白石川の激流が技術者の及ばぬ造形美を見せている。
・小原の材木岩 白石市小原 国の天然記念物小原温泉の南西約5㌔、川に沿って遡ると、白石川の左岸に約100㍍連続して展開している、高さ65㍍ほどの安山岩の柱状節理で、国の天然記念物に指定されている。五角・六角・多角形などさまざまな結晶体を見せまるで材木でも立て掛けているように連なって見える。また材木岩と対面して高さ数十㍍の虎岩もある。(虎の斑に似た模様)この材木岩には、その昔、飛騨匠が一晩で不動堂を建立しようと志したが果たせず、削った材木が石に化したという伝説が伝えられている。ヨコグラノキ・小原のヒダリマキガヤ・小原のコッブガヤも見ておきたいですね
・称名寺のシイノキ 亘理町旭山 称名寺(浄土宗)の境内にあり国の天然記念物に指定されている。樹高約一四㍍、幹周りは七・五~一一㍍もあり、樹齢七百年とも推定されている。四方に大きく枝を広げ、幹とも見紛う無数の根が張っており、樹勢はきわめてさかんである。
・鳴 子 峡 (なるこきょう)宮城県大崎市に位置する峡谷、北上川水系の荒雄川の支流大谷川が形成したもので、一帯には白色凝灰岩が露出している。一帯には奇岩が卓越し虫喰岩、夫婦岩、屏風岩などが多く見られる。また一面に落葉広葉樹が繁茂しアカシデ、ミズナラ、などがみられる。紅葉の季節には多くの観光客が訪れ、鳴子温泉郷や中山平温泉が賑わう。中山平温泉は環境省指定の国民保養温泉地です泉質は含重曹硫黄泉、単純泉、重曹泉等種類も豊富で美肌の湯・美人の湯として知られています、ぬるぬるした感触の湯でウナギ湯という名称で親しまれている。中山平温泉のイベント時期を調べて、訪ねてみましょうよ。
・岩出山城跡 (城山公園)(正宗公まつり)町内城山 天正一九年に伊達政宗が米沢から城を移し、慶長八年に仙台に移るまでの一二年間居住した地である。昭和三九年(1964)に正宗の像が仙台市護国神社境内から移築され、これを契機として毎年、正宗公まつりが行われています。騎馬武者を中心とした武者行列が街中を練り歩き、遠近各地からの見物客で賑わいます。現在城跡には石垣の一部が残るだけだが、一帯が城山公園として整備されており、桜やツツジなだが植えられ、花の季節には訪れる人も多いです。
・旧有備館および庭園 上川原町 寛文三年(1663)岩出山城二の丸が焼けたとき、仮御殿として建てられた。のち三代目城主伊達敏親が元禄四年に手を加え春学館と名付けて家臣の子弟を教育する学問所としたが、その翌年、今の場所に移築し、有備館と改まられた。昭和四九年に修理され、庭園とともに国の史跡・名勝に指定されている。庭園は池泉回遊式庭園で池とその周辺を覆う老樹の調和や、池中には、兜島・鶴島・亀島・茶呑島などの小島が配され、造園の妙を見せている。東北地方では、会津若松にある松平家の御薬園とともに、二つしかない本格的な大名庭園とされている。
・鳴 合 峡  青葉区芋沢・広瀬川が作並方面から流れ落ち、郷六盆地へ注ぎこもうとする谷間の静かな深勝地。淵のところどころに「七つの石」と呼ばれる巨岩が横たわり、緑に覆われた岸辺の景観と見事な対照を見せている。春の新緑、紅葉の秋ともによく江戸時代の初め、伊達政宗がここで釣りを楽しんだという伝承もある。(七つの石、相逢石・松茸石・鞍掛石・臥牛石・起駒石・角鴟石・畳石の七つ)
・万 石 浦 石巻市渡波・牡鹿半島の西側の根元に広がる入江で、往時、奥の海とも呼ばれ歌枕の地として知られていた。万石浦の名は、二代藩主伊達忠宗が、遠島で鹿狩りを催したとき、この入江を千拓できれば、万石は優に獲れる美田になろうと言った事から興ったものといわれている。深いところでせいぜい三~四㍍しかも干潮時には、入江の四分の一が干しあがってしまうため、大型船舶は入港できない。現在はもっぱらホタテ貝・ノリ・カキなどの養殖業がさかんです。また、ボラ・セイゴ・アイナメ・スズキ・ウグイなども豊富で新鮮な味覚が味わえる。(月浦・小鯛島にも立ち寄りたいですね~)
・南三陸金華山国定公園 牡鹿半島のほぼ全域と、三陸海岸の南部を含む海洋自然公園で、県下で三番目の国定公園です。海岸線は、浜あり浦あり断崖ありの変化に富むリアル式海岸の特色を示し、金華山を中心に網地島・江ノ島列島などの大小無数の島々が点在し見事な景観です。なかでも金華山には、延喜式内社の黄金山神社が鎮座し、サルやシカが群れ遊び、さながら大自然動物園の観があります。
・金華山 牡鹿町鮎川浜、牡鹿半島の東方、太平洋上に浮かぶ周囲約二六㌔面積約九平方㌔の島。島の中央に標高四四五㍍の金華山がそびえている。中腹には黄金山神社があります。明治期以前は出羽三山(月山・湯殿山・羽黒山)恐山と並び東奥三霊場として、絶対女人禁制の島であったが、現在では東北有数の観光地として多くの人が訪れている鹿山公園・千畳敷・金華山瀬戸にも立ち寄りたいですね~
・神割崎 志津川町 南三陸金華山国定公園内の見どころの一つで、神様が村の諍いをおさめるのに島を二つに割ったとの伝説が残る岬。ここからの眺望は、勇壮なリアル式海岸を堪能するにふさわしく、東は太平洋を、南に大須崎や牡鹿半島金華山山辺りまで眺められる。また野島・唐島・泊崎もパノラマのように展開し眼下の二つの奇岩から太平洋の波濤が流れ込む、豪快な風景を見せている。
・奥松島 鳴瀬町野蒜、松島湾内最大の島宮戸島と野蒜海岸一帯を指す。松島とは対照的に太平洋の荒波が洗う勇壮な景観で、冬でも暖かく、早春にはツバキが、夏にはヤマユリが咲き乱れ、ミカンや野生のシュロが繁茂しているので「東北の伊豆」とも呼ばれている。見どころは、花魁の姿をしたおいらん島や、標高105.8㍍の大高森、大分県の耶馬溪や、岩手県の猊鼻渓とともに日本三大渓の一つである嵯峨渓などで、松島・塩釜の観光コースに組み込まれている。宮戸島・大高森・嵯峨渓是非訪ねましょうよ~
・大 島 気仙沼湾内 東西約3㌔、南北約5㌔、周囲約22㌔ほどの丘陵性の島で気仙沼市に編成される以前は、旧大島村であった。黒潮に洗われるため、冬でも雪の積もる事はなく、ツバキやビワの実る常春の島で、風景の美しさでも定評がある。陸中海岸国立公園の見どころの一つとなっている。中でも亀山の眺望をはじめ、竜舞崎・小田ノ浜・十八鳴浜などの名所として有名です。
・煙雲館 気仙沼市松崎片浜。伊達藩重臣鮎貝氏の居館。歌人落合直文・鮎貝槐園の生家。気仙沼湾の名勝としても名高い岩井崎・大島・唐桑半島を一望に収められる景勝美もさることながら、広さ1250平方㍍、自然の地形を巧みに取り入れて造園された回遊式庭園が有名です。またさまざまな巨岩・奇石を一面に配しそれぞれの樹木と対照させ、寂寞とした風情がある。
・花菖蒲の郷 登米市南方町翌沢 回遊式の本格庭園で、四季の草花はもちろん、花菖蒲園が見もので菖蒲の季節には夕鶴・牛若丸・織姫とどれも童謡に出てくる名前のショウブが一面に咲きそろう。園内には現代彫刻が設置され四季折々の自然を背景に心豊かな憩いのひとときを過ごすことができます。
・伊豆沼・内沼  国の天然記念物、登米市及び栗原市にまたがる沼です。沼面積は約五二0㌶、県下最大の湖沼として知られており、ともに追川遊水地帯で、十月下旬になるとハクチョウやガン・カモなどの水鳥が渡来する。なかにはカナダ産の雪のように白いハクガンも姿を見せ多種の鳥類の繁殖地・越冬地として学術的にも価値が高い。春のアヤメ、夏のハス秋のハギ、冬のハクチョウ、そして春から秋にかけては絶好の釣り場として、四季折々に楽しむことができる。
・旧有壁宿本陣 有壁駅の北東約五百㍍のところにある。本陣は、江戸時代、大名や上級武士が参勤交代や領内巡視の時に宿泊したところで、元和五年(1619)から寛永十二年(1635)の間に設けられたというが、延享元年(1744)の大火により焼失した。今に残る本屋・長屋・御成門などの建物は、これ以降の再建になるものだが、よく旧態をとどめており、県の文化財に指定されている。このほか土蔵や
馬屋などもあり、往時の面影を伝えている。

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秋 田 県   
秋田県の自然景観。 西に日本海、三方を山々に囲まれた秋田県。なかでも岩手県との県境には奥羽山脈が南北に走り、駒ケ岳・八幡平などの火山地帯を形成し、独特の火山景観を作り出している。県内の三大河川といえば雄物川・米代川・子吉川、この流域に広がる盆地平野が米どころ秋田の経済を支えてきている。俗化されていない自然公園も多く、四季折々の景勝地は数限りない。雪国秋田には、郷土色豊かな年中行事が多く、能代市のねぶながしから本荘市の裸参りまでバラェティに富み、西馬音内の盆踊り、奇習なまはげなどは、すでによく知られた秋田の顔である。秋田の工芸品なは豊富な森林資源と卓越した職人からの温もりを感じる風情があります。奥羽山脈の山間には度は訪れてみたい素朴な温泉郷があります、みちのくの情緒に酔いながら、さまざまな源泉を楽しみたいですね。
・秋田県立博物館 秋田市内金足鳰崎、県立小泉潟公園内にある。昭和五十年五月の開館、郷土秋田について、人文科学および自然科学の両面から学べる博物館で、広い第一展示室は常設展示で、地質時代から現代にいたるまでの秋田の生い立ちパノラマ・ジオラマで立体的に表現している、第二展示室は、美術工芸の部門展示と、テーマー展示の二本立て。第三展示室は、部門展示で、考古・歴史民俗・地質・生物の五部門に分れ、実物資料を中心に展示している。そのほかに旧奈良家・菖蒲園・日本庭園「水心苑」などがあるます。
・仁別国民の森。 秋田市仁別、太平山の西麓一帯に広がる国有林二・八三平方㌔が国民の森に指定されている。自然休養林の指定も受けている。杉・ブナなどの天然林が見事で県の観光三十景の一つに数えられる景勝地で、鳥獣類も多く、国の特別天然記念物指定のカモシカをはじめ、800種の動物が生息している。自然探勝路・遊歩道展望台・宿泊所などの施設も整っている。(森林博物館にも立ち寄りましょう~)
・仁別渓谷 太平山に源を発する旭川の水源地から仁別集落までの約四㌔の峡谷。春は緑、秋は紅葉に彩られる景勝地です。一帯は太平山県立自然公園に指定されている。
・日本国花苑 井川町、日本国花苑は昭和47年4月に昭和天皇・皇后両陛下のご訪欧、秋田県立百年井川小学校統合校舎の建設記念、日本一の桜の園をめざし、200種・2000本の桜を集め、一年中たえることなく桜が咲く名所として知られる。秋春の年2回咲く十月桜や台湾ヒザクラ、淡黄色の花をつける御衣黄などのめずらしい桜などを含めた桜のトンネルガ見られます。
・男鹿国定公園。 男鹿市の約1/3に相当し、寒風山、男鹿三山に加えて奇岩奇勝が続く男鹿半島の海岸部を主な領域とする。入道崎から男鹿半島西端にかけての海岸は海食崖や海食洞が見られ特に大桟橋は日本海の荒波が作り出した奇勝です。昭和36年以来半島各地を結ぶ観光道路が開設され半島一周のドライブができます。西海岸では遊覧船による島めぐりコースがあります。男鹿半島ならではの景観が楽しめます。南端には、ゴジラ岩などの奇岩のほか、椿地区はヤブ椿の北限自生地として、天然記念物に、また鵜ノ崎海岸は日本の渚百選に指定されています。
・竿燈祭り。 東北三大夏祭りの一つに数えられる七夕祭りで、市をあげて催される。(8月4日~7日)全国的に知られた祭りです。以前は「ねぶり流し」と称してい江戸時代から続けられた伝統ある行事で、国の重要無形文化財です。竿燈の起源は、黄泉の穢れ祓って水に流す意味・竿燈は、稲穂をかたどったもので五穀豊穣の祈りが込められているともいう。高さ10㍍余の竹竿に九本の横竹を渡しこれに四六個の提灯をつける。重さ約六十㌔。これを印ばんてん・ももひき・白たび姿のいなせな若者が笛・太鼓のお囃子にあわせて額・肩・腰などに自由自在に乗せて妙技を競う。
・男鹿のナマハゼ。秋田県男鹿市、三種町、淵上市の一部の家々で行われる伝統的民俗行事、国の重要無形民俗文化財ナマハゲ(行事)は大晦日の夜になると「悪い子はいねが~・泣く子はいなが~」と発しながら家々のまわり、悪を戒めると共に吉をもたらす、日本の民俗行事の一つで2月にはなまはげ紫灯(せど)まつりがあり、観光向け行事として親しまれている。
・ナマハゲの語源ー「火班(ナモミ)を剥ぐ」という言葉が訛ったものと言われています。ナモミとは炉端にかじりついていると手足に出来る火型のこと、それを剥ぎ取って怠け者を戒めるのがナマハゲなのです。体験してみませんか?
・能代七夕。約1300年前阿部比羅夫や征夷大将軍阪上田村麻呂がこの地で奥州合戦にのぞんだ時、灯りを水中に流し、山々に隠れている敵を威嚇したのが始まりという。能代市挙げての七夕で、祭り当日には、上端にシャチ飾りをつけた華麗な大灯籠が数台、笛の音・太鼓の響きにつれて街を練り歩き、祭りの最後の夜は、米代川に運んで「ねぶながし」が行われる、暗い川を燃えながら流れて行く灯籠が、川面に映えて美しい。
・森吉山県立自然公園。森吉山を中心に、太平湖・小又峡・安の滝・立又渓谷などの景勝地を加えた、森吉・阿仁両町にまたがる県立自然公園。ゆるやかな傾斜をもつ森山山の高原一帯は百数十種に及ぶ高山植物が見事な群落を見せている。ひなびた山の湯・湯の沢温泉もあり、山と渓谷と湖に恵まれた自然公園である。
・小又峡。森吉町東部 森吉山東麓に源を発した渓流が、原生林の中を蛇行しながら水量を増してこの渓谷に入る。渓谷は約四㌔、横滝・曲り滝・穴滝などの奇観と無数の甌穴を連続させ、さらに三階滝・六階滝と絶景が続き、太平湖(人口湖)に注ぎ込む。
・安の滝。阿仁町打当国有林内 打当川支流に落ちる東北屈指の大瀑、日本の滝百選の一つ。落差は百㍍、水が天から落ちてくるような壮大な景観を呈する。安の滝には、マタギの娘である「お安」がかなわぬ恋に悲観して身を投じたという伝説が残っており、月夜の晩に現れるという。
・芝谷地湿原植物群落。大館市釈迦内、大館駅の北方、国道7号線沿いの日鉱前にある。湿原には数多くの珍貴な植物が繁茂し、なかでもノハナショウブの大群落は、わが国屈指のものとされている。7月上旬~中旬の花期には赤紫色で染まる。湿原には食虫植物や低木も繁茂し、日本一小さいトンボのハッチョウトンボ生息地としても知られている。
・秋田県指定文化財。 通りに面し、広い堀が続き桜、もみじの大木が木立につくり江戸時代の屋敷や主屋。門・倉の屋敷など武家町の特徴を残し秋田県指定文化財に指定。春、桜祭り(4月中旬~5月上旬)夏、角館のささら舞(8月15日)秋角館のお祭り(9月7日~9日)冬、角館の火振りかまくら(2月13日~14日)
・十和田八幡平国立公園。十和田湖と周囲の山々、およびその南部につづく八幡平を中心に、秋田・青森・岩手の三県にまたがる本州最北の国立公園。昭和11年に十和田湖が指定され、されに昭和31年に、八幡平が追加指定を受けて改称したものです。十和田湖地区は、わが国第三の深湖で典型的なカルデラ湖として知られる十和田湖とここから流出して深遠な渓谷美、および青森県側にあって標高1585㍍の大岳を中心とする八甲田火山帯一群を占める。八幡平地域は十和田湖の南約40㌔秋田・岩手県境にあって、最高点1614㍍の広大は高原である。高原では寒地性針葉樹のアオモリドマツの樹海が展開し、山頂近くには八幡沼・大沼などの湖水があり、湿原植物が群落している。温泉群もある。
・七 滝。小坂町藤原 十和田湖大館樹海ライン沿いにある。約60㍍の高さから、七段にわたり落ちるすがたは圧巻である。夏の涼感と秋の紅葉が素晴らしい。日本の滝百選の一つ
・茶釜の滝。 鹿角市八幡平、人を寄せつけない自然の厳しさを感じさせる、夜明島渓谷を代表する大滝。落差100㍍、幅15㍍もあり、その迫力は思わず引き込まれそうになるほど、今なお秘境と呼ぶのにふさわしい周囲の景観と相まって神秘的な雰囲気を漂わせている。日本の滝百選に選ばれている。
・夜明島渓谷。鹿角市八幡平 夜明島川上流にある渓谷で、延長約17㌔の間、奇岩・断崖が連続し深淵・急流が目を奪う。60~100㍍級の大瀑布が10ケ所を数える仙境で、とくに紅葉の季節には露呈した岩肌と白い瀑布と紅葉が織りなす景観は絶品ですよ。
・八幡平。秋田・岩手両県にまたがる典型的なアスピーテ型火山で、八幡平連峰の中心をなす。東西に広い大高原火山で、標高約1000㍍以上の高地には、わが国最高の生育密度といわれるアオモリトドマツの原生林が発達し、その中心部には八幡沼・ガマ沼などがある。湖沼の周辺は高層湿原をなす美しい花園となっている山頂からの展望は雄大です。原生林の中のドライブも楽しめます。
・抱返り渓谷。田沢湖町卒田 八幡平に源流をもつ玉川中流にある渓谷。山間を屈曲して流れ、奇岩や、渓谷最大の百尋の滝があり、大自然の醍醐味を堪能させてくれます。夏瀬ダムまでの両岸には、松・杉・桜なだが密集し、紅葉のころは錦繍を見るようで東北の耶馬溪と称されている。県仙北市にある湖。日本で最も深い湖です。県立自然公園に指定されている。日本百景にも選ばれている景勝地です。直径約6kmの円形、最大深度423.4mで日本第一位、世界17番目に深い湖(参考世界1位バイカル湖)。深い湖水に差し込んだ太陽光は水深に応じて湖水を明るく翡翠色から濃い藍色まで彩るといわれ日本のバイカル湖と呼ばれています。辰子姫伝説も訪ねてみようよ~四季折々に見所満載、ゆっくり満喫しましょうよ。
・角 館 (かくのだて)秋田県仙北市の地名、および国の重要伝統的建造物群保存地区の名称。現在も藩政時代の地割りが踏襲され、武家屋敷等の建造物が数多く残されて観光地としても知られている。「みちのく小京都」と呼ばれている。武家屋敷通りに面して多くの武家屋敷が現存する。
・シダレザクラ。武家屋敷の通りの両側に、柳のように枝を垂らしたシダレザクラの老大木がならび その数400本ともいわれ、春に一斉に咲き誇るさまは圧巻です。国の天然記念物に指定されており、樹齢50~260年に及ぶ。
・真木真昼県立自然公園。 大田町と千畑町の東部 岩手県境にそびえる南北25㌔にわたる薬師・真昼岳連山がその区域。白岩岳・薬師岳・甲山・青シカ山・真昼岳の山々が連なりブナの原生林にクマ・カモシカなどが生息する原始境となっている。山容は峻険で真木・川口・大又・善知鳥・七瀬などのV字状の深い渓谷が刻まれ、薬師岳から田沢湖の、真昼岳からは仙北平野の眺望が素晴らしいです。林道がひらかれ、薬師連山縦走・真昼岳登山コースとなっている。
・六郷湧水群。 町内六郷 六郷の名前の由来は、アイヌ語のルココッツィ(清い水の湧出るところ)が語源といわれる。文字どおり湧水の町で、道路脇や、庭先などいたるところで清水が涌出ている。日本の名水百選の一つ。ニテコサイダーは町の特産品になっている。
・岩見岨谷峡。岩見川の上流にあたる大又川流域には岩見岨谷峡の名で呼ばれる峡谷で、西木村との境の山地に端を発する大又川が深い谷をつくっている。一帯は杉の美林をはじめとする原生林におおわれ、とくに上流の岩見山国有林付近の紅葉が素晴らしい。田沢湖スーパー林道が通っている。
・横手市の雪まつり。2月中旬に「かまくら」を中心に、雪国横手にふさわしい行事が行われます。「かまくら」「梵天」「雪の芸術展」を総称して雪祭りという。冬の風物詩として全国から観光客が訪れる。<かまくら>道ばた、あるいは井戸のそばなどに雪を集めて、高さ2㍍ほどの祠をつくり、正面に水神様を祀り、その前で子供たちがゴザを敷いて火を囲み、甘酒をあたためたり、餅を焼いたりして楽しむ。夜になると祠は灯でぼんぼりのように明るく、誰かがのぞけば、見知らぬ人でも「甘酒あがってタンセ」と招きいれる<梵天>市の南、二㌔ほどのところにある産土神旭神社に奉納される行事で、内容は秋田市の梵天に似ているが、梵天の頭に、意匠をこらした飾りをつけるのがここの特徴です。

横手のかまくら。(秋田県横手市)
毎年2月、梵天とともに横手の雪まつりとして、かまくらが15・16日に梵天が17日に開催される。冬の夜に灯る夢幻の光に照らされる雪国の人の温かさが感じられる幻想の世界。
豊作や雨乞いと子供の遊びがつながった祭事です。「入ってたんせ~」甘酒やお餅を振舞う、子供たちの素朴な触れ合い、無数の小さなかまくらからの光が夜に浮かぶ光景を眺めに参りましょうよ。

・平安の風わたる公園。横手市金沢中野 平成三年、西沼のほとり、後三年の役古戦場場跡を整備してオープンした歴史公園。園内は平安時代の東北を再現したもので、三連の太鼓橋「雁橋」や武将のブロンズ像などの後三年の役にちなむモニメントがある。
・浅舞公園。平鹿町浅舞 平鹿町の中心、浅舞地区にある。公園は南端、八幡神社の境内と接しており、桜の名所として名高い。とくに公園から街道まで一㌔ほどつづくのトンネルが見事です。園内には、一万株もあるアヤメ園もある。
・犬っこまつり。毎年2月の第2土曜日とその翌日。約400年もの長い伝統をもつ民俗行事です。この日土蔵の入口や窓に、米粉で作った犬・鶴・亀・魚などが赤・黄・青の三色で彩られ盗難や魔除けにされます。この犬っこを売り買いするのが犬っこ市です。まつりは雪で造った高さ60㌢ほどのお堂に入れ、燈明をあげるもので、犬が家の留守番をしてくれることから起こった風習だという。
・三途川渓谷。湯沢市高松 河原毛地獄の入口にある。高松川の渓流が深く岩を削り、高さ四十㍍に及ぶ岩壁が岩肌を露呈し、雄大な渓谷美をつくっている。
・川原毛地獄。 三途川から南へ約五㌔ほど行ったところにある。全山ふもうの硫黄山で、荒々しい岩肌が露呈している。青森の恐山・富山の立山と並んで日本三大霊地の一つに数えられる。昔から奇山として知られ、血ノ池地獄・針ノ山・さいの川原などと名づけられた火山現象の景観が多い。地獄山の麓にある湯滝は高さ二十㍍程で、滝つぼつねに五十度をこえる天然風呂をつくっている。
・栗駒国定公園。県の南東端、秋田・岩手・宮城の三県にまたがる栗駒山を中心に、その北西山腹に広がる高原山麓一帯を含む国定公園である。中心の栗駒山の山頂からの眺望もすぐれ山頂付近は豊富な高山植物が分布して自然の花園をつくり、山麓には温泉も多い。小安峡は、河原の湯から大湯温泉に至る約八㌔の皆瀬川の美しい渓谷である西方の高松岳の山麓には秋ノ宮温泉郷があり、高原一帯には桁倉沼をはじめとする湖沼群があるなど、変化に富んだ国定公園です。
・小安峡。湯沢市 皆瀬川の上流、小安沢との合流点付近の渓谷を小安峡と呼んでいる。渓谷沿いに小安温泉があり、温泉の上流、下流各四㌔ほどの範囲にわたって断崖の渓谷美が見られます。温泉から下流へ10分ほど歩き、300段の石段を下りると、川原の絶壁の割れ目から白煙がたちのぼる大噴煙が、谷を埋めつくしている噴き出す熱湯は九十七度もあります。
・小町堂。雄勝町 小野小町を偲んで建てられた建物で、小野地区には、小町母子の墓、小町が手植えの芍薬塚、臨終の場所とされる岩屋堂、深草少将の居住と伝える平城跡など、小野小町ゆかりの遺跡が数多くあります。
・新山公園。本荘市石脇 広大な園地には自然の山をそのまま移したように老松の林や奇岩が点在している。鳥海山の麗姿、海のかなたに男鹿半島・飛島も望まれる。山頂には、極寒の奇祭で有名な裸参りの新山神社がある。
・石沢峡。本荘市 子吉川の支流石沢川の渓谷で、深く切り立った断崖が約八㌔にわたってつづき奥ヶ沢・大比戸・物言端・片岡・草紙淵・鬼倉山・大滝・諏訪の淵のいわゆる石沢八景と称される景観がつぎつぎと見られるほか、近くに本荘公園・新山公園・赤田の大仏などがあり、また近くに温泉もあり、紅葉狩りの名所としてもよく知られている。
・亀田不動滝。岩城町 衣川の上流にあり、落差約20㍍、幅10㍍余の滝です。昔、赤田の是山がここで修行したと伝えられる。玄武岩に白布を垂らしたようにながれる。この近くに観音森もあります。
・白瀬南極探検隊記念館。金浦町 明治時代、204トンの木造船で南極に足をふみ入れた白瀬中将の偉業を記念して建てられた。館内にはオーロラドームをはじめ、極地展示コーナー学習室なだがある。(南極点到達は第九次南極越冬隊が到達する)
・象 潟 (きさかた)天然記念物、象潟町象潟駅の東と北に広がる水田地帯。もとは鳥海山の麓に広がる遠浅の入江でいつの頃から象潟と呼ばれるようになった。東西1.5㌔南北約5㌔ほどの広さを有する象潟には、かっては九十九島・八十八潟と称される小島や潟が点在し松島と並び称される絶景の地とされた。しかし、文化元年の(1804)大地震の際に地面が隆起して水は涸れ一帯は水田として開墾されてしまった。当時の島は今も水田の中に松を頂いて点在し、往時の面影を偲ばせる。現在は鳥海国定公園に含まれている。象潟は古くから東北の景勝地として知られる元禄二年(1689)俳人の松尾芭蕉が「奥の細道」の途次に立ち寄っている。文人墨客の数多く訪れているところ。
・奈曾の白滝。にかほ市にある滝。 鳥海山登山象潟口から五㌔ほど行った奈曾川上流にあり、かっては難所として有名だった。高さ二十六㍍、十一㍍の雄大な瀑布である。滝のすぐ上流には、古代から有名な奈曾の白橋が緑樹の合間に見える。国の名勝に指定された景勝地である。
・鳥海山。 秋田・山形の両県にまたがる鳥海火山帯の主峰で、最高点は新山(山形県)の2236㍍東北第二の高山で、日本海の波うちぎわから麗姿をみせる名山である。山頂からの眺望は雄大で、北は岩木山・岩手山・八幡平・南は月山・朝日・蔵王、吾妻の山々を遠望し、脚下には日本海が広がる。とくに夜明けの時鳥海山のシルエットが日本海上に鮮やかに投影するさまは「影鳥海」の名で呼ばれている
・法体の滝 (ほったいのたき)由利本荘市に位置する滝です。百宅集落から、子吉川の渓流に沿って東道を進むこと、約1.5㌔、広大な園地の東奥に大瀑布が立ちはだかる。流長100㍍、落差57㍍幅3~30㍍の末広がりの滝で、秘境百宅にふさわしく神秘的な景観である。春の新緑・夏のキャンプと渓流・秋は紅葉と四季それぞれの趣がある、ハイキングコースとして絶好のところです。日本の滝100選の一つです。

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山 形 県  
山形県の自然景観 山国山形、出羽山地、奥羽山脈、鳥海山、吾妻・飯豊・朝日山地等が美しい姿を、また四季折々に自然の素晴らしい景観を見ることが出来ます。県内市町村すべてに温泉が湧き、山間にある素朴な温泉や日本海に面した温泉などその数約130にのぼる。秘湯あり、歴史ある温泉街ありまさに山形県は温泉の宝庫で祭りは、四月中旬。夏ともなれば「花笠まつり」、掛け声と踊りに、街は熱気に包まれます。  (郷土資料事典より)
・山形城跡(霞城公園)史跡 山形市内。 全国有数の近世城郭遺跡で、国の指定史跡です。延文元年(1356)最上家の始祖、斯波兼頼が初めて築いた城、以後最上百万石の居城として偉容を誇ったが、元和八年(1622),最上氏改易以来、城主もめまぐるしく代わり、石高も減っていった。現在、城内は霞城公園となり、春には桜の老樹が咲きそろって大勢の観光客を誘っております。
・山形県立博物館 教育史料館(旧山形師範学校本館)国の重要文化財。山形市内 明治三十四年九月に竣工した旧山形師範学校本館を一部復元して利用したもので、現存する建物は明治三十四年、旅篭町から移築された。山形県関係の教育資料が展示されている、明治期の洋風学校建築の遺構として当初の姿をよく残している山形県郷土館にもたちよろう、重要文化財。
・山寺立石寺 (やまでらりつしゃくじ)史跡・名勝
 山形市内 宝珠山の山腹にあり、一般には「山寺」と呼ばれ、松尾芭蕉の句「閑かさや岩にしみ入る蝉の声」で有名な名刹である。天台宗の僧慈覚大師が開山。かっては1400石の寺領を持ち隆盛を誇った大寺院です。春は桜、夏新緑、秋は紅葉、冬は面白山のスキーと四季それぞれに楽しめます。
・蔵王国定公園。 山形・宮城の両県にまたがる蔵王連峰を中心とした山岳自然公園で、指定地区内には、V字型で知られる二口渓谷や、蔵王・青根・蛾々などの温泉があってバラエティーに富んでいる。 冬の蔵王は、樹氷を縫って滑る山岳スキーのメッカとしても知られている。
・御 釜 (五色沼)。馬の背外輪山と五色岳の中間、標高1600㍍のところにある直径360㍍の円形火口湖で、水深は約40㍍、周囲は切り立った断崖になっている。時に応じて新緑・茶・コバルトといったように、水の色が五色に変化するというので、五色沼とも呼ばれ、蔵王観光の圧巻とされている。
・蔵王の樹氷。 蔵王の代表的景観で、冬に吹く強い北西の風が運んでくる水滴が、蔵王に多いアオモリトドマツやカラマツなどの葉について凍ったもの。世界的に知られる自然芸術品「樹氷」です。見ごろは1月~3月中旬頃。
・天童公園 (舞鶴公園)。天童市天童。 春は桜とツツジ、秋には紅葉の名所として人々に親しまれている。 舞鶴山は、南北朝期、北畠天童丸が拠ったといわれる山城跡で、干布の八幡山、蔵王山とともに出羽三森の一つとして称される。四月下旬、咲き誇るソメイヨシノの下で、将棋供養祭と人間将棋が開催され、園内は多くの見物客でにぎわいます。天童市の名物行事となっている。人間将棋とは、昔は大名が地上に将棋盤の目を作り、腰元、小姓たちを駒に見立てて指しての通り動かしたという故事と、海外のチャスにヒントをえて、市観光協会関係者が具体化し昭和30年から行われている。
・東沢バラ公園。 村山市楯岡 園内には桜の時期には約300本の桜が咲き誇り、初夏には東沢沼の 東岸に臨んだ斜面一帯に世界各国750品種、20,000株余のバラが咲き乱れます。最盛期にはバラ祭りが行われます。また園内には野外音楽堂・自然遊歩道・オリエンテーリングコースなど、バラエティーにとんだ施設が整っています。
・御所山県立自然公園。 宮城・山形の両県にそびえる御所山を中心とした山岳自然公園で、指定区域内には材木岩・層雲峡・大滝などの変化に富んだ奇景を誇る丹生川渓谷をはじめ、大平高原牧場・黒伏山の大岩壁など多くの景勝地がある。
・米沢城跡。 山形県米沢市丸の内にあった平城で、1238年長井時広の築城と伝えられている奥州侵攻の軍功で1189年より長井庄地頭となり治世191年に及ぶ。1380年伊達8代宗達が、長井八代広房を滅ぼし長井庄を領する。伊達政宗はこの城で生まれる、正宗は1591年豊臣秀吉により岩出山に移封。伊達氏治世212年1591年より蒲生氏一族郷安が城主となる。1598年上杉領となり初めは上杉景勝公の重臣直江兼続が城主となり、1601年に上杉景勝公が城主となる。明治2年の版籍奉還まで272年間上杉氏が城主、舞鶴城と称す。明治6年城が取り壊され、明治7年公園として市民に開放される。昭和27年より市都市計画として公園に整備、昭和32年 都市公園の設置を受け周囲を濠に囲まれ桜の木に包まれ桜の名所ともなる。
・上杉記念館。 米沢市丸の内。 米沢藩主上杉氏の旧邸で、歴史・民俗に関する各種の資料が展示され名産の米沢牛や山菜を使った郷土料理を楽しむことができる。庭園は、東京の浜離宮にならったものといわれ平庭であるが、池泉に木石が巧みに配置された旧藩主邸にふさわしい名園である。
・磐梯朝日国立公園。 山形・福島・新潟の三県にまたがる山岳自然公園で、出羽三山、朝日連峰、飯豊連峰、吾妻連峰、磐梯山、猪苗代湖までの広い範囲に及んでいます。夏スキーで知られる月山、残雪で有名な朝日連峰、サル・クマ・カモシカなどが生息する飯豊山群、温泉の多い吾妻火山群など、変化に富んだ自然を楽しめます。年々登山者も増えており、見どころ多い国立公園です。
・あやめ公園。長井市横町 面積約四万平方㍍、新旧500種以上、約百万本のあやめが植栽されておりとくに長井小町・朝日の峰・長井小紫・小桜姫などは、他で見られないあやめの原種ともいわれるもので、全国のあやめ愛好者から注目されている品種です。六月十日から七月十日の開花期には、市をあげて盛大なあやめ祭が行われます。
・白つつじ公園。 長井市神明町 最上河畔にあり、松ヶ池公園とも呼ばれ、面積は約一万五千平方㍍で樹齢750年の琉球種の白つつじなど、約三千株余が植栽されている。これらの白つつじは、天明三年(1783)の飢饉の際、鈴木家の先祖が窮民救済事業として数町にわたって築山を造成し、植えさせたものであるという。開花期には、雪が降り積もったように白花が咲き競い、見物客でにぎわいます。
・最上公園 (新庄城跡)。新庄市堀端町 新庄藩戸沢氏代々の居城跡で、城は明治維新の際、兵火にかかって炎上し、本丸跡が公園として開放されている。桜の名所として名高く、春には350本の桜が咲き誇ります。
・栗駒国定公園。 岩手・秋田・宮城・山形の四県にまたがる山岳自然公園で、中心の栗駒山の山頂からの展望は優れ、山頂付近には豊富な高山植物が分布して自然の花園を作り、山麓には温泉も多い。岩手県側北麓の須川温泉は国民保養温泉地となっており、南西斜面宮城県側の栗駒五湯も素朴な山の湯として湯治客に親しまれている。渓谷美も素晴らしい。
・最上川県立自然公園。 最上川が出羽山地を横断する古口から清川(立川町)までの約一六㌔の区間渓谷美で知られる最上峡を中心とした自然公園。見どころには落差一二0㍍余の白糸の滝や名木土湯杉の美林帯、日本武尊を祀る仙人堂などがある。「五月雨をあつめて早し最上川」芭蕉の有名な一句がある。秋の景観が特に見事でまた一~三月には「風流雪見船」も運行され、風流を楽しむ観光客も多い
・加無山県立自然公園。 加無山を中心にした山岳自然公園で、面積は二一五・三二平方㌔、昭和三八年一二月の指定。加無山には男加無・女加無の二峰からなり、いずれも集塊岩からなる奇岩峰を形造っている。奇岩をいろどるヒメコマツやカシワの緑が美しく、頂上付近には高山植物のお花畑もみられる。山麓をうずめる原生林に深い渓谷をつくって南流する八敷代川には三階滝・小壺滝などの滝がかかり、初夏の新緑のころも良いが、清流が一段とさえる秋の紅葉期がとくに素晴らしい。頂上からの眺望も素晴らい。
・本間美術館。 酒田市御成町 昭和22年戦前大地主だった本間光正氏が、約200年の由緒もつ別邸を地方文化発展のため解放したものです。・鶴舞園ー池の中島の松に鶴が飛んできたことから藩主酒井候によって「鶴舞園」と名付けられました。その庭園は池泉・木石の調和が見事な名園で、名花珍樹も数多く、春は白ツツジ、秋は紅葉などで楽しませてくれます。清遠園にもよってみましょうよ
・飛 島 (鳥海国定公園)。酒田港の北西約39㌔、飛島本島とその西方にある御積島・烏帽子島など小島からなる群島で、ウミネコの繁殖地として知られる。暖流が流れ込み、好漁場でタイ・イカなどの季節の魚が楽しめます。比較的温暖で寒地性・暖地性の両植物が繁茂している。5月から8月にかけて観光客が訪れます。
・十六羅漢岩。 遊佐町西楯。 日本海の荒波が寄せる自然岩の岩頭に、釈迦・文殊・普賢・迦葉、阿難や十六羅漢像など二十二尊像が浮彫りされており、付近の奇岩・怪石と相まって神秘的な雰囲気を作り出している。元治元年七月、吹浦海禅寺の二十一代住職大法寛海和尚が、山本正照・大沢盛利の両人に彫らせたものという。(歴史文化百選)
・鳥海公園。 遊佐町。桜の名所として知られ、展望台からは北に鳥海、西に庄内平野が一望できる 300本余の桜が一斉に咲き競う五月中旬、園内は花見客でうずまる。また花ショウブ、コブシ・ツツジも多く、四季折々の町民の憩いの場となっている。
・鶴岡公園。 鶴岡市馬場町。庄内藩主酒井氏の居城跡で、杉や松の古木の中に荘内神社郷土資料館、野球場などがあり、市民の憩いの場となっている。また桜・ハナショウブ・ハス・バラなどの花の名所としても知られている。日本さくら名所100選。また日本の歴史公園100選に選定されている。
・大山公園。 鶴岡市大山。 鎌倉時代、付近を統治していた、武藤氏の本拠尾浦城跡です。さくら、紅葉の名所として知られる。九万九千㎡余の園内には、上池、下池があって釣りやボートを楽しめます。四月には数千本ある桜が咲き乱れ、盛大な桜祭りが行われ、多くの花見客で賑わいます。
・文下のケヤキ (ほうだしのけやき)鶴岡市文下。 ケヤキの巨木、樹齢800とも1000年ともいわれる。ケヤキの有数の巨木として知られ、今もなお樹勢もさかんである。昭和2年、県の天然記念物に指定され、同26年国の天然記念物に指定された、また近隣の熊野神社の大スギも見事ですよ(国の天然記念物に指定)
・あつみ温泉バラ園 。温海町。温泉街のはずれ、熊野神社の境内にあり、面積は5000平方㍍、6月~10月にかけての開花期には、赤、白、黄色の80種3000本余のバラが咲き競い、見物客をつつんでくれます。
・老杉並木・爺スギ。 羽黒山参道。羽黒山の北西麓、2446段の長い参道の両側に樹齢150年~500年に及ぶ老杉並木が続き樹勢もさかんで、全国にもまれな杉並木で国の特別天然記念物に指定されている。また、参道の途中に爺スギは、樹齢1000年、すでに枯死した婆スギとともに羽黒山中の最大木として古くから有名で国指定の天然記念物です。

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 訪ねて見たい 温泉 (東北編)

活動報告写真

青森岩手宮城秋田山形
青 森 県
・蔦温泉。 青森県十和田市黒瀬にある温泉   十和田湖樹海、ブナの原生林の中に油煙が上がるその木立の中で優雅にたたずみ、お湯は澄んで湯玉は底から湧きあがってくる蔦温泉。
・浅虫温泉。青森県青森市にある温泉で、平安時代慈覚太師により発見された温泉、傷ついた鹿が湯浴するのを見て村人も入浴し、それ以来人々に利用されるようになり、温泉名も麻蒸し転じて浅虫となった。飯坂温泉(福島県)・花巻温泉(岩手県)とともに東北地方で有名な温泉です。湯量も豊富で前面には湯ノ島・裸島が浮かんで眺めも最高。春は潮干狩り、夏は海水浴、冬はスキーと楽しめます。
・大鰐温泉 (おおわにおんせん)。青森県南津軽郡大鰐町にある温泉。この温泉の歴史は古く、建久年間1190~98)に唐僧円智上人が発見したと伝えらる。当時から地元の人々の療養の場として利用されてきた。昭和28年、碇ヶ関温泉とともに大鰐、碇ヶ関温泉郷としえ県立自然温泉公園に指定される。夏は平川の釣り、河鹿の声、秋は新鮮なリンゴの味覚、冬はスキーにと四季折々に楽しむことが出来ますよ
・碇ヶ関温泉 (いかりがせきおんせん)青森県平川市にある温泉郷。発見されたのは古く、鎌倉時代までさかのぼると推測されるが、藩政時代貞享元年(1684)に四代藩主信正公が御仮谷を建て、しばしば入浴に訪れ、幕末ころには伊能忠敬・古川古松軒・吉田松陰もここを訪れている。日露戦争、第二次世界大戦中には陸軍の療養所が開設されている。昭和四二年には温泉プール・遊園地・葛西善蔵文学碑を中心に三笠山公園が造成されスキー場も整備され観光開発も進んでいる。
・八甲田温泉。青森市駒込にある温泉、箒場平の放牧場や長吉平ゴルフ場、天然記念物の湿地植物群落も近く、行楽客やゴルファー達に親しまれている。
・薬研温泉 (やげんおんせん) 青森県むつ市大畑町薬研にある温泉、森に囲まれた渓流沿いの温泉で、湯の湧口が漢方薬を粉にする薬研に似ていることからこの名がついた。この湯はその昔、豊臣方の落武者によって開かれたと伝えられている。無色透明の炭酸鉄泉が豊富に湧いている。滝・淵・岩などが美しい渓流美を見せている。渓流にはヤマメ・イワナが多く、露天風呂につかりながら釣りが出来るという風情もあり、野趣に富んでいる。上流の奥薬研温泉までウグイ滝・薬研大滝といった景勝を楽しみながら、渓流をさかのぼる薬研遊歩道も開けている。
・酸ヶ湯温泉。青森県青森市南荒川山国有林酸湯沢にある温泉、八甲田山系大岳の西麓、硫黄泉を漂わせる温泉で昭和29年国民保養温泉第一号に指定、恵まれた自然環境と年季入りの建造物浴場、温泉の質、温泉も自然涌出の源泉六本又は広さ80坪ヒバ造りの「千人風呂」「熱の湯」「冷の湯」「四分六分の湯」などの浴槽が白濁した湯があふれる超秘湯。
・下風呂温泉。下北郡風間浦村下風呂にある温泉、下北半島の北岸にある温泉で、大間温泉、桑畑温泉に次ぐ3番目に北に位置する温泉です。町中に硫黄の立ち込めている。井上靖の小説「海峡」の最終舞台になり、「海峡の宿」として登場してからは、一躍有名になり、ロマンの跡をたどって訪れる人も多くなったとか。観光拠点、二見岩で神秘的な岩の形は、伊勢の二見岩と並び称せられるほどです。温泉の浴槽からは遠く北海道の山々も眺められ、夏から秋にかけては、夜イカ釣り舟の幻想的な灯りがともり、汐首岬の灯台の灯も旅情をかき立てます。新鮮な海の幸、渓流のアユ・マスから山菜までの味が楽しめますよ。
・馬門温泉 (まかどおんせん)上北郡野辺地町にある温泉です。烏帽子岳の北麓に湧く温泉。文政年間(1818~29)の発見といわれている。古くから療養向きの温泉として地元の人たちに親しまれてきたが、近年電鉄会社経営のヘルスセンター式ホテルが建ち、行楽的な温泉として県外からの客も増えている、高台にある為北の海への眺望もひらけ、冬にはスキー客で賑わう。
・古牧温泉 (こまきおんせん)青森県三沢市にある温泉で、22万坪の敷地をもつ一大温泉レジャー施設です。付近には保存建築その他が立ち並ぶ。付帯施設として、岡本太郎記念公園、渋沢邸、古民家南部曲屋なだがある。
・温湯温泉(ぬるゆ)
青森県黒石市の浅瀬石川河畔にあり、450年ほど前に鶴の湯浴で発見されたという
歴史を持つ温湯(ぬるゆ)温泉。黒石温泉郷の西玄関口にあたり、大きな共同浴場を囲んで内湯のない客舎が建ち並ぶ集落形態の温泉地、全体の雰囲気はのどかで、素朴さが残っています。伝統的な津軽系こけしの発祥の地として全国的に有名です。
・青荷温泉 (あおに温泉)
青森県黒石市にある、ランプの宿として知られる秘湯です
開業は昭和4年と新しく、秘境青荷渓谷沿いにあり、風情豊かな秘湯です。

日本海に面する一軒宿の秘湯的温泉地の不老ふ死温泉やスキー客が多く訪れる百沢温泉にも立ち寄ってみたいですよね。

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岩 手 県
・松川温泉。 八幡平市にある温泉で、250年前の開湯という、岩手山につづく山塊の中腹、標高800㍍の地点にある山の湯で、八幡平登山や岩手山縦走コース、冬スキーの絶好の基地となる。八幡平樹海ラインは夏の新緑や秋の紅葉の時期には素晴らしい景色となり、また付近の松川渓流はイワナとヤマメの宝庫で、天然記念物のモリアオガエルが生息する大揚沼や、地熱利用のわが国初の地熱発電所、1000人収容の県営キャンプ場などが近くにあり、湯治やスキー以外の目的で訪れる観光客も多い。
・八幡平温泉郷 。岩手山の雄大な山稜をバックに広がる一大温泉保養地。昭和46年、松川温泉から引き湯して始めた新しい温泉で、県民の森自然休養地などに囲まれた豊かな自然の中にある。温泉郷には、ホテル・旅館・貸し別荘・保養所などの宿泊施設が建ち並び、プールやテニスコート・フィールドアスレチック・ショートゴルフ場・スキー場などが整備されている。付近は高山植物の宝庫である御在所園地や、紅葉の名所松川渓谷、森の大橋といった見どころもあります。
・繋温泉 (つなぎおんせん)盛岡市の西、雫石川に沿った山ひだにある静かな温泉郷で、盛岡市街からの交通の便がよく、市の奥座敷の役割を果たしている。この温泉は前九年の役(1051~62)の際、源頼朝・義家が本陣を繋の湯の湯舘山においたときに発見したと伝えられる。繋の名は、義家が愛馬を穴のあいた石に馬をつないで入浴したという伝説に由来するという。現在も義家の馬つなぎ石などの旧跡が付近にある。
・金田一温泉郷。岩手県二戸市金田一に位置する温泉郷。1000年以上という古い歴史をもつ、わが国でも珍しいラジウム温泉。正徳二年(1712)盛岡藩の指定湯治場となり、藩士の湯治場として”侍の湯”ともいわれた。馬渕川沿いにあり静かな環境で今も湯治場の雰囲気を残している。この辺り一帯は有名な座敷童伝説の残る湯の里で、観光リンゴ園やアユの中間育成施設を生かしたアユの里などもある。
・夏油温泉・(げとうおんせん)岩手県北上市西部焼石岳中腹の渓谷にある温泉。850年前に発見された非常に古い温泉である。夏油川に沿って曲がりくねった山道の最奥部にある風呂は川の下流から、真湯、女の湯、疝気の湯、滝の湯、大湯があり、滝の湯以外は川岸の露天風呂である、このほか二箇所の内風呂がある。みちのくの名湯として評判高い.
・花巻温泉郷。 岩手県花巻市の西部に位置する温泉の総称。豊沢川沿いに松倉温泉から新鉛温泉山を、挟んで北側に花巻温泉・台温泉が存在する。東北有数の規模を誇る温泉。古くからの湯湯治や人気温泉等と、自然公園の四季折々の風情を愉しみながら露天風呂など豊富な温泉地
(花巻南温泉郷又は南花巻温泉郷と表記されることもある)

須川温泉(栗駒山登山者の登山基地として利用者の多い)真湯温泉(直しの湯)としても有名)
湯本・湯川・鶯宿温泉にも立ち寄ってみたいですね。

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宮 城 県  

県内には源泉総数743ヶ所、湧出量毎分3万ℓに及び、年間延べ宿泊客270万人にも及ぶとの事で、その中でも中心的な温泉地としては秋保温泉郷をはじめ鳴子温泉郷、遠刈田温泉などがあり多くの観光客を集めています


・鳴子温泉郷。宮城県大崎市にある鳴子温泉・東鳴子温泉・川渡温泉・中山平温泉・鬼首温泉の5つの温泉地の総称。発見は承和4年(837)。鳴子火山が大爆発し熱湯が噴き出したといわれ、一説にはそのときの爆音から村人が「鳴郷の湯」と名づけたとか源義経や松尾芭蕉にちなんだ名所旧跡・古道が多く残っている。日本百名湯にも選ばれている。
・鳴子温泉。宮城県鳴子町湯元にある温泉。奥州三名湯の一つ、鳴子温泉郷の中心として古くから知られている温泉。源泉は荒雄川右岸、鳥谷ヶ森を南に望む見晴らしのよい場所に点在しており、湯元・河原湯・新河原湯・東湯・元車湯・多賀ノ湯・新多賀ノ湯などがあり、泉量豊富な湯どころである。付近には新緑と鮮紅色の紅葉で有名な鳴子峡、温泉神社、鳴子ダムなどがある。鳴子峡入口付近に日本こけし館がある。
・東鳴子温泉。宮城県大崎市鳴子温泉郷にある温泉、開湯の伝説は二つ存在する。①平家の落人が発見した説。②天平19年にこの地に玉造軍団が設置された際にはすでにあったとの説。古くから湯冶場として開けたことから、素泊まりや自炊部、または混浴浴場を有する旅館が多い。
・川渡温泉 (かわたびおんせん)宮城県大崎市鳴子にある温泉、玉造八湯の門戸に当たるところで、中森山の麓、荒雄川西岸に点在している。昔から「脚気川渡・カサ鳴子」と呼ばれていたほど脚気に効能があるといわれ、胃腸病・リユーマチ・皮膚病の湯治場として知られている。付近には紅葉の小黒ヶ崎・白糸の滝・祥雲寺・石割の梅などがある。
・中山平温泉。宮城県大崎市鳴子にある温泉、玉造八湯の中でも最も西に位置し、鳴子温泉から西へ約六㌔ほどのところ、黒森山の麓。別名を星の湯ともいい、早くからひらけていた。温泉の周囲は中山平とも呼ばれる高原地帯で夏は避暑地としてにぎわい、秋は紅葉で知られる。
・鬼首温泉郷 (おにこうべおんせん)宮城県北西部、大崎市の北にある温泉群。荒雄岳の西麓および南麓、荒雄川に臨んで散在する温泉郷で轟・神滝・宮沢・吹上・荒湯などの温泉で構成されている。中心地は轟温泉で、荒雄川の岸辺に湯元があり、古湯と新湯がある。古湯は元和年間に新湯は江戸末期に発見されたという。荒雄岳は硫黄の採取場と知られ、栗駒登山・仙秋ラインのなかでも名勝とされている。また、空に突然吹き上げる熱湯(間欠泉)や、沢を成して流れる湯の川、天然の岩風呂や、露天風呂、道路脇の林の中や岩の間から熱湯が涌出ている地獄などが随所にあり、温泉火山活動の研究対象となっている。
・作並温泉。宮城県仙台市にある温泉で仙台市と山形市を結ぶ位置に有り、その由来は仙台藩主の隠し湯と伝えられ、寛政八年の開湯以来さまざまな文化人を初め多くの人にあいされた温泉で「美女づくりの湯」とも言われる。仙台の奥座敷と称される作並温泉です。
    
・定義温泉 (じょうげおんせん)宮城県仙台市青葉区大倉にある温泉。標高五百㍍のところにある閑静な山の湯です。大倉川の支流湯川の流れに臨んでおり、湯は西岸の岩間から涌出ている。仙台近郊では素朴さを色濃く残している温泉で、昔から神経性疾患に効能があるといわれている。付近には定義如来、三階滝・材木岩などがある。ハイキングコースとして親しまれている大倉ダムがある。
・遠刈田温泉(とうがった温泉)宮城県刈田郡にある温泉、開湯は約400年前とも、より以前、金商人の金売り橘次によって開かれたともいわれ、古くは「湯刈田ーとうがった」を地名としていたため、現在も「とおがった」「とうがった」といっている。この地はまた鳴子温泉、土湯温泉(福島)、温湯温泉(青森)などと共に、こけしで有名です
・秋保温泉。宮城県仙台市秋保町にある温泉。仙台都心から近いため日帰り入浴客にも利用される温泉地。鳴子温泉、飯坂温泉とともに奥州三名湯に数えられる。開湯時期は不明、古墳時代にはすでに存在したとする説、今から1500年前。第29代欽明天皇の病がこの湯で全快され「名取の温湯」の称号を賜り、以後、日本三御湯として全国にその名をしられたとする等、藩政時代には伊達家の入浴場も置かれた、現在では庶民の憩いの温泉地になっています。奥州最古の温泉地、年間延べ宿泊客数は東北第一
・鎌先温泉 (かまさきおんせん)白石市福岡蔵本。市街地の北西五㌔、児捨川支流の谷底にあり、昔から奥州の薬湯として知られた温泉。里人が草刈の最中、鎌の先で掘り当てたと伝えられている。周囲を山々に囲まれているため冬期でも雪が少なく四季を通じて賑わっている。付近には温泉神社・天狗角力場、傘型に枝を広げた「不忘の松」や不動滝・沼滝といった名所や「伝統こけし」の故郷弥治郎地区がある。

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秋 田 県

県内に宿泊施設120余、源泉総数510余、湧出量毎分7万7千ℓを有し毎年延べ宿泊客数は171万。中心的な温泉地として、玉川、御所掛、ふけの湯などの多くの湯治場が集中している八幡平温泉郷が多くの宿泊客を集めている。さらに田沢湖高原温泉郷(鶴の湯、黒湯、孫六、妙乃湯、大釜、蟹場)で構成される秘湯的な温泉地を有し、秋田新幹線が開通後宿泊客などが数多く増えています

・八幡平温泉郷。奥羽山脈の高地に位置する一軒宿の温泉が点在する。
玉川、後生掛、ふけの湯、大深、大沼と岩手県の藤七を加えて八幡平国民保養温泉地に指定されています(1959/昭和34年)噴気を上げる地熱地帯など自然景観を楽しめます。
・玉川温泉 。秋田県仙北市八幡平の西端焼山の西麓にある温泉。大噴の源泉から毎分9000リットルの湧出量が幅3mの川となり、またこの湯は大浴場にも流れ込んでいる岩盤浴は地熱地帯の北投石(特別天然記念物)の上にゴザを敷き横になって毛布にくるまって浴びる岩盤浴です。
・後生掛温泉。鹿角市八幡平。菰ノ森と栂森とのあいだ、標高900㍍のところにある。樹海ラインの名のとおり、付近一帯はブナ林の樹海であり、ときにはアオモリトドマツ、ミズナラの巨木も見られる。このあたりは火山活動が最も激しく、いたるところで噴気・噴湯があり、温泉自体が地獄の上にあるようです。ここの温泉はオンドル式が主だが、ほかの温泉に見られない蒸し風呂がある。トロコ温泉・大沼温泉に寄ってみたいですね
・ふけの湯温泉。市内八幡平。八幡平五合目、高所にある八幡平最古の名湯。この湯は名のとおり、蒸し風呂を特徴とするもので、発見は古く宝永年間に開発されたという。ここの泉原は数多く、湧出量も多い、また湯の川の野天風呂もあちこちにみられる。
・森岳温泉。森岳郡森岳にある温泉郷。 奥羽本線沿線唯一の温泉郷である。歴史は新しく昭和27年(1952),帝国石油が石油採取のため掘削していた時、突然湧き出したものです。男鹿半島や旧八郎潟の見学・遊覧の基地としても多く利用されている。名物のジュンサイ料理は珍味。
・男鹿温泉郷。男鹿市にある温泉郷。 男鹿半島の北岸にあり、八望台・戸賀湾・入道崎など、男鹿半島観光の中心にある。江戸時代、秋田藩主も好んで入浴された湯本温泉、明治時代に発見された石山温泉は、大正時代は湯治場として親しまれ、昭和27年に最初の温泉宿が建設されその後、ホテルや国民宿舎などが開業し、男鹿を代表する宿泊地として、また秋田の奥座敷として親しまれております。
・湯の沢温泉。森吉町にある温泉。山間のひなびた温泉で、近年は森吉登山者や秘境小又峡を訪れる人釣り人などで賑わいを見せている。県の名勝・天然記念物指定の小又峡へも近く立ち寄ってみよう
・大滝温泉。大館市十二所二位置する温泉。 米代川畔に沿った湯の街。旧藩時代秋田藩主佐竹氏が湯治定宿地としていたという由緒ある温泉で、湯量も豊富です。冬にはスキー場が開かれます。
・大湯温泉。鹿角市大湯にある温泉。米代川の支流大湯川に臨む温泉郷、十和田湖の南の玄関口にあたり、十和田観光の基地として好適です。大湯川の渓流に沿って川原ノ湯・上ノ湯・下ノ湯・荒瀬の湯に分れ各湯とも数軒づつの旅館が散在し、野趣のあるローカル色にあふれた温泉地である。四季を通じて十和田観光が楽しめます。
・湯瀬温泉。鹿角市八幡平。 川の瀬から湯が沸くというほど湯量が多いため「湯瀬」と名づけたという。付近一帯は山と渓流に恵まれた静かな温泉郷で、十和田・八幡平を深勝するのに格好の足だまりとなっている。冬にはスキー場が開かれる。

・乳頭温泉郷 。秋田県仙北市十和田八幡平国立公園・乳頭山麓に点在する七湯が「乳頭温泉郷」と呼ばれる。七湯は・鶴の湯・妙乃湯・黒湯温泉・蟹場温泉・孫六温泉・大釜温泉・休暇村乳頭温泉郷、独自の源泉を持ち、その泉質は多種多様で乳頭温泉郷には十以上の源泉がある。ブナの原生林のそこかしこから油煙があがり池のような大露天風呂も地底から湧く乳白色の湯は究極のもので「日本最後の秘湯」である。あびたいよ~ つかりたいよ~
・夏瀬温泉。仙北市田沢湖卒田。玉川の渓流に沿った谷間にあり、川岸の自然石のあいだに浴槽をつくった原始的な温泉である。炊返り渓谷探勝の基地として絶好で紅葉の季節などとくに賑わう。付近に夏瀬ダムがあり、玉川の青い水をたたえている。この夏瀬を中心にして南北に抱返り渓谷の景観がつづく。
・湯ノ神温泉。大仙市南外字湯神台。村の中心から約二㌔、昭和三十四年(1959)にボーリングの結果湧出るしたもので、湯量も豊富。
・岩倉温泉。秋田県大仙市南外村にある温泉。 湯元川の渓流近くにある。この温泉は約300年の伝承を誇る歴史ある名湯ですが、大正3年(1914)の強首地震のため湧出がとまり、昭和31年に再び湯脈が発見されて復活したという、いわくつきの温泉です。    
・泥湯温泉。湯沢市高松。 高松川べりにあるひなびた湯宿が泥湯温泉で、河原の湯・山の湯・滝の湯と泉質の違う三軒の宿がある、秘湯にふさわしい素朴なたたずまいである。
・須川温泉。湯沢市東成瀬村。 栗駒山の八合目、標高1100㍍の高所にある。一般浴槽のほか、付近一帯の硫気孔を利用した蒸風呂もあり、高原の保養温泉として最適なところです。
・小安峡温泉。湯沢市皆瀬村。 古くから山峡の湯治場として知られ、近年は栗駒登山の足溜まりとして利用者が多い昔ながらの湯治場的な雰囲気を残し、いで湯情緒あふれる温泉郷である。湯量も非常に豊富で、川原の源泉から湯が噴き上げている。
・秋の宮温泉郷。秋田県湯沢市の南玄関口にある湯量豊富な県内最古の温泉地。奈良時代養老年間に僧行基によって発見されたと伝えられる温泉地で各宿ごとに異なった源泉を持っている。源泉主義、時代と自然の中を旅する温泉浪漫の郷、癒しの秘湯郷」をうたい、山荘の湯・たかのゆの湯・いなずみの湯・おなじみの湯・太郎兵衛の湯・松のゆの湯・すぱっちえの湯・新五郎の湯」の各宿がある。泉質ー単純泉、泉温86度
・滝温泉。本荘市大内町。 芋川の上流にある古湯。江戸時代長谷寺の開祖是山が、傷ついた鶴が湯につかっているのを見て発見したといわれる湯。芋川の清流にのぞんで秋の紅葉が素晴らしく、情緒豊かな山のいで湯である。
・象潟温泉。にかほ市象潟町。 日本海に臨む景勝の地にある。鳥海山を望み、海岸の景色も眼前に迫る絶好の保養地であり、鳥海山の登山口にもあたる。
・湯ノ沢温泉。鳥海町。鳥海山の北東麓、広い裾野の一角にある。北側登山口にあり、鳥海山登山の足場にもよい。

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山 形 県  

県内には宿泊施設の有する温泉地は90ヶ所を数え、年間延べ宿泊客は46万人を数えます
中でもスキーのメッカの蔵王をはじめ、伝統工芸品の将棋駒で名高い天童などが多くの宿泊客を迎えております。国民保養温泉地として蔵王、銀山、碁点、肘折、湯田川が指定さています。


・山形温泉 。山形市蔵王成沢にある温泉。蔵王連峰の西端にあたる竜山の麓に湧く温泉で昭和二九年に新しく発見された。村山盆地を隔てて南に吾妻・飯豊の山塊を望み北西にはアスピーテ型火山として名高い月山を眺められる。泉質は芒硝泉でさして高温ではない。(43度)市街地からも近くです。
・蔵王温泉。山形市蔵王字荒沢。 蔵王火山中腹に湧く温泉で、古くは奥羽三高湯の一つに数えられ最上高湯とよばれ、出羽三山の行者達でにぎわった温泉です。昭和25年蔵王が「全国観光地100選」山岳部一位に選ばれた事から、のスキー場としてめざましく発展し、蔵王エコーラインや樹氷見学などでさらに観光客が増えそれを迎える温泉旅館なども多く増加した。
・上山温泉。山形県上山市にある温泉、同じ県の湯野浜温泉、福島県の東山温泉とともに奥州三楽郷に数えられる。開湯550年余を越える歴史ある温泉地「かみのやま温泉」湯も人に優しい泉質で、湯治や保養の宿場町として多くの旅人や住人の心身健康を支えている温泉。温泉街は湯町をはじめ七地区からなりそれぞれ個々の温泉とみなし、「上山温泉郷」とも表現される。旅の僧侶が温泉で傷を癒していた鶴を発見そのため古くは「鶴脛の湯」の別名があった。新湯は城が取り壊されたあとに発見された温泉。その後米沢街道沿いに高松温泉、つづいて山の中腹に葉山温泉そして山際に河崎温泉が発見される。
・月山志津温泉。西川町志津。道の両側に旅館や民宿が建ち並んでいる町並みには六十里越街道の宿場だった雰囲気が今も残っている。豊富な湯量と月山の眺めが素晴らしい。また出羽三山詣で参拝客や、スキーの拠点としても知られる温泉地です。
・寒河江温泉 (さがえおんせん)寒河江市本町。昭和二十九年市街地に新しく掘削された温泉、同四十九年に毎分400㍑の県内第二位の湧出量をもつ新温泉の掘削に成功した。西にそびえる朝日連峰、東に連なる蔵王連山の眺めが素晴らしいですよ。
・東根温泉。東根市東根。 明治43年、水田地帯に灌漑用の掘抜井戸を掘った時に湧出した温泉で西に月山・葉山・朝日岳などを遠望する田園のお湯です。田園風景の中に区画整理された温泉街が整然と立並んでいる田園温泉・観光宣伝では、名産の「さくらんぼ」と新幹線の駅名にちなんで「さくらんぼ東根温泉」が用いられる
・銀山温泉。山形県尾花沢市にある温泉。郷愁を感じる町並み、大正ロマンの湯の町銀山温泉、開湯は寛永年間、銀山川に湧いている温泉を発見、その後1913年に大洪水で壊滅、その後地元財界の力で復興、その折現在の温泉街の光景が作られる1968年国民保養温泉地に指定される。またNHK連続テレビドラマ「おしん」の舞台となり脚光を浴びる。四季折々の風情.年間を通じてのイベント 5月~10月:毎週土曜日・花笠踊り。1月15日:おさいとう。2月:尾花沢雪まつり 銀山かんじき探検ツアー 5月12日:山の神神社まつり。6月:山菜まつり。8月:すいかまつり 10月:このこまつり。イベント盛りたくさん参加しましょうよ~(銀山温泉サイトより)
・新高湯温泉 (しんたかゆおんせん)米沢市大字関にある温泉で、米沢八湯の一つです。背後には西吾妻山が屏風のようにそそりたっているが、北方はひらけて朝日連峰が一望できる。山間の秘湯で夏の好避暑地となっている。
・白布温泉 (しらぶおんせん)米沢市関。高原の湯で、大樽川の渓谷にのぞみ、背後に西吾妻山を負い、東・西・南の三方は杉の森林に囲まれている。もと白布高湯と称し福島の高湯温泉、山形の蔵王温泉とともに奥羽三高湯に数えられた。
・小野川温泉。米沢市小野川町に位置する温泉。承和年間(834~47)、小野小町が父を訪ねる途中に発見したといわれる温泉で、藩主上杉鷹山もこの温泉から塩を採取していたといわれる温泉。
・滑川温泉。米沢市大沢字滑川に位置する温泉。 高倉山の北西麓、大沼の郷土斉藤盛親が川を渡る折すべって倒れた折、手に暖かい石を感じ、その石を除いて湯ノ湧くのを発見したという、滑川というなもこれによる。付近に亀滝・布引滝・五階滝・大滝などの名勝がある。
・姥湯温泉。米沢市峠に位置する温泉。薬師森山の南東麓、吾妻山の北谷にある静かな温泉場で天文二年(1533)の開湯と伝えられる。付近には多くの奇岩が、また滝などがありすぐれた景観は市内中第一といわれている。
・五色温泉。米沢市板谷に位置する温泉。吾妻山系の北端、高倉山の北側中腹にある、子宝の湯として名高い。天武天皇のころ(672~86)役小角がこの地に来て、山伏坂を登る時、五色の煙が立ち昇るのを見て発見したと伝える。その後上杉家臣直江兼続が奇病のおり、入浴したところたちまち快癒したので五色の名が米沢藩内に広まった。夏は避暑に、秋は紅葉に冬は、スキーを楽しむことが出来る。
・赤湯温泉。南陽市赤湯に位置する温泉。 米沢盆地の北端、北側を低い丘陵にさえぎられた田園の中にある湯の街、江戸時代、上杉家の別荘のあったところで、今も御殿守の名をとどめる旅館がある。温泉の発見については諸説がある。温泉街の北の高台、鳥帽子山公園は桜の名所として知られています。四季折々の食を楽しめます。
・飯豊温泉。飯豊町小玉川湯沢に位置する温泉。 地神山の北東中腹、深い樹林に囲まれた仙境にある付近はクマ狩りで知られ、狩猟や、飯豊連峰北側の登山基地として利用されている。
・瀬見温泉。山形県最上郡最上町にある温泉。開湯伝説によれば、武蔵坊弁慶が義経の子供。亀若丸産湯を探していた際、湯気が出ている小国川沿いの岩を薙刀で割って温泉を発見したという。山形県を訪問される歴代の天皇・皇后が何度も宿泊される。「定宿」のような温泉
・赤倉温泉。山形県最上郡最上町にある温泉。小国川のほとりにたたずむ歴史と情緒ある温泉地一説によると慈覚太師円仁が貞観5年に当地を訪れた折、村人が傷負った馬を癒している所を見た円仁が手にした「錫丈」で川底を突くと石の間から薬湯が涌出たといわれている。お風呂は源泉かけ流しです温泉全体の収容客は団体で1600名前後が可能とのこと。(地元観光サイト)
・肘折温泉 (ひじおりおんせん)最上郡大蔵村に位置する温泉。 日本有数の豪雪地帯でも有名です。昔、一人の老翁が崖から落ちて肘を折り、この湯で治したという伝えからこの名がある、一名疵湯ともよぶ。温泉は上の湯の疵湯、下の湯の疝気湯のほかに苦水川筋に黄金湯と炭酸冷泉がある。夏の避暑に適している。石抱温泉などとともに肘折温泉郷を形成している。
・草薙温泉 (くさなぎおんせん)大蔵村草薙に位置する温泉。 最上川が出羽山地を横ぎる渓谷中にある湯の宿。明治12年、磐根新道と呼ばれる道路を敷設した際、湧き出た温泉。白糸の滝の対岸に望む景勝の地で、秋の紅葉が素晴らしい。
・羽根沢温泉。鮭川村中渡に位置する温泉。曲川の支流羽根沢川沿いにあり、四方を山に囲まれた閑静な山の湯で、明治年間、石油抗を試掘したときに涌出した県内唯一の間欠泉です。付近一帯は山菜の宝庫です。羽根沢の由来はこの当りの住民が新庄藩藩主に鷹の羽根を献上したことから名づけられた
・湯の田温泉。遊佐町湯の田に位置する温泉。開湯は文化元年、地震によって温泉が湧出した。鳥海山の西裾が日本海に没するあたり、荒波の寄せる岩上にあり玉石の多い渚に立てば、西方はるかに飛島を望むことができる。付近一帯は磯釣りの好適地で、また男鹿半島の「なまはげ」と同じような奇習が伝わるところです。
・湯田川温泉。鶴岡市湯田川にある温泉。 金峰山の北西麓、三方を山に囲まれ、北は庄内平野に向かってひらける、閑静な湯の宿で、発見は和銅年間(708~15)といわれて歴史が古い。また目を病んだ牛が角で地面と突いて涌出させたという伝説もある。江戸時代には庄内藩主の湯治場ともなっていた。鶴岡の奥座敷とも呼ばれている。
・湯野浜温泉。鶴岡市湯野浜にある温泉。 日本海に面し、波の音と松風聞こえる海辺の温泉郷で上山・東山の両温泉と並んで奥羽三楽境の一つとされ、もと亀の湯と称されていたがこれは、天喜年間(1053~58)付近の一漁夫が海辺で亀が温浴しているのを見て発見したという伝説に由来しています。日本海に沈む落日の美しさも個々ならではのものです。
・由良温泉。鶴岡市由良にある温泉。 日本海の渚近く湧く冷鉱泉で、日本の渚100選に選ばれた美しい景観の温泉地です。白砂と遠浅に恵まれた由良海水浴場にも近く、夏は利用者が多く訪れます。大海食洞の八乙女や荒磯浜の深勝も楽しめます。
・あつみ温泉。鶴岡市湯温海にある温泉。温海岳の西麓、温海川の渓流に沿う湯の町で、鶴岡市の湯野浜・湯田川の両温泉とともに、古くから「庄内三楽郷」の一つとして知られたいます。嘉祥二年(849)温海岳の鳴動の際、河中に涌出したのが起源と伝え天候によって湯の色が七変化するところから「湯温海七色」ともいわれている。(温海温泉と書くこともある)
・湯ノ澤温泉。藤島町添川にある温泉。 東に丘陵を背負い西に庄内平野からひらける静かな湯の宿で開湯以来、千数百年も経ているといわれ霊験あらたな地蔵の湯として親しまれ、近くの農家の人たちの湯治場となっている。
・筍澤温泉  (たけのこざわおんせん)藤島町添川にある温泉。 出羽三山の一つ羽黒山の北麓に位置し、昔から名湯として知られ、切り傷・打身などに特効があり、羽黒参りをかねた湯治客でにぎわう。付近は山菜の宝庫でもあります。

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   新潟・北関東・東北南部を訪ねよう
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 福 島 県                                  
・相馬野馬追 (そうまのまおい)福島県浜どおり北部で行われる。馬を追う祭りで1千有余の歴史を経て今なお息づく伝統の祭りで1952年国の重要無形民俗文化財に指定されている。東北地方の夏祭りの先駆けとみなされ、東北六大祭りの一つとして紹介される。一大イベントです
・鶴ヶ城天守閣 (国指定史跡) 福島県会津若松市追手町にあるお城。鶴ヶ城は約630年前その前身ともいえる東黒川館を葦名直盛が築いたのが始まりと言われ、その後多くの戦国大名が治め幕末の戊辰戦争でも有名な城で、明治7年に取り壊されたが昭和40年再建、平成23年赤瓦へのふき替え完了し幕末当時の姿に再現。現存する天守閣で国内唯一の赤瓦天守閣です。
・大 内 宿 福島県南会津郡下郷町にある旧宿場で重要伝統的建造物郡保存地区に選定されている南会津の山中にあり、全長約450mの往還の両側に、道に妻を向けた寄棟造の民家が立ち並ぶ、江戸時代には「半農半宿」の宿場で今もその面影がよく残っている、旧街道沿いに茅葺き民家が並んでいる。蕎麦も「高速そば」で名を馳せ、箸の代わりにねぎで蕎麦を食べる風習がある。
・会津武家屋敷。福島県会津若松東山町にある武家屋敷、江戸時代の会津藩家老西郷頼母の屋敷を中心に旧中畑陣や数奇屋風茶室、藩精米所など歴史的建造物が軒を連ねる屋外博物館です。
・猪苗代・磐梯。東北南端を占める福島県の中央にある猪苗代・磐梯、北に磐梯山、南に猪苗代湖(国内4番目の広さ)湖水浴や水上スポーツ、釣り等が楽しめる。磐梯朝日国定公園の中心地で磐梯山南麓には多くのスキー場がある、また数々の源泉があり豊富に湧出るお湯や、風光明媚は訪れる人を魅了し、四季を楽しめる猪苗代・磐梯。縄文時代の遺跡や、野口英生の生まれ育った町でも有名です。

   


・尾瀬国立公園。一足踏み入れるほどに、魅了される尾瀬の大自然、一面に季節の花々が広がる湿原山間より聞こえてくる鳥たちの声、歩けば歩くほどに、尾瀬の魅力に包まれます。湿原を渡る風や可憐な花々が心を癒してくれます。自然の美しさ感動をおぼえる、そんな景色が、尾瀬には残っています。季節を追うごとに変容する風景は人々を魅了し 言葉には表せないほどの、感動が湧き上がります。ここ尾瀬国立公園は平成19年8月30日に会津駒ケ岳と帝釈天・田代山などを編入し新設された29番目の国立公園です。(福島県檜枝岐村役場公式HP)山々に囲まれた高山植物の楽園、さわやかな風が吹く湿地、雪解けとともに訪れるミズバショウの季節に、尾瀬ヶ原木道を散策してみましょうよ
・五色沼。裏磐梯に点在する五色沼湖沼へ散策に出掛けませんか、青白く神秘的に色をたたえた青沼や周辺の植物が赤褐色に染まった赤沼、日の当たり方によつて色が水面に浮かぶみどろ沼、美しいコバルトブルーの毘沙門沼などいろいろの沼がみられますよ。
・猪苗代湖。猪苗代湖東北地方で最大の広さを誇る美しい湖。透明度の高い水が特徴で「天鏡湖」とも呼ばれる。遊覧船の浮かび、冬には白鳥も飛来する。

・雄国沼湿原。ニッコウキスゲの大群落で有名な湿原です。桧原湖の南西、カルデラ湖の周囲に広がる湿原で、国の天然記念物に指定されており、約300種の湿原植物が季節ごとに見られます。

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茨 城 県  
城県の自然景観。茨城県は関東平野の北東部に位置し、東は海岸線になり、鹿島灘を取り囲み、県庁所在地は水戸市で旧国名常陸国と下総国です。県境を流れる利根川を渡ると低い台地にひらかれた水田それを囲むように疎林がつづく田園風景は日本的な風土を匂わせる。自然探勝は、日光の華厳の滝をしのぐといわれる、袋田の滝は名滝と知られ、県の重要な観光資源となっている。海岸線では波崎町から大洗にかけての広大な砂浜海岸、また岩礁の突出する男性的な岩石海岸、磯節に歌われる“波の花散る”勇壮な景観をみせ、北部では海食による複雑な断崖絶壁や岩礁の海岸に変化する。五浦海岸はその代表的な海岸でありかの岡倉天心が多くの日本画家たちと研鑽に励んだ由緒ある地です。また平野に空を画して屹立する山容の美しさは、よく西の富士山と対比される。その中でも八溝山は県内唯一の1000㍍級の山で、これらの山塊に源を発する奥久慈をはじめ、花園・大北・花貫などの渓谷美は県北に多い。お国自慢の一つ霞ヶ浦には、紫峰筑波山を背に映える湖面の景観が見事で、その寄港地の一つである潮来は、アヤメ咲く水郷の里として古くから賞賛されている。梅の名所として知られる水戸市は、かの“黄門さま”が治めた三五万石の城下町で、名勝偕楽園とならんで弘道館公園の梅も有名です。ここはかって水戸藩校の俊秀が競って遊学したところ。初夏には、潮来のアヤメと北茨城のシャクナゲの大群落が代表格であり、秋には菊祭りが県内各所で催される。なかでも、笠間の菊まつりは関東一円にきこえた秋の風物詩となってる。これらの自然探勝のほかに、東国一の大社、鹿島神社や、筑波神社、浄土真宗発祥の地西念寺をはじめとする親鸞上人の遺跡巡り、古代奈良の繁栄をとどめる石岡の国分寺・国分尼寺あとなど、神社・仏閣、史跡巡りも捨てがたい魅力です。(郷土資料事典より)
・水戸県立自然公園
。市の東にある水戸城跡と特別史跡の旧弘道館、西の高台一帯を占める名勝偕楽園と好文亭、その真下に広がる千波湖のほとりを合わせた地域。市を代表する史跡と名所のほとんどがここに集中している。歴史の貴重な遺構類は、維新の内乱と第二次大戦の災害によって多くが失われたが、義烈両公(光圀と斉昭)を慕う市民の熱意によって整備、再建がすすめられた結果、近代的な市中の装いのなかにも、昔日の面影をとりもどしている。水戸はよく“梅の都”と呼ばれるが、この代名詞になっている数千本の古梅が、自然公園のなかにあります。
・偕楽園。 茨城県水戸市にある日本庭園。(国の史跡・名勝に指定されている。)面積は世界第二位約13ha水戸徳川藩9代藩主徳川斉昭が自ら造園構想を練り創設したもので天保13年に開園公開された武士以外の入園は当初神宮・修験者・僧侶など宗教関係者に限られていたが次第に庶民一般に及んだ。岡山県の後楽園・金沢市の兼六園と並んで日本三名園の一つと数えられている。梅の名所で知られている。常盤公園・第一公園ともいう。国指定の史跡・名勝。その数は約100種3000本。斉昭公が造園した当時には一万本を数えたという.四季折々の見所があり、春には桜、夏には緑、鮮やかな孟宗竹や杉林、秋には萩の花やもみじが見られる。(茨城の二大風物詩に数えられている水戸の梅まつりは二月二〇日から三月二十一日に行われている。笠間の菊まつり、十月二十日~十一月中旬)

  偕楽園  

・旧弘道館。弘道館公園内。弘道館が日本文化の上で果たした役割は、光圀公の大日本史編さんの業績にも劣らないとされています。弘道館は、藩士の子弟教育を重視した斉昭公が、神儒合一、文武不岐を根本思想として実践的で有為な人材を養成しようという目的で開いた藩校です。建物は当初正庁・文館・武官・医学館であったか後の戊辰の役や昭和の戦災などで焼失し、現在まで残されているのは、正門と政庁と至善堂と呼ばれる建物だけですがこれらは国指定の重要文化財に指定され、園内と鹿島神社の境内を含む一帯は国の特別史跡に指定されている。
・西山荘。常陸太田市新宿町。「水戸黄門」で知られる、徳川光圀公が元禄四年の六十四歳から天寿を全うする七十三歳までの晩年を過ごし、大日本史の編纂を行った場所です。
建坪およそ百三十二平方㍍の茅葺き屋根の平屋建て、入口は一間の六畳敷き、柱は丸太で組まれ、華美なところはどこにもない。光圀公の庶民性を彷彿させるのは、建物だけでなく、部屋の仕切りで、御座の間と次の間には敷居を設けず、百姓・町人の別なく、膝を交えて話の出来る配慮がされている。当時の建物は一度焼失したが、文政二年に再建された建物、県指定の史跡です。
・平磯海岸。平磯海岸から阿字ヶ浦海岸まで、道路沿いに鋸の歯のような姿の岩石が平行している。精浄石と呼ばれる奇岩をはじめ、異様な風景がつづく。これらは、砂石・頁岩・泥岩・礫岩などの地層が海食によって形成されたもので、地質的には約六五〇〇万年前の中生代白亜紀の層です。これらの岩石の中から種々の化石が発見されたが、とくに七五〇〇万年前の軟体動物であるアンモナイト(菊石)は有名で、県の天然記念物に指定されています
平磯海岸の美しい景色を眺めながら、恐竜が闊歩していた時代を思い浮かべてみませんか
・大洗県立自然公園。“水戸を離れて東に三里、波の花散る大洗”と磯節で歌われる景勝の大洗海岸をはじめ、南の涸沼の周辺一帯を指定区域とする自然公園。大洗海岸は磯釣りと海水浴で知られる茨城県屈指の観光地です。岩礁と岩礁の間に開ける砂浜は、夏は絶好の海水浴でにぎわい、岩場は磯釣りの名所とされます。涸沼と涸沼川は、満潮時には海水が逆流して流れ込むため、淡水・海水の両魚が釣れ、四季を通じて釣り客でにぎわいます。
国営ひたち海浜公園.茨城県ひたちなか市にある国営公園。東京ドーム41個分の広さを誇る国営海浜公園で四季折々の花が楽しめることで知られていますが、その中でも特に人気なのがネモフィラで、北アメリカ原産の可憐な花で、春ともなれば丘の上一面を青く染め、我々の心を癒してくれます。いろいろなイベントも開かれ多くの人々を楽しめましてくれます。見ごろはゴールデンウイークの時期です。
・袋田の滝。袋田温泉の東約一・二㌔、、久慈川の支流滝川に架かる袋田の滝、日本三名瀑に数えられる。生瀬盆地を流れる滝川・大野川・水根川の水を集めて落ちる美しい滝で、高さ約百二十㍍、幅七十㍍、県指定の名勝である。四段に分かれて落下することから、“四段の滝”と呼ばれるが、この別称は、ここを訪れた西行法師が滝の美しさに魅せられて春夏秋冬それぞれに訪ねてこそ、その美が満喫されるといったことによる ・野口雨情生家。北茨城市磯原町に位置する。詩人野口雨情の生家で、県指定の史跡です。別名「観海亭」の呼び名は徳川光圀の命名といわれるが、土地の人は「磯原御殿」などとも呼んでいる。北原白秋・西条八十と並ぶ三大童謡詩人で特に有名な“枯れすすき”の「船頭小唄」や、「七つの子」「しゃぼん玉」などの郷愁を漂わす多くの民謡や・童謡を生み出した。
・五浦海岸。北茨城市。五浦は半島の中央部がW形にいりくんだ湾で、入江が五つあることから「いづら」と名付けられた。小五浦・大五浦・椿磯・中磯・端磯と呼ばれる五つです
海岸のいたるところに五十㍍ほどの断崖絶壁があり、海食によってできた洞穴が無数に点在する。海中には塩の千満によってさまざまな形の岩礁が突き出ている。岡倉天心が日本美術の再興を図るのに、小五浦と大五浦にはさまれた岬の先端に六角堂(観瀾亭)があります。
日本美術院を移して一躍有名になったことで知られます。ここから大五浦を経て、椿磯にはさまれて突き出した岬の先端には、鐘鼓洞があります。太平洋の白波が砕け散るその雄大な姿は訪れる人々に感動させています
・花園花貫県立自然公園。北茨城市の海岸から、県境の山地にかけての、海洋公園と山岳公園の二つの性格をあわせもつ自然公園で、海洋公園は、平潟湾・大津湾・五浦海岸・二つ島とつづき、海中に突きだした天妃山の奇景までの地域。大洗以南とはまったく様相を異にした複雑な海岸線は訪れる人に自然の美のすばらしさを堪能させてくれます。山岳公園には、花園神社を中心とする山岳地帯と大北・花園両渓谷があり、ハイキングコースの好適地として注目を集めています。特に、シャクナゲの花咲く季節は美しい。


・桜 川。鏡ヶ池に源を発し土浦市で霞ヶ浦にそそぐ小河川でその沿岸は古くから桜の名所として「西の吉野」「東の桜川」として並び称される名所です。世阿弥の謡曲「桜川」の舞台としても知られている。古木をまじえた一千本余の桜があり、四月中旬~下旬の花期には美しく咲き誇り、多く人々を楽しませています。この一帯は整備され磯部桜川公園となり、町民のコミュニティ広場となっている。茨城県自然博物館。岩井市大崎。ハクチョウの飛来地として知られる有名な菅生沼のほとりにある博物館で、進化する宇宙、地球の生い立ち、自然のしくみ、生命のしくみ、人間と環境など五つのテーマに、ジオラマや映像などで紹介されています。なかでも白亜紀最大の巨大恐竜や松花江マンモスの複製骨格などを常設展示されています。
・茨城県フラワーパーク。石岡市下青柳に位置する。園内には、世界中のバラが約五百種三万本植えられている。バラのテラスを中心に四季の丘、水と草花の谷、牡丹園などがあり四季折々の花が咲き誇り、熱帯の花木も植栽されている大温室もあり、一年を通じ草花を楽しむことが出来ます。
・水郷潮来アヤメ祭り。茨城県潮来市あやめ園。アヤメといえば潮来、潮来といえばアヤメといわれるほど、潮来のアヤメはよく知れれています。アヤメ園内には約500種100万株のアヤメ(花菖蒲)が植えられており、ほかカキツバタなどが植栽されており、見ごろの梅雨とき、紫・黄・白と咲き誇ります、町あげてのアヤメ祭りが開催されます。期間中には潮来花嫁さん「嫁入り船」やアヤメ踊りが披露されます。
・鹿島の祭頭祭
。三月九日、鹿島神宮で行われる。天平二年(730),九州防備の防人を東国から徴募するということになり、東国の若者たちは九州筑紫まで赴いたが、出発に際して、鹿島神に武運の長久と往路の安全を願い、社前に詣でたといわれている。この防人たちが出発してゆく姿を擬して繰り広げられる祭りです。七歳までの男児が総大将で推挙され、甲冑で身を固めてホラガイ吹きを側らにひきつけ、馬に擬した人の肩車に乗って先頭に立ち、それに二百人近い若者たちが色鮮やかな着物をまとい、太鼓やマトイに合わせて歌を叫びながら行われる祭りです。
・石岡のおまつり(常陸国総社宮例大祭)
9月15日及び「敬老の日」を最終日とする3連休(3~4日間)に開催される「石岡のお祭り」(常陸国総社宮例大祭)は創建千年を誇る古社・常陸国総社宮のお祭りです。「正月やお盆には帰省しなくても、お祭りには帰る」といわれるほど、石岡市民にとっては大事なまつりの日です。豪華な山車や獅子舞が繰り出され、競演するなど熱くなります。期間中約40万人の見物客で賑わいます。その他に茨城県にはいろんなお祭りがありますが、ユニークで、伝統的な祭りの中に民俗学的価値の高いお祭りが多いといわれます。(山車に人形芝居を配した日立風流物・仕掛け花火で人形を操る・綱火―水海道市・下館祇園祭・筑西市など)
・ハマナス自生南限地帯。鹿嶋市の北東部、鹿島灘沿いの大小志崎に自生している。ハマナスは野性バラの一種。初夏の五月ごろにピンク色の花を咲かせる。この付近が太平洋岸での自生南限地帯とされ、日本海側では鳥取市白兎地帯が同時に指定されており、国の天然記念物に指定される。
・波崎海岸波崎砂丘。神栖市波崎から北の鹿島町へかけての鹿島灘沿岸一帯に広がる砂丘で、鳥取・吹上浜(鹿児島県)とともに日本三大砂丘の一つとされている。風の方向で美しい風紋を描く移動砂丘ができ、背後には砂防林の松林がつづいている。色彩やかな花を咲かせる砂丘植物公園もある。

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栃 木 県  

栃木県の自然・観光.
栃木県は関東地方の北部に位置し、海なし県です。県の北西に高さ2000m級の日光・那須の連山がそびえ東にはなだらかな八溝山地があります。その間を那珂川、鬼怒川などが流れ、南東に向かって開けて関東平野へと続く。県内には日光国立公園と、八つの県立自然公園を持ち、山、川、湖、高原、湿原、滝、温泉など、変化に富んだ景観である。特に日光国立公園は、日本を代表する観光地で、四季のすべてに美しい表情を見せてくれます。温泉も那須火山、日光火山のある栃木県はさまざまな温泉に恵まれ、日光二社一寺をはじめとする1200年余の歴史に彩られた年中行事とともに、豊かな観光資源となっている。(郷土資料辞典より)

栃木県のシンボル
県木・トチノキ。その名前から、古くから、郷土の木として親しまれている落葉樹。
県花・ヤシオツツジ。那須高原、塩原などを中心に、県中央部や南部の山地にも広がるツツジ科の落葉低木。
県鳥・オオルリ。ウグイス、コマドリト並んで日本三大鳴鳥の一つ。五月ごろに南方から渡って来て、十月初めまで、日光、塩原、那須などの渓谷に棲む。
県獣・カモシカ。特別天然記念物に指定されている貴重な動物。県北西部山地に奥深くに棲む。

・大谷平和観音・宇都宮市大谷町に位置する。昭和二十三年大谷の石工師が第二次大戦の戦没者の慰霊と世界平和を祈念して着工。採石場の壁面を40㍍余掘り下げ、その岩肌に一刻三拝の礼を尽くしながら刻み込みはじめ途中で彫刻家に引き継がれ昭和二十九年、六年余の歳月を費やして完成、三十一年五月四日開眼式が行われた。
・日光国立公園。栃木・群馬・福島・新潟の四県にまたがる自然美豊かな公園です。全国国立公園中五番目の広さを誇る。男体・白根・那須・庚申山などの秀峰とその間に中禅寺湖・湯ノ湖・光徳沼・五色沼などの湖沼や、華厳・裏見・霧降といった名瀑が散在し、自然景観に恵まれている。一千年余の歴史と伝説を秘めた二荒山神社や輪王寺、人工の粋をこらした日光東照宮などの文化財があり、日光湯元をはじめ鬼怒川、川治・塩原・那須湯本と温泉も豊富で、四季を通じて行楽客の訪れが絶えません・日光杉並木街道。今市・日光の両市にまたがり、日光・例幣使・会津西の三街道の両側、延長三十七キロ余りにわたってつづいている。総数一万五一三九本で、幹囲七㍍を超えるものも多く、三、四十㍍の梢をそろえて壮観です。箱根旧街道のそれとともに、わが国を代表する老杉並木として知られています。大部分は徳川譜代の家臣武州川越城主松平正綱・信綱父子が寄進したもの。正綱父子は紀州熊野から二十万本余りの杉苗を取り寄せ二十数年を費やして植樹したといわれています。その由緒を示す寄進碑が日光の神橋畔や、今市市内の大沢・大桑・文挾などに残っています。国の特別史跡・特別天然記念物に指定。
・日光山輪王寺。山号は日光山。比叡山・東叡山とともに天台宗三大本山の一つに数えられる巨刹である。天平神護二年(766)勝道上人が男体山頂を極めるため大谷川を渡り、川のほとりに営んだ一草庵が起源とされている。以来平安時代には空海、円仁ら高僧の来山伝説が伝えられ、鎌倉時代には源頼朝公の寄進などが行われ、関東一の大霊場として栄え、江戸時代になると家康公の東照宮や、三代将軍家光公の大猷院廟が建立され日光山の大本堂である三仏堂とともにその威容を今に伝えております。(日光山輪王寺は日光山全体を統合していました、。明治の神仏分離以降でも本堂・大猷院・慈目・常行堂・中尊寺・大護摩堂・四本龍寺のお堂や本坊、さらに十五の支院を統合して出来ており、その全体をさして輪王寺と総称します。
・日光東照宮。徳川家康の霊を祀る神社で江戸時代初期、日光山五三世貫主慈眼大師天海の尽力により建てられたもの。神号は東照大権現。当初建築着手は元和二年十月二六日、翌年の三月には本社・本地堂・霊廟などが完成し、霊柩が久能山から移され四月十七日に鎮座の儀式が行われた、これが東照宮の創始とされている。その後幾度となく造替が行はれている、現存する五重塔や陽明門・三神庫・拝殿・石ノ間・本殿など、諸社殿の大部分が国宝あるいは国の重要文化財に指定されています
・陽明門。日光を代表する建物で、とくに色彩のすばらしさは他に例をみない。門自体は間口七㍍、奥行き4・四メートル棟高十一・一㍍、建築面積約三十平方㍍小ぢんまりとした二層の楼門だが、全面に施された四百を超える装飾彫刻は、朝から日暮れまで眺めていても飽きないというので一名「日暮れの門」とも呼ばれている。屋根は四方の軒に唐破風をつけた入母屋造で、正面の唐破風の中に原和三年後陽成天皇から賜った「東照大権現」の額が掲げられている。
・裏見の滝。日光市安良沢。落差は約三十㍍、幅二㍍余、華厳・霧降の両滝とともに日光三名瀑の一つ。裏側に道がついていて、内側から見ることが出来たのでこの名がついた、明治三五年の大風水害の時、落ち口の岩石がくずれたため、今は滝の裏側から見ることが出来なくなっている
・霧降の滝。鬼怒川の支流の板穴川にかかる滝で、日光三名瀑の一つとして数えられている落差は約七五㍍、石英斑岩の岩壁面を二段になって落ちており、途中、水が岩にあたりくだけ、霧が降るようにしぶきを散らせているところからこの名がついた。
・華厳の滝。男体山の火山噴出物が大谷川を堰き止めて上流に中禅寺湖をつくり、その湖水の流失口にこの華厳の滝を出現させた。那智(和歌山県那智勝浦町)・袋田茨城県太子町)と並んで日本三名瀑にも入り霧降・裏見とともに日光三名瀑にも入り国指定の名勝。落差は約99m、幅10mあり男体溶岩の落ち口から、凄まじい響きをたてて一気に滝つぼに落下している。滝つぼからは水しぶきが一面霧となって舞い上がり、日のさすときはその霧が虹となる。滝背後の岩壁からは幾条もの小さい滝が落ちていて、中尊寺瑚の漏水の一部がしみだしてきて、流れ落ちているもの、十二滝と呼ばれている
・足利学校跡。足利市昌平町に位置する、わが国最古の学校跡です。現在は敷地内の東半分に市立東小学校になっており、西側に孔子と小野篁の木像を安置する聖廟、足利学校遺跡図書館などがあります。大正十年、国の史跡に指定されています。昭和五七年、史跡足利学校保存整備事業に着手し平成二年十二月復原が完成した。平成二十七年四月二十四日「日本遺産」に認定。
・名草の巨石群。足利市名草上町。名草弁財天一の鳥居から袋川の源流部の渓間を五百㍍ほど遡ったところ、境内奥の弁天沢の中にある。粗い節理をもった巨大な粗粒花崗岩が、節理にそって風化、浸食され、節理の間の核心部分が独立岩状に残ったもの。大きな丸石を積み重ねたように見える。岩はそれぞれに“石割岩”“御供岩”“弁慶の手割石”などと名付けられており、とくに御供岩は高さ十一㍍余、周囲三十㍍もあります。昭和十四年九月、国の天然記念物に指定されています.
・桜町陣屋跡。元禄十二年(1699)小田原城主大久保加賀守忠朝の三男教信が分家して旗本宇津家を再興し、桜町三ヶ村(現物井・横田・東沼地区)四千石を知行として受けた。その本拠として築造した陣屋の跡です。宇津家五代教成にいたって、領内は洪水・冷害・千害などにより疲弊。陣屋の退廃もひどくなり、文政五年(1822)小田原城主大久保忠真の命を受けた二宮尊徳が陣屋に入り、以後安政元年(1854),今市に移るまで約二二年間在陣して桜町領その他、荒れ果てた近隣農村の復興に努力した敷地内には田畑・宅地・池・井戸・神社などがある。茅葺き一棟現存しこれを含めた遺構全体が国の指定史跡になっている。
・益子焼。百四十年余の伝統を誇る益子町の民芸特産です。嘉永六年(1853)福手村出身の大塚啓三郎が、相馬焼や笠間焼の技法を取り入れて、町内根古屋に窯をひらいたのが創始とされている。その後藩主大関氏の保護もあって次第に発展し関東随一の製陶地となった.生産はまったくの手工業で職人による自家労力によっている。土鍋・擂鉢・瓶などの台所用品、洋食器、茶器・花器・飾り皿などの民芸品のほか駅弁用の容器や装飾タイルなどに及んでおり、特に民芸品は海外に輸出されている。
・明智平。第二いろは坂を登り切った右手に広がり、北方直下に山腹をくねる第一いろは坂が望まれる。展望台からは華厳の滝や白雲ノ滝、大谷川の渓谷などが北西直下に望まれ、男体山、や中禅寺湖や関東平野が一望できる絶景のところです。
・中尊寺湖。周囲25km、最大水深163mの中禅寺湖、日光を代表する湖で、水面の海抜高度は日本一の高さを誇る(但し人口湖を除く)約2万年もの昔、男体山噴火による溶岩で渓谷が堰き止められ、原形が出来ていたといわれる。発見は天応2年日光開山の勝道上人とされる。豊臣秀吉の日光山領没収によって一時衰退するも、再び活性化されたのは、明治5年に女人牛馬禁制が解かれ、さっそく女性が中尊寺湖畔や男体山へ登ったからとされている。中尊寺での出産が始めて記録されたのは明治17年だった 明治9年に明治天皇が来晃され中禅寺湖を「幸の湖ーさちのうみ」と名づけられる。来訪者も飛躍的に増加し、欧米各国の外交官達が避暑に訪れるなりた湖畔に別荘を建てるようになって増加した。第二次大戦の影響で失速するも戦後の観光地としての復活は昭和29年のいろは坂有料道路開通などの道路網整備によるところが大きい。風光明媚かつ手軽にアプローイチできる観光地として現在の姿に至っている。  (日光観光協会サイトより)
・龍王峡。日光市藤原町、鬼怒川・川治の両温泉の間、鬼怒川の渓谷をいう。川沿い、約3キロにわたって遊歩道が設けられている。巨岩と巨岩の間に虹見ノ滝が見える、岩上に竜王神社があり、龍王峡の名はこれに由来する。竪琴ノ滝を眺めながら上流に進むと釣り橋が架かっているがこの橋の中ほどから眺める渓谷の眺めはより一段と美しい、またこの先には岩の色が変わり白が青色になり、黒くなる。獅子岩という親子のライオンがうずくまったような岩なども見れます。岩の変化の面白さと、春の新緑やヤシオツツジなどの美しさ、夏のキャンプ、奇岩を彩る秋の紅葉などを楽しむことが出来ます。
・瀬戸合峡。日光市にある渓谷。鬼怒川温泉から川俣温泉へ向かう途中、野門集落の付近から川俣ダム下までの鬼怒川本流の渓谷をいう。石英粗面岩からなる高さ百メートル余りの岩盤がそびえ立ち、見事な峡谷美を展開している。
・那 須 高 原。栃木県北部の那須岳の南側山麓地帯、古くから那須温泉郷で知られた観光地で  1926年に開かれた那須御用邸があることでも有名です。那須岳を初めとする登山やハイキングコースが整備 され、山麓には牧場、遊園地、ホテル、個性的な美術館、リゾート施設キャンプ地、ゴルフ場等のスポーツ 施設、別荘分譲地や保養所などが数多く立地している。東北自動車道や東北新幹線が通じ東京から日帰り可 能な日本有数のリゾート地域となっている。雄大な自然に恵まれ、夏は涼しく春秋の花が楽しめる。また里 山の農村風景が、松を芭蕉や義経伝説に代表される様々な史跡と共に広がっている
大谷寺。(おおやじ)宇都宮市大谷町。俗称“大谷観音”弘仁元年(810)空海の開祖と伝えられる古刹です。本堂の観音堂は頂上に赤松の疎林をいただく、高さ四、五十㍍の大谷岩の岩壁の基部に口を開けた岩屋へ建てかけたもの、元和年間、伝海の再建と伝えられるが、近年改修が加えられた。この本堂の奥の窟内の岩壁面に大谷磨崖仏として著名な千手観音・釈迦三尊・薬師三尊・阿弥陀三尊と計十体の彫像が大小四区に分かれて刻まれている。

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群 馬 県   
群馬県の自然景観。関東地方の北西部に位置し、東は栃木県、南は栃木県、西は長野県、北は新潟県と福島県にそれぞれ境を接している。旧国名は上野国で一般には上州と呼ばれている。三方を限る県境山地と、南東部に広がる関東平野からなり、海を持たない内陸地です。海を除けば、山岳・高原・渓谷・、静寂を湛える湖や沼など、諸々の自然景観に恵まれている。全体として山地の占める面積が広く、平地は関東平野の一部にあたる県南部に限られている。県内を流れる河川の多くは利根川に合流し太平洋に注いでいる。また那須火山帯に属する沢山の火山が噴出しその副産物である温泉が各所に散在している。これらとともに多くの文化遺産や、大和文化を象徴する大規模な古墳があります。
初 市前橋三大祭の一つ。だるま市ともいう、毎年一月九日、市の中心地である本町通、駅前通り一帯に、だるまをはじめとする縁起物、それに植木、日用雑貨を売る露店など、約八百軒が店を出し、この日繰り出す45万人の人々は“あたり年”を祈る。元和三年(1617)厩橋(現前橋市)城主酒井重忠の時代から始まったといわれ歴史をもっている。
・前橋の七夕祭り前橋三大祭の一つ。前橋の星祭りは花火大会も加えて、毎年七月中旬に行われる。各商店が競って趣向をこらした竹飾りは、仙台・平塚の七夕祭りと並び称される豪華なもの、当日には遠近から見物客で賑わう。
・前橋祭り前橋三大祭の一つ。毎年十月中旬の三日間行われる市民祭。市の目抜き通りを行進する民謡大行進、県下の民謡踊りを一堂に集めた民謡踊り大会、ミス前橋を先頭に繰り出す仮装行列、広告のカーニバルなど、各団体、商店街の出し物を加えた多彩な催しが行われる。
・赤城山。(標高1828m)黒檜山を主峰とし駒ヶ岳・荒山・桑柄山などからなり、これらの峰々に囲まれた中央に火口原湖の大沼・小沼があってその傍らにトロイデ型の中央火口丘地蔵岳がそびえている。一般に赤城山頂といわれているのは地蔵岳です。大沼南畔の大洞から頂上近くまでロープウェイがかけられています。県立公園に指定されており、四季折々観光客で賑わっています。赤城山が全国的に名を知られるようになったのは昭和の初めに大ヒットした東海林太郎の「赤城の子守歌」に追うところが大きいといわれています。
・ぐりーんふらわー牧場。関東平野を見渡す赤城山山麓にあり、面積15㌶の緑豊かな観光牧場。平成2年にふるさと創生事業の一環として整備された。北関東一のオランダ風車が建つ園内にはポニーや羊、乳牛などの動物がいる。有料のバンガローがあり、春から夏にかけてはキャンプ施設が利用できます。
・尾瀬ヶ原.山々に囲まれた高山植物の楽園、爽やかな風が吹く湿地を歩いてみようよ約3.7haもの面積を持つ尾瀬国立公園のなかでも、最もハイカーに人気のエリア、周囲は至仏山、燧ヶ岳など2000m級の名峰に囲まれており、ハイキングルートの数も多く、希少種を含め多種類の高山植物が生息していて、その自然環境は学術的にも高く評価されています雪解けとともに訪れる水芭蕉の季節は特に人々の心をひきつけており、童謡にもその美しさが歌われているほど。遠目に山々を眺めつつ、広々とした湿原に延びる木道を歩けば爽快な気持ちになりますよ。5~6月ごろのミズバショウは見ごろで人気ですよ。・立ち寄りスポット。片品村、村内には10の温泉があり鳩待峠から沼田までの帰り道に寄りやすいのが尾瀬戸倉温泉、片品温泉、鎌田温泉、花咲温泉などがあります、日帰り入浴も出来る宿もあります。
・連取のまつ  (つなとりのまつ)群馬県伊勢崎市連取町591にある老いの松・県指定天然記念物.連取町菅原神社の拝殿正面にあるクロマツの老松で、地元では「笠松」と呼ばれ。「老之松」として知られ、文化5年(1808年)の刷り物に「太さ八尺余、高さ一丈余、枝二十五、六間四方」ありと俳諧や和歌の題となっていた。今日標高5m目通り4m枝張り東西35m南北約26mである。享保2年(1717年)旗本駒井氏地代官の飯島一覚が隣村韮塚村諏訪の原から移植した。隣接する旧光福寺、境内には二代目が育つ。(伊勢崎市HP)
・高崎城跡。高崎市高松町。高崎市市街の西寄り、鳥川左岸沿いに残る平山城の跡。現在、本丸・二の丸跡は市役所、群馬音楽センターや検察庁、日本たばこ、市立高松中学校などの構内に変わっているが、これらの諸施設を囲んで堀や土塁など、旧城の遺構が見られる。城は鎌倉時代初期のころ、和田義盛一族の和田正信が初めて築いたと伝えられる。その後歴史を伝えるが徳川家康の時代に、家康の命により井伊直政が改修を施した。直政は慶長二年に構築にかかり翌三年に完成、箕輪から和田に移り、城下町などを整備し地名を和田から高崎に改めた。城跡の南側に高崎公園が広がっており園内に樹齢三四〇年余のハクモクレンのあり古木四月上旬ごろには白い大きな花が咲き市民を楽しめています。・達磨寺。高崎市鼻高町に位置する、山号は少林山。約三百年前の十七世紀末、中国の帰化僧東皐心越禅師の開山で禅師に帰依した徳川(水戸)光圀の開基と伝えられる。寺ははじめ曹洞宗で奉仕されたが、のち黄檗宗に改められ、宗祖隠元隆埼を中興開山として今に法灯を継いでいる。境内地は約一万平方㍍、うっそうと茂る老樹の中に、本堂や庫裏、観音堂などの諸堂宇が佇んでいる。寺の裏山からは南東の高崎白衣観音まで、全長約七㌔のハイキングコースが伸びている。また東端の松に囲まれて“洗心亭”があります。(県の指定史跡)
正月六日~七日にかけて高崎の代表するダルマ市が行われます、この日にはダルマを売る露店がたちならび「五千万両」「三千万両」などという景気のよい声が飛びかいます。
・秋間梅林。安中市西上秋間。秋間川の上流部、三軒茶屋集落一帯で、農家の庭先や畑のへり、山麓・谷間など、約五十万平方㍍にわたり三万五千本余りの梅が植栽されている。群馬三大梅林の一つでその規模は関東一といわれ、花期の三月初~下旬には山や谷が咲き乱れた梅の花におおわれる、見事な景観を呈する。開花時期にはさまざまなイベントが行われる。
・妙義山。赤城・榛名山とともに上毛三山の一つに数えられる名山で、尖鋭、豪快な奇岩怪石に富、日本三奇勝の一つともされている。大正十二年に国の名勝指定を受けている。金洞山と金鶏山の間、第一石門から第四石門当たりの風景は、わが国の山岳風景でも屈指の奇勝地とされている、また第四石門からの眺めは絶景で、紅葉のころがとくに美しく、頼山陽をして海内随一の景と絶賛させたと伝えられている。
・片倉工業富岡製糸場(世界遺産)富岡市街の南側、鏑川の北側にある。明治五年、渋沢栄一・尾高惇忠がフランス人技師ポール・ブリューナの指導のもとに、官営の模範機械製糸工場として建てられたもの。速水堅曹が明治三年、スイス人ミュラーの指導で前橋に設立したそれと並んで、わが国における機械製糸工場の草分けとしてよく知られる。工場は赤レンガ造り、二階建ての建物は日本近代産業の黎明期の代表的なもので、当時をうかがい知るには貴重な建物です
・榛名山。(1448㍍)妙義・赤城の両山とともに上毛三山の一つに数えられる複式火山。利根川を隔てて東の赤城山と相対している。古くから関東の名山として知られています。山頂部は臥牛山・烏帽子岳・掃部ヶ岳、氷室山・天目山などの外輪山と、これらの諸峰に囲まれた火口原、中央火口丘の榛名富士などによって形成され、榛名富士の西麓には榛名湖が静かな水面を横たえています。外輪山の東腹には、二ッ岳・水沢山の二つの寄生火山があり、上州の名湯として著名な伊香保温泉が涌いている。
・榛名湖。榛名山のカルデラ底に水がたまってできた典型的な火口原湖。湖岸には約六㌔で、一周できるドライブコースも開けています。古くは伊香保の沼などと呼ばれ、榛名富士の山影を水面に映して静まるその眺めには定評がある。五~六月には湖畔を彩るサクラ・ツツジが美しく、夏はボート遊びを求めて人で賑わいます。また湖ではコイ・ワカサギ・フナなど一年中釣りが楽しめます。
・吾妻峡。吾妻町の西端、上組集落の西側から長野原町の八っ橋付近まで、延長約四㌔の吾妻川の渓谷をいう。両岸にそば立つ懸崖や奇岩・怪石、そして滝と変化に富み、一名“関東の耶馬渓”とも称されている。昭和十年十二月国の名勝に指定されています。渓谷中には下流から上流へ順に弁天島・若葉台・屏風岩・八丁暗がり・龍頭岩・龍尾岩・大蓬莱・小蓬莱・千人窟・栃洞ノ滝・白糸の滝などの景勝がある
・川原湯かけ祭り。極寒の一月二〇日未明、川原湯温泉で行われる奇祭。パンツ一つの裸の男たちが紅・白の二組にわかれ、湯をかけ合うというもの。約四百年前、突然湯がピタッと出なくなったことから、困り果てた里人は相談した結果、湯が“ゆで卵”のにおいなので湯前様にニワトリを供えてみたら、という意見にまとまり、そうしたところ湯が再び涌くようになった。あまりのうれしさに、「お祝いだ」と湯をかけあったのが、この祭りの始まりと伝えられる。お祝いだ、おめでとうと口々に叫びながら、王湯と笹の湯の二つの共同浴場の周りをかけめぐり、人といわず家といわず、あたりかまわず湯をあびせかける。湯けむりの中、湯かけの音と悲鳴・嬌声が乱れとぶ。夜が明けると裸男たちは共同浴場にあつまり、熱い湯につかり乍らお神酒を酌み交わし手締めが行われ祭りは終わります。
・浅間山。(標高二五六八㍍)長野県境にそびえるコニーデ型の三重式活火山。黒斑山・牙山・剣ヶ峰などの外輪山をめぐらし、それらの諸峰と湯ノ平火口原を隔てて東側に中央火口丘である前掛山・浅間山がある。山頂の噴火口は俗に“御釜”とも呼ばれる。深さは二百㍍余で、火口底は赤熱した溶岩が見られる。中腹以上は火山礫におおわれている。頂上からの眺望は四周にひらけ、中部日本の高山のほとんどを眺めることができます。
・吹割の滝。追貝集落の西側、片品川にかかる国道120号線の千歳橋から上流約一・五㌔の渓谷を“吹割渓谷”と呼びこの渓谷の最も奥まったところに位置します。高さ約七㍍、幅二六㍍余り、華厳の滝のように岩上から落下する滝と違い、断層の一つの裂け目にそって生じた小規模なU字谷の側面にかかっており、川床が長年月の浸食によって“吹き割れ”ちょうど岩の割れ目から水が吹き出しているように見える。このすぐ下流にも鱒飛びの滝や獅子岩などの奇勝があり、四季折々さまざまな装いを変える眺めはすばらしい。
・谷川岳。群馬と新潟の両県境上にそびえる山で、ロッククライミングのメッカとして知られッています。一方で遭難者が多く“魔の山”とか“墓標の山”などと称されている。山頂部は最高点のトマの耳と、その北にあるオキの耳の二つのピークに分かれ、遠望するとネコの耳に似ているので“耳二つ”の俗称がある。北方の一ノ倉岳・武能岳・平標山・三国峠と連なる山稜を総称して谷川岳連峰と呼んでいる。西の新潟県側の斜面は比較的穏やかですが東側は険しい壮年期地形を示し、マチガ沢・一ノ倉沢・幽ノ沢などの支谷が凄まじい岩壁面を見せている。日本海側・太平洋側日本の分水界にあたり、しかも青梁山脈が急に屈曲するところにあるため、標高二千㍍にも満たない山だが三千メートル級の北アルプスの山に劣らないほど気象の変化が激しい。それらが遭難につながっている。登山コースは、土合口や湯檜曽温泉、及川温泉の各方面にあるが、東面・南面にある諸支沢も登山者が多い。山頂からのながめはすばらしく、日光連山・南に榛名山などが望めます。


  


新 潟 県   
新潟県の自然景観・祭り
東に連なる朝日、飯豊、越後の山脈。そして西に伸びる西頸城、白馬山地など、新潟はまさに山に囲まれ、四季折々にダイナミックに変化する山岳風景とともにある国です。山々に源を発する信濃と阿賀野の二大水流は新潟平野をうるおし、森林や潟湖を形成する。渓流や湧水の景色も素晴らしい。また、日本海に面した長い海岸線と佐渡では、波の浸食が織りなす景勝を数多く見ることが出来ます。なかでも代表的な奇岩・怪石・洞窟の入り組む笹川流れのめがね岩、大小の島が浮かぶ尖閣湾、福浦八景・弁天島などは一見してみたいですよ。
祭りは、日本三大雪まつりの一つであります六日町の雪まつりや三尺玉の飛ぶ長岡花火大会など、新潟の祭りはスケールが大きいのが特徴です。是非観覧を。
(郷土資料事典より)
・佐渡島。豊かな自然・数多くの景勝地を持つ島。島の海岸線は約280㌔で離島としては沖縄本島に次ぐ大きさです。島の景観も山脈が延びる北部と南部、穀倉地帯の国仲平野が広がる中央部で異なり、また豊かな植物が維持されています。北部の外海府海岸沿いには、奇岩・巨岩が多く、中でも海にせり出した一枚岩の大野亀は雄々しく圧巻です。南部は比較的穏やかな景観が広がっています。変化に富んだ景観で有名な小木海岸には岩ユリが彩を見せています。冬はブリや甘海老などが美味しく、夏は海水浴や夏祭りなどで賑わいます。
・尖閣湾 (せんかくわん)新潟県佐渡島大佐渡の外海府にある景勝地。約4kmにわたり外海の波や強風で削られた奇岩怪石が続く男性的な海岸で、佐渡弥彦米山肯定公園の中心的見所としてしられる。
・星峠の棚田。新潟県十日市。絶景ポイント。米産地で名高い新潟県は棚田の数も多く、中でも十日市の松代も全国有数の棚田が並ぶ。なかでもここが美しいのは、水を張った棚田に朝焼けが溶け込む「水鏡」。日の出とともに朝霧がたち、幻想的な空気があたりを包み込む。峠の名の如く、夜には空から降り注ぐように無数の星が瞬く、「水鏡」を見るのには晩春がベスト。標高約300mの山の斜面に現れる大小さまざまな棚田、杉林と棚田の合間に霧がたなびき水を張った田が朝日に瞬く素晴らしいロケーションで多くのカメラマンや観光客で賑わいます。
・尾瀬ヶ原。群馬・福島・新潟県。山々に囲まれた高山植物の楽園、湿原地帯に至仏山の姿の美しい中田代付近、約3.7万haもの面積を持つ尾瀬国立公園のなかでも、最もハイカ―に人気のエリア―。希少種を含め多種類の高山植物が生息し、雪解けとともに訪れるミズバショウの季節はとくに人々の心をひきつけてやまない。5~6月が最高の観賞時期です。
・新潟まつり。新潟市の発展と港の繁栄を祈って開かれる名物行事で、毎年八月七日を前夜祭として、八日・九日の三日間、盛大な行事がくりひろげられます。七日は、宵からの市民大民謡流しから始まる。揃いの浴衣に編み笠姿の踊り子が、佐渡おけさや新潟甚句の唄や囃子にあわせて、手振りもあざやかに市中を踊り歩き、その数は例年約二万人という壮観さ。八日には、白山神社を出発した住吉行列を中心に、山車行列が延々一㌔にわたり、市内の目抜き通りを行進する。粋な木やりで練り歩く芸子連と、小中学生の子供神輿や万代太鼓が祭りの気分を一層盛り上げます。九日は、信濃川縁で花火大会が開催される。割りもの・つくりもの・スターマインなどが三千発も打ち上げられ、華麗な火の祭典に陶酔の夜をすごす。
・新潟県政記念館(新潟県議会旧議事堂)新潟市一番堀通町。明治一六年に竣工した木造洋風建築で、昭和七年の新庁舎完成まで約五十年間、県政の殿堂。明治初期の県会議事堂としては、わが国現存最古の遺構とされ、昭和四四年国の指定重要文化財に指定されている。
・阿賀野川ライン県立自然公園。阿賀野川の流域一帯を占める自然公園。五泉市・津川町・鹿瀬町・三川村にまたがり、咲花温泉から鹿瀬町までの約二〇㌔を阿賀野川ラインという。公園内には咲花・三川・麒麟山・角神などの温泉や、麒麟山公園、諏訪峠の石畳道、角神湖といった見どころがあります。ハイキングコースや阿賀野川ライン下りも就航しています。
・白根の大凧合戦。六月初旬の五日間行われる白根市の伝統行事です。重さ五〇㌔、畳二畳の大きさの凧。二百枚以上の凧があがるのが白根の大凧で、中ノ口川の堤防で、白根側(東軍)と味方村側(西軍)の二手に分かれ、大凧を空に泳がせながら相手の凧綱を切り合うという壮観なものであります・新発田城跡。溝口秀勝が、新発田氏の古城跡に新たに縄張りを施して、近世平城を築城した。これが今に遺構を残す新発田城です。城は、湿地に臨んだ低い台地を利用して築かれ、加治川の水を広い堀に引き入れて周囲を固めたところから“浮船城”、堀にアヤメが群生していたので“アヤメ城、築城にあたりその縄張りを狐が尾を曳いて教えた、との伝えから”尾引城“などと呼ばれていた。本丸に天守閣の代わりに棟がT字型になった三層櫓がおかれ、屋根に三尾の鯱が上げられて、遠くからでもよく目立つ過去二度の火災で焼けたがそのつど再建される。本丸表門と隅櫓は国指定の重要文化財に指定される
新潟祭り・住吉祭り・商工祭・川開き・開港記念祭という歴史ある4つの祭りが1つとなり、昭和30年にスタートしました。毎年8月上旬の金、土、日に行われます。市をあげて盛大に開催される。市中に民謡流しや、奉納台帳・金魚台輪などが繰出し、遠近からの人出でにぎわいます。花火大会なども行われ、県北地方を代表する年中行事の一つとされています。
・南魚沼市雪まつり。南魚沼地域最大の冬のイベントです。JR六日町駅から魚野川河川敷で開催されます。「雪灯りの回路」から幻想的な世界へ誘い、雪国の風物詩である「ほんやら洞」や地元食材を中心に振舞われる「ふるさとふれあい店」そして「雪上ステージショー」などが行われます。家族で楽しるすべり台で楽しめます。
・瓢湖(白鳥の里)水原町水原。灌漑用人工池の瓢湖は毎年十一月上旬から四月上旬、沢山のハクチョウが飛来することで全国的に知られています。はじゅめて飛来したのは昭和二十五年一月末とのことで、その美しい姿に感動した湖畔に棲む吉川氏が餌付けを試み成功した。きわめて警戒心の強いとされるハクチョウが、人になれるのははめずらしいとされている。二十九年三月、瓢湖一帯がハクチョウ飛来地として国の天然記念物に指定される。またここには、移住性のないコブハクチョウも飼われており。一年中「白鳥の湖」として親しまれている。湖面には珍しいオニパスも見られ、県の天然記念物として保護されています。春は桜祭り、夏はあやめ祭り、二月上旬には瓢湖冬の祭典が行われます。・鈴ヶ滝。村上市高根。朝日スーパー林道沿いのブナ原生林の中にある。高根川上流の石英岩でできた川底に砕け落ちる落差五五㍍の滝は、まさに壮観で、日本の滝百選に選ばれています。また、近くの断崖には、雨が降るといくつもの大小の小さな滝が現れます。
・惣滝。(そうたき)。妙高市妙高山から流れ出る大田切川の支流にかかるこの滝は、落差が八〇㍍あり雪解けのころには水量がまして轟音が響く。燕溶岩と呼ばれる、切り立った岩肌を落ちる水模様が美しく、虹がよく出る滝として知られている。日本百選の滝にも選ばれている。
・苗名滝。(なえなたき)新潟県の妙高山と長野県の黒姫山の間を流れる関川の本流にかかる滝で「日本の滝」百選に選ばれています。雪解けで増水した流れが豪快に落ちると、地震のような振動と音が起こるところから、別名「地震滝」と呼ばれている。大きな柱状節理の玄武岩の壁の一部が壊れそこが滝口となっている形が特徴的です。落差五五㍍。滝つぼ周辺の巨岩の上が野猿が飛びまわることもあるという。
・笹川流れ。山北町新保から寒川まで。全長十一㌔の日本海海岸をいう。約二百万年前の隆起花崗岩が日本海の荒波で浸食され、独特の奇岩景勝観が連続し、緑の松をのせた乱礁と白砂の砂浜が交互に展開して、紺碧の海と相まって見事な景勝を形つくっている。特に笹川付近には眼鏡岩をはじめ、びょうぶ岩・ニタリ岩・恐竜岩などと名付けられた奇勝が散在して見ごたえがあります。国の天然記念物に指定されています。
・貞観園。高柳町岡野町に位置する。江戸時代の中期に土地の名家村山家が、幕府の庭師が京都風の手法を守って造園されており、国の指定名勝指定になっている。庭園内は木々に周囲を囲まれ、一面の苔の間にはほどよく庭石かおかれ庭石をを踏んでみて回れるようになっている。
・村松公園。五泉市愛宕甲に位置する公園。日露戦争の戦没者慰霊のため造成された公園で愛宕山と山麓一帯に広がり野外ステージ、野球場・武道館などがある。蓮池を中心に山頂付近まで約三千本の桜がうえられており、四月中旬の花の頃は遠近から多くの行楽客でにぎわいます。四季折々の花々が咲き乱れ「花の公園」として知られています。
・大河津分水公園。分水駅の南約一㌔、国道116号の大河津橋から、信濃川と新信濃川の右岸一帯で、大正13年開削工事の成功を記念して造成された。工事の時に使われた発電機室、堰の形をした記念碑、百名余名の殉職者をまつる慰霊碑、工事の模型・工事記録写真を展示する記念館などがあり、園内や堤防沿いに、開園当時に植栽されたソメイヨシノ3000本があって県内でも有数の桜の名所として知られている。例年4月中旬ごろの日曜日には、満開の桜並木の下で分水名物の「おいらん道中」が行われている。
・白馬連山高山植物帯。長野・富山の両県境にそびえる白馬岳を中心に、糸魚川市、長野県白馬村、富山県朝日町・宇奈月町にまたがる広大な地域で、わが国中央部における高山植物帯の代表的な例として、国の特別天然記念物に指定されている。種類が多く、千島・樺太に見られる北方系の植物も豊富で、その南限をなすものも少なくない。初夏から秋にかけて美しく咲き乱れ、登山者の目を楽しませてくれます。
・日光国立公園。栃木・群馬・福島・新潟の四県にまたがる山岳自然公園。県内では湯之谷村の南端、国の特別天然記念物に指定されている尾瀬ヶ原の一部が指定区域に含まれ尾瀬の水を落として只見川とする、高さ百㍍近い三条の滝の豪壮な景観が見ものです。
・上の原公園。南魚沼市小栗山上の原に位置する公園で枡形山東腹の高原地帯にあります。面積約二万五千平方㍍、周囲一㌔余の上の原池を中心とした自然公園で、ユースホステル・グランド・菖蒲園などの施設があり、中でも菖蒲園は約三千㎡の園内に約八千株植栽されており、毎年七月中旬、菖蒲祭りが開催されて、池の灯籠流しや花火が打ち上げられています。
・清津峡。清津峡温泉から上流約1.4㌔湯沢町八木沢へかけての清津川の渓谷。狭い川幅を保ちながら、山肌を大きく浸食する清津川の急流と、両岸数十㍍にそそり立つ柱状節理の絶壁とがダイナミックな景観をつくりだしています。日本三大渓谷の一つです。
・平根崎の波蝕甌穴群。平根崎の波打ちぎわに見られる。岬の岩礁に打ち寄せる波頭が引くときに、激しい渦巻きとなって岩盤上の小石を動かし、その小石が岩を削って作った甌穴が、無数に散在して奇景を呈している。穴の大きさは数十㌢から数㍍とさまざまで、川床でなく海岸にあるのがきわめて珍しいこととされ、昭和一五年七月、国の天然記念物に指定された.
・佐渡小木海岸。小木市街の南に突きでた城山台から西の白木の神子岩までの海岸線をいう。この辺りは地殻変動の激しいところで、数回にわたり、隆起・沈降を繰り返したために独特の段丘・溺谷の断層海岸が形づくられた。いたるところに海食台・海食崖・海食洞が散在して奇観を見せ、矢島・経島、南仙峡、沢崎鼻などがその代表的景勝として知られています。学術的にも貴重とされ、国の指定天然記念物・名勝指定になっています。(たらい船を見学しましょうよ)
・佐渡外海府海岸。佐渡の北西部、大佐渡連峰の北部が日本海に落ち込む海岸線をいい、両津から北端の弾埼までを内海府、弾埼と相川の間を外海府と呼んでいる。佐渡を代表する景勝地であり、佐渡弥彦国定公園の指定区域にふくまれ、外海府は国の指定名勝になっている。内海府は比較的単調な海岸線が続くが、外海府は、黒褐色の玄武岩が風波の浸食をうけ、約五十㌔にわたって豪壮な景観を見せています。二っ亀・賽の河原・大野亀・船かくし岩・関岬・平根崎・尖閣湾などの景勝地がある。
・二っ亀。両津市鷲崎弾埼灯台の西約三㌔にある島で全島玄武岩からなり、遠望すると二匹の亀が甲羅を干しているように見えるのでこの名がついた。島内には珍しい植物が多く、志摩の突端には“鍋のツル”と呼ぶ奇勝がある。砂州で陸続きの砂州は絶好の海水浴場です。また、二っ亀真深勝路から歩いて二十分ほど行ったところに賽ノ河原があります。ここは佐渡島で死んだ幼い子供たちが寄る場所といわれ、海に向かって口を開けた洞窟の中に、子の供養のために親が刻んで置いた、よだれかけをかけた無数の石地蔵が並んでいます。これから約二・五㌔ほどのところに大野亀があります。
・親不知子不知。この名は昔、断崖下の日本海海岸沿いを旅人たちが通り抜けるとき、親は子を、子は親のことを考える余裕がなかったこのために、そう呼ばれたと伝えられている。
町の北西部、青海から市振りまで全長約一五㌔の海岸をいいます。高さ三百㍍~四百㍍に及ぶ懸崖がそそり立ち、海食洞穴・岩礁が散在して奇景を呈しています県指定の名勝である。
・けんか祭り。糸魚川市一の宮。五穀豊穣・豊漁を祈願して四月十日に天津神社で行われる例祭で別名“けんか祭り”で知られます。市の代表的年中行事の一つです。心身を清めた押上地区と寺町地区の若者が、太鼓の合図とともに神輿をかつぎ、神社内で押し合い、もみ合いさながら喧嘩のような激戦を展開する。このあと、国の重要無形民俗文化財に指定されるいる、優雅典稚な無楽が奉納される。
・鉱山祭り。相川音頭・佐渡おけさの民謡流しが街中に繰り出す四月二五日・二六日のおけさ祭り、七月二五~二七日の鉱山祭、十月十九日の相川祭りがよく知られています。相川町最大の年中行事で、江戸時代、金山奉行を慰安するため、奉行所前で開いたのが始まりといい、相川鉱山で働く人足たちも仕事を休み、無礼講であったという、今日では、仮装行列や金山屋台のパレードが行われ、花火が夏の夜空を彩って、見物の観光客で賑わいます。


 訪ねて見たい温泉    (新潟・北関東・東北南部)
     ・福 島  ・茨 城 ・栃 木 ・群 馬 ・新 潟
福 島 県  

県内の温泉湧出量は毎分8万ℓです。年間延べ宿泊客数は429万人と多く、中でも飯坂・穴原や、いわき湯本をはじめ東山、磐梯熱海などが多くの宿泊客を集めているそうで、岳、新甲子、土湯・高湯が国民保養温泉地として指定されており、保養を中心とした温泉つくりも行われている

・飯坂温泉. 福島県福島市飯坂町にある温泉。宮城県鳴子温泉、秋保温泉とともに奥州三名湯に数えられた飯坂温泉は奥州地方有数の古湯で、古くは「鯖湖の湯」と呼ばれた。説によると日本武尊の東征まで遡るとも言われ、また西行法師、近世では松尾芭蕉の「奥の細道」にも飯坂のことが紀行文に記され知名度を浸透させている。その後正岡子規や与謝野晶子らも訪れている。鯖湖湯、大門の湯、波来湯など9ヶ所の個性豊かな共同浴場が健在です。また数多くのホテル、旅館が立ち並び中でも「鯖湖湯」は明治の面影が色濃く四国道後温泉本館よりも古い温泉です。
・東山温泉. 福島県会津若松市にある温泉、開湯は8世紀後半または天平年間になされたと伝えられる東北有数の古湯で、山形県の上山温泉、湯野浜温泉とともに奥州三楽郷と呼ばれる。江戸時代には会津藩の湯治場として栄え、会津若松の奥座敷として発展した。会津民謡に登場する小原庄助ゆかりの温泉地、湯川沿いに温泉宿・ホテル、20軒以上が営業している。
いわき湯本温泉。湧出地/いわき市常磐湯本町で毎分5トンの湧出量を誇る摂氏59度の天然硫黄泉で町内の地価を通して各施設に配湯し、「美人の湯」「熱の湯」「心臓の湯」の効用を持っています。「鶴の伝説」のよりますと、二人の旅人が、ここ佐波古の里を訪れると傷ついた丹頂鶴が降りてきて、湯気たちのぼる泉につかっていました。かわいそうに思った二人が傷口を洗ってあげると鶴は元気に飛び立っていきました。数日後、巻き物を持った高貴な美女が訪ねてきました。巻き物には「この佐波古の御湯を二人で開いて天寿を全うし、子孫の繁栄をはかるべし」と記してありました。二人はさっそく、湯本温泉を開きました。とあり、有馬、道後温泉とともに「日本三古湯」といわれています。
・磐梯熱海温泉。福島県郡山市にあり、温泉街は磐梯熱海駅のすぐそばと、五十川に沿って旅館が建ち並ぶところと二つに分かれていますが、通常は一つの温泉街として扱われています。開湯は800年前と伝えられています。熱海温泉の名は鎌倉時代の領主伊東氏が出身地の伊豆にちなんで熱海と名付けたのが始まりというます。月岡温泉、いわき湯本温泉とともに「磐梯三美人湯」と数えられています。「荻姫まつり」が8月に行われています。
・芦ノ牧温泉。福島県若松市会津西街道沿いの渓谷美と湯量豊富な天然温泉で知られる
温泉地で大川沿いに旅館や観光地が分布しています。大内宿、塔のへつり、鶴ヶ城、会津武家屋敷などの観光地も近く、雄大な自然を肌で感じられるところです。伝説によると、この湯は千数百年前に僧行基上人が発見したといわれ、名前のいわれは足名家の軍の放牧場であったことに起因しているという。

 

・岳温泉。(たけおんせん)福島県二本松市にある活火山安達太良山麓に広がる温泉地で、自然環境に恵まれ、日本温泉協会のアンケートで「自然環境日本一」に選ばれている。お湯は全国にある天然湧泉の中でもさらにめずらしい「酸性泉」で、湯元から8キロの距離を引き湯していて温泉街まで流れてきます。肌に優しい評判の温泉です
・土湯温泉。福島県福島市土湯温泉町の安達太良山連峰の中腹から峠付近に位置する温泉で、10種類以上の泉質を持ち、開湯伝説ではオオムチノミコト(大穴貴命)が荒川のほとりで地面を鉾で突いたところ温泉が出て発見したとされ、鉾で突いたことから「突き湯」となりそれが転じて「土湯」となったという。源泉は中心街から約2㌔以上上流の荒川源流で噴き上がる150℃もの蒸気と熱水で、これに沢水を加えて温泉を造成して利用されている。また当地は鳴子、遠苅田とともに「東北三大こけし」で有名で土湯こけしは、多くの職人が伝統を守っています
・高湯温泉。福島市磐梯吾妻スカイラインの起点に、土湯とともに1999年に国民保養温泉地に指定された温泉。白布高湯、蔵王高湯とともに「奥羽三高湯」と称される。泉温42~51℃の高温の硫酸塩泉が毎分3,200ℓも湧出している。近隣に名勝「不動滝」や6月ごろから咲くヒメサユリを求めて来訪する人も多いところです。

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 茨 城 県
県内には宿泊施設のある温泉地が37か所あり、源泉湧出量は毎分2万ℓと多く、42℃以上の高 温泉より低温泉が多い。宿泊客が上位の温泉地は、筑波、大津、神栖平泉などがあり、知名度の高 い袋田温泉などがあります。

・五浦温泉。茨城県北茨木市大津町の太平洋に面した温泉地で、めのまえには太平洋の波が打ち寄せ 、松が思い思いに枝を延ばしその景観は日本有数の景勝地と有名です。雄大に広がる海と老松・奇岩が織り  成す絶景は、画家の創作意欲を掻き立てたものです、1906年、日本画家の岡倉天心が弟子の横山大観、下  村観山、菱田春草などを呼んで、日本美術館の本拠地としたところあります。
・袋田温泉。茨城県久慈郡太子町にある温泉。久慈川の支流、滝川沿いに位置する温泉地です。平安時代に発見されたと伝えられる古湯で、泉質は単純温泉と塩化物泉で湯量も豊富です。効用豊かなお湯は、疲れを癒し、安らぎを与えてくれる。日本三大瀑布「袋田の滝」に近く、四季おりおり楽しめます。周辺には大子温泉、月居温泉、浅川温泉、森林の温泉などがあり、総じて奥久慈温泉郷と呼ばれています。

栃 木 県

関東北部に位置する県で人口約198万人。境界部に海岸線を有しない内陸県です。観光業は日光・鬼怒川エリアや那須・塩原エリアが盛んで、日光市の鬼怒川温泉、川治温泉、湯西川温泉、日光湯元温泉、那須町、那須塩原市の那須温泉郷、塩原温泉郷のような、飛鳥時代や奈良時代からの古い歴史を持つ名湯があります。東照宮・日光二荒山神社・輪王寺の二社一寺でこうされる世界遺産、日光の社寺。いろは坂に華厳の滝、中禅寺湖などの風光明媚な奥日光の景勝地、皇室の御用邸の別荘地、温泉が広がる那須高原など(日光国立公園)(尾瀬国立公園)自然景観が楽しめるところがたくさんあります。

・鬼怒川温泉。栃木県日光市にある温泉.全国有数の温泉地。 鬼怒川の渓谷に面して発達した、関東でも有数の大規模温泉地。古くから東京の奥座敷と呼ばれ、歓楽街の色濃い温泉地でもある。川沿いを中心に大小さまざまな宿が林立して温泉街を形成しており、飲食店やみやげ物店、日帰り入浴施設が多数ある。温泉街周辺は名物の「鬼怒川ライン下り」をはじめさまざまな観光施設が集まる、一大レジャーエリアである。日光の寺社領であったことから、日光詣帰りの諸大名や僧侶達のみが利用可能な温泉であったとされていた。古くは滝温泉という名前で鬼怒川の西岸にのみ温泉が有ったのが、その後、東岸にも藤原温泉が発見され、滝温泉と藤原おんせんが合わり現在の鬼怒川温泉になった。上流の川治温泉とともに、「傷は川治、火傷は滝」と近隣に知られるようになった。 (観光ガイドブックより)
・奥鬼怒川温泉郷。奥鬼怒温泉郷は、栃木県日光市川俣にある温泉の総称。温泉の発見された時期は不明ですが、古くから地元の人々が利用していた。鬼怒川沿いに登り吸い込まれていきそうな深い渓谷、瀬戸合峡周囲の峰々が幽玄の美しさをかもし出し、水墨画の中にいるように思われる。温泉郷のエリアは女夫淵温泉より先からで、この辺りは登山客の利用も多い。加仁湯・八丁の湯・日光沢温泉・手白澤温泉ーいずれも一軒宿である。これらをまとめて奥鬼怒温泉とよばれ、源泉もばらばらで、近隣には他にも温泉が自噴しており野湯が多数あり、天然記念物にもなっている湯沢噴泉塔などがある。温泉郷が形成されたのは昭和初期で、その当時各宿に電気、電話が引かれていなく、1986年に電気、電話がひかれた。アクセスも1988年に奥鬼怒スーパー林道が徒歩だけに限られていた、それが為容易に訪ねることが出来ない秘湯であった。それだけに是非訪れてみたい秘湯ですよね。
・塩原温泉郷。栃木県北部の広大な那須野が原から、北西の方角に連なる山中に分け入った箒川の渓谷沿いに連なる11地区の温泉地の総称。温泉の発見は西暦806年といわれ、1200年以上の歴史を刻みながら、訪れる人々の心と体を癒してきました。塩原温泉郷のエリアは、面積の80%以上が森林地帯。太平洋側と日本海側、関東地方と東北地方の気候の交差点に為っている。昆虫や両性類、木々や草花などの種類がとても豊富です。北には日留賀岳、南には釈迦ヶ岳など、登山者に人気があり塩原渓谷の美しさは、今も昔も人々をとりこにしています塩原温泉郷は十一湯と呼ばれる。・大網・福渡・塩釜・塩の湯・畑下・門前・古町・中塩原・上塩原・新湯・元湯 という湯本が点在し、約150の温泉から湯が湧き出ている。魅力ある温泉地ですよ。(塩原温泉郷公式ページより)
・那須温泉郷。那須町の北西部にそびえる茶臼岳の山腹に散在する温泉郡の総称。茶臼岳は、那須火山帯が最後に形成した山といわれ、栃木県唯一の活火山で福島県南部を含む那須地方のランドマーク的存在です。いまなお白い噴煙を上げながら、広大な山麓一帯に豊富な火山性温泉を自然湧出させています。発見は1380年前(舒明2年)狩野三郎行広の鹿の湯(元湯ともいう)が始まりその後板室、三斗小屋、大丸、北、弁天高雄と(那須七湯)その後八幡温泉、旭、飯盛、郭公が発見され、さらに大丸温泉の湧出湯を自然流下によって新那須温泉を加え那須十二湯と呼ばれていたが現在では地理にやや離れた坂室を除いて、那須十一湯と呼ぶのが主流となった。又温泉跡地と化したところを除き那須温泉(鹿の湯)、三斗小屋温泉、大丸温泉、北温泉、弁天温泉、高雄温泉、八幡温泉を那須七湯新那須温泉を加えて那須八湯と呼ぶこともあります。(那須温泉旅館協同組合公式サイト)
・日光湯元温泉。日光市奥日光の湯ノ湖畔金精峠の麓にある温泉。奥日光には1954年(昭和29年に酸ヶ湯、四万温泉とともに日本初の国民保養温泉地に指定された日光湯元温泉があります。湯元は、三岳山の噴火によってせきとめられた湯ノ湖のほとりの静かな温泉地です。788(延歴7年)に日光山輪王寺を創建した勝道上人が、現在の温泉寺境内にある薬師湯を発見したといわれます。源泉は地熱地帯にあり源泉小屋は源泉情緒を醸し出し、泉質は酸性の硫黄泉で温度は42℃以上と高い。自然景景観に優れ一帯は日光国立公園の集団施設の地区となっており温泉施設、国民宿舎、民宿が集まっています。周辺には光徳牧場、戦場ヶ原、竜頭滝、霜降高原などの観光地があり、多くの観光客が訪れます。
・板室温泉郷。那珂川上流の山あいにあり、塩沢温泉とも言われていました。この温泉は、後冷泉天皇の時代、平安の康平2年(1059年)3月に、那須三郎宗重が狩りのために山奥に入り発見したと伝えられています。古くからの旅館は、板室本村の人が隠居仕事として営んでいたもので、屋号は本村のものと同じでした。古くから那須七湯の一つに数えられ、温泉の効能から「下野の薬湯」と呼ばれており、湯治の里として親しまれてまいりました。現在の温泉街もその雰囲気を残し、年間をとおして全国各地から来訪者があります。昭和46年には、国民保養温泉地の指定を受け、さらに「ふれあい・やすらぎ温泉地」に選定されました。豊かな自然景観や環境が保護され、他の温泉にはない素朴な湯治場です。多くの温泉地の中でも、温泉利用の効果が十分期待され、健全な温泉地として優れた条件を備えている地域を、昭和29年から環境庁は「国民保養温泉地」として指定しています.板室温泉の主な泉質は37~45℃の無色透明アルカリ性単純温泉で、身体の芯まであたたまる湯として喜ばれています。(板室温泉郷旅館組合公式サイトより)
・湯西川温泉。栃木県日光市湯西川に位置する温泉、壇ノ浦の合戦に敗れ逃れてきた平家落人が、河原に湧き出る温泉を見つけ傷を癒したと伝えられる歴史の古い温泉です。温泉地名の由来ともなった湯西川(一級河川利根川水系)の渓谷沿いに旅館や民家が立ち並びます。湯量豊かな温泉を楽しむのはもちろんのこと、川魚や山の幸、野鳥・鹿・熊・山椒魚の珍味など四季を感じる地元料理を心ゆくまで堪能できます。みそべら等を囲炉裏でじっくり焼いて頂く落人料理も有名です。また、1月下旬~3月中旬のかまくら祭の時期には河川敷に約1200ものかまくらが作られ、ろうそくの明かりが灯る週末の夜は特に幻想的な風景が広がります。楽天トラベルが調査した「美肌の温泉地ランキング2016」で1位となりました (日光市観光協会湯西川・川俣・奥鬼怒支部サイトより)

・温泉番付ー温泉地を大相撲の番付に見立てランキングしたもの、初めは江戸時代といわれた。東日本の温泉地を東方・西日本の温泉地を西方人気でなく、温泉の効能の高さを基にした。最高位(大関)東は草津、西は有馬、関脇・東、那須・西、城崎となっている。・那須温泉の番付は総じて上位ランクされ、高く評価されている。
   

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 群 馬 県
 
群馬県は関東一の温泉大国で、その総数は200ヵ所以上、宿泊できる温泉地だけでも、およそ100ヵ所を数えます。日本三名泉の一つ草津温泉をはじめ伊香保温泉、水上温泉、万座温泉、四万温泉、老神温泉、やぶ塚温泉、猿ヶ京温泉などなど魅力的な温泉がたくさんあります。湧出量は毎分5万6千ℓをかぞえ、42℃以上の高温泉が半周を占めています、群馬県には観光とともに保養の機能をもつ温泉地が多いことも特色です

・法師温泉長寿館. 群馬県利根郡みなかみ町にある温泉(鹿鳴館風の大浴場を持つ一軒宿)地形より1200年前の開湯と推察され、弘法大師による開湯伝説があるとか。三国峠にも近い高所に「日本秘湯を守る会」に属する一軒宿の「長寿館」がある文化人にこよなく愛されてきた避暑地(与謝野晶子・鉄幹、直木三十五、等々)往年の大スター、高峰三枝子と上原謙がモデルとなって旧国鉄のフルムーンポスターガなされて、法師の名が全国区となった。鹿鳴館風の浴場は何度訪れても斬新である。
・草津温泉。群馬県吾妻郡草津町にある、温泉のこと。日本三名湯の一つである。自然涌出量は日本一を誇り毎分32,300リットル以上で、一日ドラム缶約23万本分もの温泉が湧き出ているとのこと。草津の旅館や温泉施設で「源泉かけ流し」ができるのもこのおかげ、さらに驚くべきは、その泉質!日本有数の酸性度でPH値は2.1(湯畑温泉)雑菌などの殺菌作用は抜群です。草津温泉は古くから多くの人々の心と身体を癒し続けてきた名湯で、江戸時代の温泉番付では当時の最高位である、東大関に格付けされた、日本を代表する名泉の一つ。草津温泉のシンボル「湯畑」温泉街の中心地に位置する湯畑は、草津温泉のシンボル。毎分4000リットルの温泉が湧き出ていて、いつも湯けむりを舞い上げている。(日本三名泉ー下呂温泉/有馬温泉/草津温泉)(草津よいとこ一度はおいで ドッコイショ・・歌いながら、オール板で湯もみを・・してみたいですね)(草津温泉観光協会サイトより)

・水上温泉郷。県中北部、JR上越線沿いの利根川上流沿岸には、大小の温泉地が多く分布している。渓谷沿い面して、昭和前期に発展した水上温泉をはじめ、上流には谷川、湯檜曽、宝川、湯の小屋などの小規模ながら特色のある温泉地が展開しています。単純温泉が涌く水上温泉は以前、湯原温泉と呼ばれていた。水上温泉が飛躍的に伸びたのは、上越線全線開通や文豪を招いての活動であったといわれます(大佛次郎、西條八十、川端康成など)。温泉の発見は戦国時代の16世紀頃といわれ、草津、伊香保と並んで群馬を代表する温泉地。温泉街の中央を利根川が流れ、奇岩や怪岩がある諏訪峡やライトアップされる水上峡が名所。利根川に沿うように整備された2.5kmの遊歩道も歩いてみたい。懐かしさが残る温泉街では浴衣と下駄で散歩しよう
・四万温泉(しまおんせん) 群馬県吾妻郡中之条町にある温泉。草津、伊香保と共に「上毛三名湯」の一つにあげられる四万は、越後との国境、三国山脈の稲裏山を源とする四万川が削つた渓谷に湯煙を上げる。日向見から、ゆずりは、新湯、桐の木平、山口、温泉口、の温泉街は、四万の清流に沿って3キロにわたり豊富に湧出する源泉を使用する。「草津の湯は白く濁り、伊香保は茶褐色、四万は澄んでいる湯」で飲めば胃腸に良く、入れば肌に良いと言われ、今もこんこんと涌き続けている。最初の湯宿を開いたのは、戦国時代、田村甚五郎清政が開いたとされている。その後他の地区でも次第に湯宿が出来、昭和29年には温泉や景観が優れている温泉地として、「国民保養温泉地第一号」の指定を受けている。現在は36軒の宿がある(「四万温泉を知ろう」、公式サイトより抜粋)
・伊香保温泉。群馬県渋川市伊香保町にある温泉、草津温泉と並んで県を代表する名湯情緒あふれる石段の町、伊香保の歴史は古く、榛名山の東麓高地に涌く温泉万葉集の中でも歌われている古湯である。江戸時代に榛名詣では観光名所となり、武家、町民などあらゆる層の人々が往来し、口留番所が設けられるなど、黄金期を迎える。明治23年御用邸が選定され、皇族の方々もよく訪れられ、昭和26年に文部省に移管となり今日に至っている。徳富蘆花を初め文豪に、また渋川市美術館、桑原巨守彫刻美術館、芸術の遊歩道など、芸術家に愛された伊香保、国際交流盛んな伊香保、是非尋ねてみたいですね.・万座温泉郷。上信越高原国立公園内、海抜1800mにある高山温泉郷で一帯はツガ、ダケカンバなどの樹林がひろがっており、春は残雪と新緑、夏は避暑地、秋は紅葉と冬はスキーと四季折々楽しめます。湯量は多く、一日540万リットルと豊富で硫黄泉です。
80℃と高温泉が各所で見られます。上信越高原国立公園の大自然を満喫しながらの露天風呂や湯畑、大苦湯、銭湯、などいろんな風呂、お湯を楽しむことが出来ます。
 極楽湯

・片品温泉郷。「遥かなる花の谷・かたしな」キャッチフレーズの片品温泉郷は利根川の支流である片品川の上流にある温泉地。水芭蕉、ニッコウキスゲなどの群落で有名で尾瀬ヶ原観光の群馬県側の中心ともなっておりロッジや民宿の宿泊施設があります。登山やハイキング、テニス、スキーなど四季を通じて楽しめます。

 ・猿ヶ京温泉。新潟県境に近い山間に位置する温泉で昔、おなかを空かせていたところを若夫婦に助けられたテジロ猿が、大やけどを負った夫婦の子供を治癒した温泉と伝えられています、それが猿ヶ京温泉の始まりといわれ、無色透明で湯量が大変豊富で、止まることなく湧き出る摂氏56℃の源泉が、猿ヶ京の温泉郷一帯を長い間潤し続けています。江戸時代には笹の湯・湯島温泉と呼ばれ、名湯として賑いを見せた三国街道沿いの一角が、昭和33年にダム建設のために赤谷湖の底深く沈んでしまいましたこの温泉街を移し、さらには名前も改め、近代的なホテル街へと生まれ変わったのが現在の猿ヶ京温泉で、スキー民宿にも配湯しています
 ・川中温泉。吾妻川上流、雁ヶ沢川沿いに、和歌山県の竜神温泉、島根県の湯の川温泉とともに「日本三大美人湯」として知られる温泉です。旅館前を流れる雁ケ沢川の川底より自然湧出するところから川中温泉と呼ばれ、源泉温度が温めで長時間入浴することができ、その美肌効果から日本三美人の湯とよばれています。風情のある混浴露天風呂、大湯、薬湯などがあり、肌触りなめらかで、肌荒れによいといわれています。

・川原湯温泉。源頼朝が発見してから800年以上の時を訪いできた温泉で、平成26年名残惜しまれながら新天地へ引っ越し致しました。共同温泉の大湯も完成し、新たな発展を期しています。そして温泉をかけ合う「湯かけ祭り」も継承されています。国指定名勝の吾妻渓谷へのアクセスは変わりますが、深い谷、広葉樹のおりなす四季折々の景観美は以前のままです。奇祭、裸祭りで有名な「湯かけ祭り」はふんどし姿の若衆が早朝から湯の掛け合いをして湯の神に感謝するユニークな行事です
・磯部温泉・県中南部、信越本線磯部駅近く碓氷川畔に形成された温泉地。誰もが知っている温泉記号発祥の地です。(♨マーク)。日本三奇勝の一つ妙義山が望める碓氷川の清流沿いに開けています。中山道を往来する旅人や、近在からの湯治客で古くから賑わっていました。都会の俗塵を避けて磯部の清遊に訪れた文人墨客も多く、文学碑が残されています。

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新 潟 県 
新潟県の温泉地は下記以外に140余に及び、温泉の温度分布は高温泉、低温泉地等が平均的に分かれています。年間の宿泊客が年延べ470万強に達しております。国民保養温泉地も弥彦・岩室、六日町、関・燕の3地区が指定され、多くの宿泊客が訪れています。県内全域にわたって温泉地が展開しており、四季を通じての自然を楽しんだりスキーを楽しんだり、日本海の夕日で海浜景観を求める観光客などで宿泊地として機能している。
越後湯沢温泉。新潟県南魚沼郡湯沢町にある温泉(単に湯沢温泉と呼ばれることもある)平安末期、高橋半六により発見された現湯沢町の歴史はその後湯ノ沢から湯沢となる。温泉場としての歴史は古く、明治には四軒の湯治宿があった木造湯ぶねに丸太が一本置いてあって、湯がぬるいので浴客はその丸太を枕にして時間湯につかっていた。現在は集中管理されている。温泉地と繁栄するのは、上越新幹線開通後とされている。湯沢観光協会資料より、 遊びも、学びも、癒しも。楽しいこといっぱい。1 苗代エリアー標高1000mと湯沢で一番涼しいところ、信濃川の源流にたたずむ日本最長のポートウォークがある、自然豊かな高原リゾート。2、湯沢・神立エリアー国境の長いトンネルを越えると雪国であったの名作「雪国」のふるさと、800年の歴史を持つ、温泉地、繁華街である。3、湯沢つちたるエリアー春の見所は水芭蕉の花や、カタクリの花の群生、夏はホタル観賞に、川遊び、大自然の中での合宿、秋は紅葉自然を満喫。遠からずに訪ねて見たいですね。
 
・赤倉温泉。妙高市、妙高山東中腹、海抜八百㍍付近にあり、江戸時代後期高田藩主の鷹狩の休息所として、西上方の北地獄谷から温泉を引いて湯屋を設けたのが起こりといわれ、歴史の古い温泉です。白樺林の点在する高原地帯に百数軒のホテル・旅館が湯街を形成しており、冬のスキーシーズンは、さらに華やいだ雰囲気を漂っている。文化人にも愛された温泉地です。近隣に瀟洒なホテルやロッジ、大企業の量などが建つ新赤倉温泉があります。
・六日町温泉。六日町は南魚沼産コシヒカリで知られる新潟県南魚沼市にあります。平成十六年二町が合併し南魚沼市が誕生し、その後に塩沢町を編入合併し新生南魚沼市となりました。温泉は魚野川右岸と八箇高原の東麓の二か所に湯街が形成され、市街にも湯宿があります。温泉は天然ガスが試掘したときに油湧出した弱食塩泉。早くから開けた西山地区のほうは湯治的趣を残しているが、坂戸地区は賑やかで観光的要素が強い。越後三山への登山や裏巻機渓谷深勝の足場によく、冬はスキー客の宿となる。国民保養温泉地の指定をうける。
・瀬波温泉。村上市瀬波。村上駅の西約二・二㌔、日本海岸沿いにある。明治三七年石油ボーリング中に湧きだした温泉です。湯街は海岸沿いと村上駅方面へ出る県道にそって形成されています。湯量が豊富なことでしられ、南側山麓の高台には、元湯の噴泉が勢いよく白い噴煙を上げています。浴後の散策には温泉街背後の赤松林のなかのすすきケ池を訪れるのによい。
・池ノ平温泉。妙高市関川。妙高高原駅の西約三・五㌔、白樺林が散在するのどかな高原地帯にある。もともと大企業の寮とか別荘地として開かれたところで今もその雰囲気は失われていない。宿は七〇軒ほどあり、湯は南地獄谷からひき湯している。池の平温泉の東約三㌔に妙高温泉があります.
・妙高温泉
。妙高高原駅の南西約一㌔、関川左岸の高台に七件ほどの旅館・ホテルが建つ、妙高高原の玄関口にあって都会色が濃く、団体客の利用が多い。夏から秋にかけての高原ハイキングや登山、冬のスキー客の基地になっている。
・月岡温泉。新潟県新発田市。交通網の整備にともない旅館・ホテルの増改築がすすみ華やいだ雰囲気の温泉です。湯は大正六年石油のボウリング中に湧出したもの。美肌効果があることから“美人の湯”ともいわれる。歴史は比較的新しいですが季節の料理やマッタケ料理が名物です。付近にはフジと渓谷美で知られる剣竜峡といった見どころがあります。
・岩室温泉。新潟市西浦区岩室温泉。正徳三年(1713)の開湯といわれ傷ついた数羽の雁が湯あみをしたところ傷が治り元気に羽ばたいたということから“霊雁の湯”とも呼ばれている。参拝客や観光客で賑わい、温泉街は今も当時の面影をとどめ、新潟市の奥座敷とも称される。新潟の芸妓発祥の地でもあり、“岩室甚句”で知られます。近隣に昭和三十四年に越後一宮の弥彦神社の門前町で温泉が湧出て新興温泉地として弥彦温泉が形成されています。両温泉は昭和三十八年に国民保養温泉地に指定される。
・松之山温泉. 松之山温泉は、新潟県十日町市松之山にある温泉地 開湯伝説によれば、約800年前に鷹が温泉で傷を癒していたところを、地元の樵が発見したところからとされている。江戸後期、温泉番付「諸国温泉効能鑑」に越後からは、前頭に松之山、塩沢、出湯、関山等の名が並んでおり、松之山は筆頭で、その湯の質の良さは早くから知られていた。温泉場として利用され出したのは宝暦6年発行の「越後名寄」によると、有馬、草津とともに松之山の賑わいぶりがうかがれるとある。現在は、鷹の湯、庚申の湯,湯田の湯、じょもんの湯があり、鷹の湯の飲泉可能、新鮮な源泉あふれる、共同浴場の露天風呂に体を沈めるも良しですね。また、十日町市の棚田は「日本の棚田百選」に選ばれているところで、特に松之山交差点の近くの「千枚田」と呼ばれる棚田があり、標高300m~500mにかけて土地の起伏にあわせた田が並んでいる、手入れされた田が階段状に続く景観はまさに日本の原風景である。共にたずねましょうよ
・咲花温泉。新潟県五泉市。美肌の湯で知られる温泉で、その昔には“先花地”と呼ばれていたことからこの名がついたされています。皮膚病や婦人病・神経痛によいとされています。エメラルドグリーンの幻想的なお湯が楽しめますよ。
・鵜の浜温泉。新潟県上越市大潟市。日本海海岸べりを走る旧国道線沿いに、松林に囲まれた設備の整った湯宿があります。湯は昭和三十三年に石油のボーリング中に湧出たもので、すぐ目の前に開ける砂丘海岸は絶好の海水浴場で、七月~八月のシーズンには遠近からのレジャー客で賑わいます、海釣りの足場としても利用客が多い。新鮮な魚介類が名物です。
・寺泊温泉郷・新潟県長岡市寺泊。寺泊の街中や寺泊海岸べりに湯屋が散在している。佐渡観光や夏の海水浴の利用者が多い。西には雄大な広がりを見せる日本海の風情が素晴らしい。食膳をにぎわす新鮮な海の幸を楽しめます。番屋汁が名物です。
・関温泉。燕温泉。新潟県妙高市。両温泉とも妙高山中腹に位置し、関温泉は標高九百㍍、燕温泉は標高一千㍍で、大田切川の渓谷にあり日本海を遠望する絶景地です。弘法大師の発見と伝えられています。関温泉は赤い湯花特徴で、季節の山菜料理が名物。燕温泉は岩ツバメが群生し、新緑のころ、紅葉の秋ともに素晴らしく、冬は西方の山腹斜面に国設燕温泉スキー場が開けています。
・湯田上温泉。田上駅の南東に位置し、護摩堂山の西麓にある。江戸時代中期の元文三年(1738)の開湯といわれています。昔・護摩堂山で修行していた修験者が身を癒すために使ったのが湯田上温泉の始まり伝えられる。明治・大正のころまで“薬師の湯”と呼ばれ、近郷農家の湯治場として親しまれている。周辺に自然レクリエーション施設があります。
・三川温泉。三川駅の北約四㌔、新谷川(あらや)右岸の田園地帯に臨む山麓に湯宿が建っている。山と清流に囲まれた静かなところで、湯治にも向いており、長期滞在する常連客も多い。北西にそびえる五頭山登山の基地としてもよく利用されています。自然観光も楽しめる温泉地です。
・高瀬温泉。新潟県関川村高瀬。荒川右岸にあり、荒川温泉郷の中では、湯沢とともに歴史の古く、規模も最も大きい。近くの高瀬公園に、温泉開発に貢献した佐藤泰造翁の頒徳碑があります。歩いて10分ほどのところから上流の鷹ノ巣温泉まで、荒川の渓畔をゆく延長三㌔あまりの自然遊歩道がひらけていて散策コースとして楽しめます
・雲母温泉。(きらら)高瀬温泉の対岸に・雲母温泉があります。ここは“子宝の湯”ともいわれ、昔から女性客が多く訪れます。近くに昭和天皇・皇后両陛下の来村を記念して造られた荒川台お野立公園があり、園内からは荒川峡や飯豊か連峰の絶景が一望できます。
・越後大湯温泉。新潟県魚沼市大湯温泉。折立温泉から西へ約、両側に山の迫った佐梨川の渓畔に、十三軒のホテル・旅館が建ち並び、飲食店・土産物屋も多く、湯之谷温泉郷の中では最も華やかな湯街が形成されています。駒ヶ岳登山・奥只見湖探勝の足場として利用者が多く、春、秋の山の幸を、冬には大湯温泉スキー場でスキーを楽しめますよ。・越後大湯温泉。新潟県魚沼市大湯温泉。折立温泉から西へ約、両側に山の迫った佐梨川の渓畔に、十三軒のホテル・旅館が建ち並び、飲食店・土産物屋も多く、湯之谷温泉郷の中では最も華やかな湯街が形成されています。駒ヶ岳登山・奥只見湖探勝の足場として利用者が多く、春、秋の山の幸を、冬には大湯温泉スキー場でスキーを楽しめますよ。開湯は1,300年前といわれている、かっては銀鉱山で賑わい、閉山後は周辺農民の湯治場として栄え、その後昭和36年に奥只見ダムが完成後は、観光客が訪れるようになった。
・村杉温泉。五頭温泉郷。建武二年(1335)南朝の武将荒木正高が、薬師如来のお告げで発見したといわれている温泉で、古い薬師堂の境内には泉源があります。昔から胃腸病・切り傷・脚気などによくきくといわれ湯治客が多いです。五頭山の登山基地としても利用できる温泉としてもよく知られています。
・蓬平温泉。長岡市蓬平町。長岡市街から南東約一二㌔、太田川上流の山間にあり、渓流に沿って湯宿が立ち、静かなのんびりとしたところです。新緑のころ涼風のわたる夏、紅葉の秋とそれぞれに風情を楽しむことが出来ます。鯉料理が名物。





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